この年、女性ファッション誌の人気モデルを起用し、その名にひっかけたCMで大ブームとなっていたもの――何であろうそれは『牛乳』である。
大学生~OL層に絶大な影響力を持つ彼女、名を『牛牧(うしまき)萌子』通称“牛ちゃん”という。
若い女性の間では今、カフェに行って「ミルク」と注文するのが何をおいてもまず新しい。
季節が初夏から本格的な夏になろうかというこの時期、普通なら牛乳のような日持ちのしない飲み物はこのようなテーマパークのメニューには、元々あったとしても削除されているはずだが、O-157の被害も人々の記憶から薄れつつある平和な昨今、寛太の財布の中身と売店のメニューとを見比べる3人の小学生の目には、確かに“ミルク”という文字が燦然と輝いていた。
それしか買えないのだ、輝きもしよう。
「まあ……ええんちゃう? 自分らカルシウム不足でイライラしてるから」
さほど牛ちゃん云々にまだ興味がない賀世子が微妙な顔をしていると、加登吉が間をとりなすようにそう言い、オープンテラスになっているテーブルの椅子を引いた。
「どうぞ、櫻田」
「え? なによもう牛乳を飲むことに決まってるの?」
固形物が食べたい、と賀世子の胃はしつこく訴えかけていたが、物理的に不可能なのだから仕方ない。
かりそめの“彼氏”である加登吉が背に手をかけている椅子に座り、なんとなく場の勢いで寛太も同じテーブルに着く。
「じゃあ、買ってきたるから、喧嘩せんと仲良く待っとくんやで~」
寛太の財布を我が物顔で手にして、加登吉は颯爽と売店に向かって歩いていった。
ちなみに自分は女の子をフォローするという名目で、可愛い女の子たちに囲まれきゃあきゃあ言われながらさきほどこの財布からしこたま固形物――まあ普通の食事を摂った。
他人の金で食べる食事ほど美味いものはない。
そしてほどほどのところで友人思いの米田くんを前面に押し出し、女の子たちに好印象を駄目押しして寛太を探しにやってきたのだ。
腹黒いと言うなかれ、寛太と加登吉の関係とはこのように、利用し利用されるスリリングな緊張に満ちていてこそなのである。
小学生も楽ではない。
(はあ~……)
とはいえ、人間の飢餓状態というのはピークを過ぎれば一旦おさまるものだ。
(さっきはちょっ……と……言い過ぎたかな?)
賀世子と寛太は加登吉が戻ってくるのを待つあいだ気まずい空気で向かい合いながら、徐々に普段の自分を取り戻しつつあった。
いい人間かと言われれば微妙なところだが、二人はどちらも元々悪い人間ではない。
一応反省の心は持っているのだ。
「……」
「……」
「「……あの、」」
なんというベタな、という気もしないではないが、二人同時に何か言いかけて、黙る。
「……米田、まだかな」
「ああ、うん、遅い……ね」
目と鼻の先にある売店は、ランチタイムだというのに、いやランチタイムで園内のファミレスなどに客が流れたからこそか、さほど混んでいるようには見えない。
しかし加登吉は何を話し込んでいるのやら、なかなかこちらに戻ってくる様子はなかった。
「……河本くんは、おなか空いてないの?」
仕方がないので現在唯一の話相手に会話のキャッチボールを放ってみたのは賀世子からだった。
そもそもこの卒業遠足の目的は仲良くすることであって険悪になることではない。
「あ、いや……空いてると言えば空いてる……かな?」
空いてると言えば空いてる、どころの騒ぎではない。
寛太は今朝前髪の寝癖にセットを手間取り、朝食は抜いて遠足に来ていたのだ。
昨日の夕飯を食べたきり今こうして賀世子と向かい合っているこの瞬間まで、何も口にしていなかった。
賀世子よりよほど深刻な飢餓状態だと言える。まあ自業自得なのだが。
「……」
一方賀世子はその発言で、寛太が相当空腹であることを察した。
このスカした性格の男なら、さほどでなければ見栄を張って“腹は減っていない”と言うだろう。
「あの……」
賀世子が意を決して寛太に向き直ったそのとき、
「ほい、おまたせ」
愛想はいいが間は悪い男・米田加登吉が戻ってきて、二人が座るテーブルにコトンコトンと白いグラスを二つ置いた。
……二つ?
