今日、テレビのワイドショーを見ていて二つ気になったことがあり、急いで書いて見ます。
ひとつはジダンの頭突き騒動。
もうひとつは北朝鮮のミサイル問題に対しての国連各国の反応。
まず、ジダンの問題ですが、
どっちが悪いとか良いとかいう問題ではないのです。
善悪で物事を見ていると「進化」が停滞してしまいます。
起きたことは結果をすべて受け容れ、原因を冷静に観た上で、良心の下で考えなければなりません。
この事件も起きるべくして起きたので、それ自体を否定してはいけないのです。
魂の共同創造から見ると、ジダンとマテラッティはある意味では犠牲者でもあります。
その点からは、
問題は、こういうことが起こってもスポーツ競技の悪い点を反省しようとしていないことが問題です。
ジダンがフランスのテレビのインタビューで、はじめに「子供たちに謝りたい」と謝意を表したということはジダンはこの問題を理解していて、マスコミもそれに対しては好意的なので 問題を理解している ようです。
しかし問題を理解していても、それを問題視していない のが問題です。
だからスポーツ環境は悪化の一方をむたどるのです。
この現象から事件の本質を見ないのなら、こういう事件はまた起きなければなりません。
野球では隠し玉があり、これは正当化されています。いけないことと考えている人は誰もいません。
投手の投球が打者の腕を掠めて、本当は当たっていなくてもコーチはデッドボールの振りをしろと教えます。
多分少年野球でも同じでしょう。こういう嘘は正当化されています。
今回、ワールドカップを見ていても故意にユニフォームを掴むなどは日常茶飯事でした。
イエローカードにならないように如何に反則を犯すかというようなことを言う解説者も普通にいます。
これらは現代の常識になっていますが、これっておかしいでしょう。
問題は、これらがおかしいと誰も思っていないことです。
それでいてスポーツ競技は正々堂々というスポーツ精神に則って行うものということも当たり前のように言われます。
青少年に悪い影響を与えないほうに振舞うべきとも言います。それでジダンの子供たちへの謝意が表明されるのですが・・・
それじゃ、大人はある程度、正々堂々しなくてもいいのかと言えば、そんなことはない筈なのです。
先日、アルゼンチンのテレビでマラドーラが昔ワールドカップで、手を使ってゴールしたことを白状しました。
ゴール後、チームメートはみんな手で入れたと思ってか歓喜していなかったのですが、マラドーラはみんなに喜べと言ったと語りました。
嘘をついたわけです。マラドーラ本人が一番良く真実を知っていました。
しかし誰もこのことを非難しません。
野次なども同じで相手を傷つける野次は認められています。
で、ジダンが反則してもこういうことが起きている元もとの原因を誰も見ようとしていない、、、
いま本当に問題なのは、そのことに誰も触れないでいるということなのです。
あゝ、もうこんな時間になってしまった。会社に行かなければ。
北朝鮮の問題はまた後で。
問題は審判を如何に欺くかがテクニックとして常識化されていることです。
こんなのはスポーツでもなんでもない。勝ち負けに拘った金儲けのビジネスです。だからプロスポーツは嫌いなのですが、ファンはどう思っているのでしょうかね?
こういうことって書くと訪れる人が減るかもしれませんが、やはり訴えていかないといけないことですね。
ただワールドカップに夢中になっている人には何かのきっかけが無いと話しませんが(笑) 気を悪くされるだけですから。
話すべきときには話したほうが良い場所をちゃんと用意してくれるものですし、進んで喧嘩は売りたくありません。
このブログを読んでいただいている人たちは概ね似通った意見を持っているとは思っていても、やはり直接賛同の言葉をいただけると嬉しいものです。
みんな勇気を持って語るべきことは良いタイミングを測ってしゃべへりたいものですね。ありがとうございました。