遅くなってごめんなさい……一体どれだけの人が覚えているのかわかりませんがリレー完結編です。
★★★★★
「これは……?」
おずおずと書類を受け取るおれに遠藤さんは、猫を抱いてほんわかとしたヴィジュアルフェイスをきりりと引き締め、
「わたくし、株式会社さかもと不動産埼玉支部の営業部長をしております、遠藤龍馬と申します」
白くて指の長い右手で子猫を抱き、左手を背広の内ポケットに入れて、
シャッ
と、舞台の効果音みたいな音をさせて名刺を取り出した。
「今日は営業先から直帰でして。ちょうどお客様にぴったりの、学生さん向物件があるんですよ」
すっかり営業モードになった遠藤さんの語尾に、ハートマークが見える気がする。
さかもと不動産といえば、全国的規模で展開している大手不動産会社である。
学生のおれには実感としてはピンと来ないのだが、遠藤さんの若さで部長とは、結構すごいことなのではないだろうか。
いやいや、このルックスがあれば、ありえない話じゃないな。
ふーん、とおれが不動産物件の書類に向き合った、そのとき。
ガタッ、と音がし、背後で人が立ち上がる気配。
「さかもと不動産の……遠藤――?」
「え?」
佐藤さん(猫)を抱っこしながら佐藤さん(猫)と同じ姿勢でコタツに入ってぬくぬくとしていた学生風の男――そういえばこの人にも名前をきいていない――が、佐藤さん(猫)は離さないまま、一転険しい表情で仁王立ちになっているではないか。
「まさかこんなところで会うとはね」
「……君は、一体」
ただごとではない男の声色に、遠藤さんは営業モードから、今度は若くして高い地位を得たデキる男の顔になった。
「直接お会いするのは初めてですね。先月の熊谷の件ではあなたの部下に大変お世話になりました」
「熊谷……!」
まったく展開についていけないおれと伊藤を挟んで、遠藤さんと学生風の男の間には暗雲が立ちこめ、空気が低く振動しているかのような緊張感が漂う。
「おいっ、何なんだ、猫が好きなだけの男たちの集まりじゃないのか!?」
「いや……そういう趣旨のオフ会のはずだったんだけど……」
おれが伊藤を肘でつっついている間にも、二人が醸し出す雰囲気はどんどん苛烈さを増して行く。
――腕に抱いた各々の愛猫は離さないまま。
対峙した飼い主たちの間で円らな瞳を見交わす佐藤さん(猫)と黒猫。
先ほどのほんわか顔が嘘のように、遠藤さんは叫んだ。
「じゃあ君は……君があの“童顔(ベビーフェイス)の虎”――徳川デベロップメント営業部の若手ナンバーワンホープ、沖田虎鉄!!」
学生風の男、もとい沖田さんは、フっと笑って佐藤さん(猫)を肩に担ぎ上げた。
この部屋にいる猫の中では唯一成猫している佐藤さん(猫)は、その成長しきった長い体で沖田さんの肩に腰かけ、彼の頭のてっぺんにちょこんと前足をのせる。
慣れてるな、きっといつもこうして担ぎ上げて、この姿勢で二人、歩き回ってるんだろう。
どう見ても学生にしか見えなかったが、どうやら沖田さんは社会人らしい。
おれの思考を読んだかのように、遠藤さんが眉間に皺を寄せながら続ける。
「昨年度入社の新人ながら研修後すぐに営業所の成績トップに躍り出、古い縄張り意識をぶち壊す新世代営業術の申し子と誉れ高い沖田虎鉄に、こんなところで会えるとはね……」
徳川デベロップメントといえば、デザイナーズマンションの扱いを中心として、ここ何年か業績をぐんぐん伸ばしている革命的不動産会社だ。
五年前に会長が交代して以来、因習をなぎ払うかのような、斬新でリスクを恐れぬやり方で不動産業界に旋風を巻き起こしている。
「詳しいね、お前」
「面接受けようかと思ってたんだよ」
今度は伊藤がおれを肘でつっつく。
会社自体が恐れを知らぬ若さの象徴みたいなもんだが、沖田さんはその中でも際立ってデキるようだ。
「柔和な印象と安心感を与える童顔からは想像もつかない大胆な営業……噂通りでした。熊谷の件は部下だけでは君に対抗しきることはできなかった」
遠藤さんが黒猫にほお擦りしながらそう言うと、佐藤さん(猫)を頭に乗せたままの沖田さんは、
「いいえ、僕なんてまだまだ……若干二十六歳で、支店のみならずさかもと不動産営業部全体の中核を担うといわれる遠藤龍馬――“破滅への刹那の龍“の入社初年度の成績にはとても敵いません」
と、にやり不敵な笑みを見せる。