「米田、これどうしたのよ?! 実はお金持ってたの?!」
だとしたら許さん、と、しおらしモード一転般若の形相になる賀世子にのけぞりつつ米田は、
「わあ、ちゃうちゃう!」
「じゃあどうしたんだよ?」
「ふふっ、売店のお姉さんと仲良うなってサービスしてもろたんや!」
バチコーン☆とウインクしてペコちゃんのごとく舌を出してみせる米田に呆れて賀世子と寛太が振りかえると、売店のカウンターからバイト大学生らしき女性がニコニコとこちらに向かって手を振っていた。
「確か河本も何も食うてへんはずやろ? 一番安いメニューやしええやーん、って甘えたら一発や」
どうやらこの男、対年上にこそ本領を発揮するタイプらしい。
二人に持ってきたのはミルク二つだが、お姉さんとくっちゃべりながらまず間違いなくカラアゲの一つも口に放り込んでもらったはずである。
「感謝はするけど、あたしあんたと別れるわ……」
「さよか、残念や」
げんなり呟く賀世子にケトケト笑いながら加登吉が、自分も席に着こうとしたそのときだった。
「うわああああああああああああ~」
「!?」
どしん、と大きな振動が加登吉の背を襲い、それがテーブルにまで波及した。
「な、何やぁ?」
三人が一斉に振り返ると、明後日の方向に泣きながら走り去っていく男児と、それを追いかけるヤンキ―風の母親が一人。
「ママのバカ~! 風船買ってよお~!」
「こらっ、まちな! そんなもん買わないんだからねッ」
唖然……
「……確かにバカよね、あの母親……子供が人に迷惑かけたって謝りも謝らせもしない……」
ゴゴゴゴ……と、賀世子の静かな怒りが辺りの空気を震わす。
「え?」
すわ般若の光臨か!? と男子二人がバカ親子から賀世子に視線を戻すと、
「う、……うわー」
「ぶっ殺す!!!」
テーブルに置かれた二つのグラスのうち片方がさきほどの衝撃で倒れ、賀世子の膝にはどくどくと牛乳の白い滝が流れ落ちているのだった……。
「落ち着いて! 落ち着いて櫻田!」
「せや、かわりのミルク売店でまた貰ってきたる! タオルも借りよな!」
「きいいいいいいい!!」
「どうどう!」
とりあえずここは賀世子の気を静めることが先決だと判断した二人は、残った一つのグラスを見、賀世子を見、そしてお互いの顔を見合わせた。
「はーい櫻田、落ち着いて~大丈夫だよ~」
「シャーッ!」
「腹になんか入れたらちょっとは落ち着くからな~、ほらカルシウムやで~」
「がるるるるるる」
「ゆっくり、そう、飲むんじゃなくて噛みしめるように……ちょっといいかな、こんな感じ。もぐもぐ」
「フーッ、フーッ」
「ん~おいしいな~よかったな~」
賀世子の右から左からステレオで甲斐甲斐しくご機嫌をとってやる図を遠目に見て、売店のお姉さんは三人の関係を図りかねつつもとりあえずもう三つほど、カラアゲ一個・ミルクのセット用意してやるのだった。
その後、すっかり牛ちゃんブームも忘れ去られた頃、社会人となった彼らは三人で会社を設立した。
行動力と度胸があるのはいいが暴走しがちな社長を副社長二人がいさめる会議には、お茶のペットボトルではなく350mlの牛乳パックがずらりと並べられるということだった。
『ランチタイムに 遊園地で 学生2人が コップ一杯の牛乳を 食べた』
完
色々ありますがとりあえずは名古屋から帰ってからまた!
遅くなってすいませんでしたー!
爪ぬりながら並行して打ったんで許して……。
私無職のはすなのになんで毎日こんなに時間がないのだろう……。
今から名古屋に旅立つ照夫、でした。
大学生~OL層に絶大な影響力を持つ彼女、名を『牛牧(うしまき)萌子』通称“牛ちゃん”という。
若い女性の間では今、カフェに行って「ミルク」と注文するのが何をおいてもまず新しい。
季節が初夏から本格的な夏になろうかというこの時期、普通なら牛乳のような日持ちのしない飲み物はこのようなテーマパークのメニューには、元々あったとしても削除されているはずだが、O-157の被害も人々の記憶から薄れつつある平和な昨今、寛太の財布の中身と売店のメニューとを見比べる3人の小学生の目には、確かに“ミルク”という文字が燦然と輝いていた。
それしか買えないのだ、輝きもしよう。
「まあ……ええんちゃう? 自分らカルシウム不足でイライラしてるから」
さほど牛ちゃん云々にまだ興味がない賀世子が微妙な顔をしていると、加登吉が間をとりなすようにそう言い、オープンテラスになっているテーブルの椅子を引いた。
「どうぞ、櫻田」
「え? なによもう牛乳を飲むことに決まってるの?」
固形物が食べたい、と賀世子の胃はしつこく訴えかけていたが、物理的に不可能なのだから仕方ない。
かりそめの“彼氏”である加登吉が背に手をかけている椅子に座り、なんとなく場の勢いで寛太も同じテーブルに着く。
「じゃあ、買ってきたるから、喧嘩せんと仲良く待っとくんやで~」
寛太の財布を我が物顔で手にして、加登吉は颯爽と売店に向かって歩いていった。
ちなみに自分は女の子をフォローするという名目で、可愛い女の子たちに囲まれきゃあきゃあ言われながらさきほどこの財布からしこたま固形物――まあ普通の食事を摂った。
他人の金で食べる食事ほど美味いものはない。
そしてほどほどのところで友人思いの米田くんを前面に押し出し、女の子たちに好印象を駄目押しして寛太を探しにやってきたのだ。
腹黒いと言うなかれ、寛太と加登吉の関係とはこのように、利用し利用されるスリリングな緊張に満ちていてこそなのである。
小学生も楽ではない。
(はあ~……)
とはいえ、人間の飢餓状態というのはピークを過ぎれば一旦おさまるものだ。
(さっきはちょっ……と……言い過ぎたかな?)
賀世子と寛太は加登吉が戻ってくるのを待つあいだ気まずい空気で向かい合いながら、徐々に普段の自分を取り戻しつつあった。
いい人間かと言われれば微妙なところだが、二人はどちらも元々悪い人間ではない。
一応反省の心は持っているのだ。
「……」
「……」
「「……あの、」」
なんというベタな、という気もしないではないが、二人同時に何か言いかけて、黙る。
「……米田、まだかな」
「ああ、うん、遅い……ね」
目と鼻の先にある売店は、ランチタイムだというのに、いやランチタイムで園内のファミレスなどに客が流れたからこそか、さほど混んでいるようには見えない。
しかし加登吉は何を話し込んでいるのやら、なかなかこちらに戻ってくる様子はなかった。
「……河本くんは、おなか空いてないの?」
仕方がないので現在唯一の話相手に会話のキャッチボールを放ってみたのは賀世子からだった。
そもそもこの卒業遠足の目的は仲良くすることであって険悪になることではない。
「あ、いや……空いてると言えば空いてる……かな?」
空いてると言えば空いてる、どころの騒ぎではない。
寛太は今朝前髪の寝癖にセットを手間取り、朝食は抜いて遠足に来ていたのだ。
昨日の夕飯を食べたきり今こうして賀世子と向かい合っているこの瞬間まで、何も口にしていなかった。
賀世子よりよほど深刻な飢餓状態だと言える。まあ自業自得なのだが。
「……」
一方賀世子はその発言で、寛太が相当空腹であることを察した。
このスカした性格の男なら、さほどでなければ見栄を張って“腹は減っていない”と言うだろう。
「あの……」
賀世子が意を決して寛太に向き直ったそのとき、
「ほい、おまたせ」
愛想はいいが間は悪い男・米田加登吉が戻ってきて、二人が座るテーブルにコトンコトンと白いグラスを二つ置いた。
……二つ?