「……不動産屋って、破滅していいのか?」
「ヴィジュアル系っぽいことをまず第一に強調してんだろな」
ひそひそツッコミ合うおれと伊藤。
「熊谷での戦いは敵ながら天晴れでした」
「ええ、僕も本気の刹那の龍の手腕を、部下の方を通してとはいえ目の当たりにできて、大変いい勉強になりましたよ」
にっこりと笑顔を見せ合う遠藤さんと沖田さんだが、その目は決して笑ってはいなかった。
ごくりと生唾をのみながら伊藤がおれにささやく。
「どうやら不動産史に残る戦いだったようだな……」
「不動産史って何だよ!?」
そんなおれたちの会話をよそに、二人の男の敵意はついに渦を巻き、冬のワンルームの空気を振るわせるまでになった。
「龍虎、相打つ……!!」
「お前、雰囲気に飲み込まれてるぞ!!」
さきほどまでは濃厚に漂っていた、猫を愛でるだけのオフ会のでれでれした空気は、今や外気よりも冷たく凍りついていた。
固唾をのんで事の成り行きを見守る伊藤。
伊藤からこっそりハニー(猫)を奪えないものかと横目で機会を窺う、おれ。
「オフ会って、最初に自己紹介とかしねえの?」
「いっやあ、それが」
すると伊藤は、おれのハニー(猫)を抱えなおしてデレンと笑い、
「にょんちゃんがあまりにも可愛いもんだから、自己紹介もそこそこにお二人とも夢中になっちゃって☆」
ぐっふふふふふ……と、地獄まで響きそうな声を出した。
これ以上に不気味な思い出し笑いをおれは知らない。
「お前、ハニー(猫)に変な名前つけるのやめろ! なんだよにょんちゃんって!?」
そう、おれのハニー(猫)は“にょん”という。
意味がわからない。
「うるせえなあ、つべこべ言うなよ。可愛い名前だろうが。なー、にょんちゃん」
「ミャ」
「ほれ、にょんちゃんも自分のことにょんちゃんだって思ってるぞ」
「ああっ、ハニー(猫)、君は騙されてるんだ! そんなその場のテンションでつけた名前は希代の美姫たるハニー(猫)にはふさわしくない!」
ハニー(猫)を腕に抱いた伊藤に舌を出されて懊悩するおれは、歯がゆさのあまり遠藤さんと沖田さんの言い争いが静かにヒートアップしていることに気づかなかった。
パーカーのフードを後ろからぐいと引っ張られ、
「ぐえっ」
息を詰まらせて振り返れば、
「ならば、勝負だ!」
「いいだろう、受けて立つ!」
遠藤さんと沖田さんが二人しておれのフードを握り締めたまま、拳を握り、瞳にライバルへの憎悪の炎をともしてユニゾンで高らかに叫んだ。
「「どちらかこの学生に、先に部屋を売りつけるか!!」」
え――――!?
「ちょっ、ちょっと、やめてえ! 巻き込まないで! つーか売り“つける”とか言わないで! 本音見えてる!」
おれ一般人だから!
慌てて抗議する。
だが、おれのパーカーを決して離さないままこちらに向き直った若き不動産屋二人は一転、にっこぉ! と、瞬間周囲のワット数があがったような特上スマイルを顔面に貼りつけ、
「高杉様、ご心配には及びません、我々さかもと不動産は決してお客様にご無理を強いることはございません」
「我が徳川デベロップメントの物件をご覧いただきましたら、きっと高杉様のほうから紹介をご所望していただけることと自負しております」
「まだ見ぬ愛するお嬢様(猫)、ご子息(猫)と共に光溢れるまばゆい生活を。さかもと不動産は愛ある暮らしを応援する会社でございます」
「高杉様、猫とは室内で共に暮らす、いわばご家族。ご愛猫様にも、高杉様にもご満足していただける物件が、いまわたくしが思い出せるだけでも三十七件。どんどん条件をご提示くださいませ、その条件を全て満たし、尚且つ新たな便利さ・暮らしの喜びを提供するお部屋を、必ずご覧にいれます」
淀みなく流れる営業トークがおれに襲いかかる。
眩しいほどの笑顔で次々に言葉を紡ぎ出しながら、遠藤さんはアタッシュケースの中身を手で探り、沖田さんは携帯でカチカチと、おそらく自社のサイトにアクセスしていた。
「ひっ、ひぃ!」
どういうことだ。
新しい部屋を契約しなければ帰れない、みたいなこの流れは一体何だ!?
新しい部屋を契約するのは、いい物件があるなら、考えてみてもいいかもしれない。
だがこの場合、おれが選んだほうが“勝ち”であり、選ばなかったほうが“負け”なのだ。
そんな責任を、ひと撫でたりとも猫を愛でてもいないというのにそんな責任をなぜ負わねばならないんだ!!