「米田、これどうしたのよ?! 実はお金持ってたの?!」
だとしたら許さん、と、しおらしモード一転般若の形相になる賀世子にのけぞりつつ米田は、
「わあ、ちゃうちゃう!」
「じゃあどうしたんだよ?」
「ふふっ、売店のお姉さんと仲良うなってサービスしてもろたんや!」
バチコーン☆とウインクしてペコちゃんのごとく舌を出してみせる米田に呆れて賀世子と寛太が振りかえると、売店のカウンターからバイト大学生らしき女性がニコニコとこちらに向かって手を振っていた。
「確か河本も何も食うてへんはずやろ? 一番安いメニューやしええやーん、って甘えたら一発や」
どうやらこの男、対年上にこそ本領を発揮するタイプらしい。
二人に持ってきたのはミルク二つだが、お姉さんとくっちゃべりながらまず間違いなくカラアゲの一つも口に放り込んでもらったはずである。
「感謝はするけど、あたしあんたと別れるわ……」
「さよか、残念や」
げんなり呟く賀世子にケトケト笑いながら加登吉が、自分も席に着こうとしたそのときだった。
「うわああああああああああああ~」
「!?」
どしん、と大きな振動が加登吉の背を襲い、それがテーブルにまで波及した。
「な、何やぁ?」
三人が一斉に振り返ると、明後日の方向に泣きながら走り去っていく男児と、それを追いかけるヤンキ―風の母親が一人。
「ママのバカ~! 風船買ってよお~!」
「こらっ、まちな! そんなもん買わないんだからねッ」
唖然……
「……確かにバカよね、あの母親……子供が人に迷惑かけたって謝りも謝らせもしない……」
ゴゴゴゴ……と、賀世子の静かな怒りが辺りの空気を震わす。
「え?」
すわ般若の光臨か!? と男子二人がバカ親子から賀世子に視線を戻すと、
「う、……うわー」
「ぶっ殺す!!!」
テーブルに置かれた二つのグラスのうち片方がさきほどの衝撃で倒れ、賀世子の膝にはどくどくと牛乳の白い滝が流れ落ちているのだった……。
「落ち着いて! 落ち着いて櫻田!」
「せや、かわりのミルク売店でまた貰ってきたる! タオルも借りよな!」
「きいいいいいいい!!」
「どうどう!」
とりあえずここは賀世子の気を静めることが先決だと判断した二人は、残った一つのグラスを見、賀世子を見、そしてお互いの顔を見合わせた。
「はーい櫻田、落ち着いて~大丈夫だよ~」
「シャーッ!」
「腹になんか入れたらちょっとは落ち着くからな~、ほらカルシウムやで~」
「がるるるるるる」
「ゆっくり、そう、飲むんじゃなくて噛みしめるように……ちょっといいかな、こんな感じ。もぐもぐ」
「フーッ、フーッ」
「ん~おいしいな~よかったな~」
賀世子の右から左からステレオで甲斐甲斐しくご機嫌をとってやる図を遠目に見て、売店のお姉さんは三人の関係を図りかねつつもとりあえずもう三つほど、カラアゲ一個・ミルクのセット用意してやるのだった。
その後、すっかり牛ちゃんブームも忘れ去られた頃、社会人となった彼らは三人で会社を設立した。
行動力と度胸があるのはいいが暴走しがちな社長を副社長二人がいさめる会議には、お茶のペットボトルではなく350mlの牛乳パックがずらりと並べられるということだった。
『ランチタイムに 遊園地で 学生2人が コップ一杯の牛乳を 食べた』
完
色々ありますがとりあえずは名古屋から帰ってからまた!
遅くなってすいませんでしたー!
爪ぬりながら並行して打ったんで許して……。
私無職のはすなのになんで毎日こんなに時間がないのだろう……。
今から名古屋に旅立つ照夫、でした。