大体にして、新しい部屋に住んで猫を飼いたいな~というのは今のおれの場合、宝くじを当てて一生遊んで暮らしたいな~という呟きと同じようなもんだ。
すぐには実現しないだろうし、そのための努力なんかも今はしないけど、自分はこういう願望を持ってるんですよ~という、会話のテンプレートみたいなものなのである。
つまり、そりゃあ死ぬほど猫は飼いたいが、当面は引越する気などさらさらないのだ。
だが、この事態を招いたのはおれの不用意な発言だ、この上“口ではああ言ったけど引越する気なんて全然ないで~す”などと言おうものなら、眩しいほどの笑顔なのにオーラが般若の遠藤さんと沖田さんに、どんな目に合わされるか分かったもんではない。
「うう……」
高杉様、高杉様、高杉様。
途切れることなくおれに降り注ぐ営業トーク。
どうする、どうするおれ!?
縋るように伊藤を見る。
いや、正確には――にょんちゃん(猫)を。
「みゃあ」
おれには解った。
彼女(猫)は言った。
“一緒に逃げましょう”と。
おれは一瞬の隙を衝いてにょんちゃん(猫)を伊藤の腕から奪い取り、部屋を突っ切り玄関先に脱ぎ散らかしたスニーカーに足を突っ込んだ。
「あ、……え?」
「ハニー(猫)、君と一緒ならおれは何も怖くない!」
ガチャガチャガチャ、と三秒で玄関のチェーンと鍵を開ける。
ハニー(猫)の小さくほのかな温もりを抱きしめ、おれは身を切るような深夜の寒気へ飛び出した。
「って、おいいいい高杉いいいぃぃぃにょんちゃん(猫)に勝手なアテレコしてんじゃねえ!!」
「違う、おれには聞こえたんだ!」
「幻聴だぁ!!」
我にかえった伊藤の後ろから、
「逃げたぞ!」
「逃がすか!」
遠藤さんと沖田さんも着の身着のまま追ってくるのがちらりと見えた。
「はあ、はあ」
寒くないようににょんちゃん(猫)をパーカーの胸元に入れ、顔だけのぞくような姿勢にして手で支えながら、おれは走った。
自分の口から出る白い息が、凍てついた深夜の景色とともに、びゅんと後ろへちぎれていく。
高校時代陸上部のホープだったおれに、さすがに三人は追いつけないようだ。
「くく……」
走りながらほくそえむ。
おれの専門は長距離だ。
長く走れば走るだけ体がほぐれ、エンジンがかかるのだ。
このまま逃げきってやる!
にょんちゃん(猫)の後頭部の柔らかな体毛をノド元に感じながら走っていると、公園へさしかかった。
よし、ここで撒いてやる。
ハードルを飛ぶ要領で、公園を囲む植込を飛び越える。
これでさらに距離は開いたはずだ。
「見たか!」
走る速度は落とさないまま、振り返ったおれが見たものは――
「絶対に逃がさん!」
距離が開き、このままでは追いつけないと判断したのであろう伊藤が、遠藤さんが手に持ったアタッシュケースをひったくり、振りかぶったその瞬間であった。
「うおおおおお!!」
薄く照らす月の光に鈍くかがやく銀色のビジネスケースが宙を舞う。
それはスローモーションのようにゆっくりと見え――たと思ったら、見事ごいんとおれの頭に直撃した。
書類が入っていただけだから、さほど重くはなかったが、それでも鞄そのものの重量がおれに目眩を起こさせ、おれは逃げる足を止めざるを得なかった。
「う、うわー……」
「大丈夫……?」
遠藤さんと沖田さんが若干引き気味におれに駆け寄る。
空中でパッカリとケースが開き、鉢かぶり姫よろしくアタッシュケースを被りながらも、胸元に抱いたにょんちゃん(猫)だけは決して振動が伝わらないよう死守した。
「正義は勝つ!」
息を切らしながら伊藤が高らかに宣言する。
すると何か、おれは悪なのか?
頭上にかぶさっている不動産書類とアタッシュケースをひっくり返して薙ぎ払い、おれは伊藤の襟を掴み上げた。
「ゴルァァァ伊藤おぉぉぉおれはともかくハニー(猫)を危険に晒すとは何事だあ!」
「フッ、おれはそんなヘマはしない! 知ってるさ、にょんちゃんに(猫)夢中なお前は命に代えてもにょんちゃん(猫)を守ると!」
ズボっとおれのパーカーの胸元からにょんちゃん(猫)を抜き取る伊藤を見つめて、遠藤さんと沖田さんはすっかり毒気を抜かれたように
「……ずいぶん遠慮のない友人関係なんだねえ……」
と、顔を見合わせ呟いていた。
ライバルってものは、立場や境遇が似ているからこそ張り合うのだ。
共通点は多いはずだから、落ち着いて話をするきっかけさえあれば、すごく仲良くなる可能性は高い。
伊藤のアパートへ戻る深夜の道すがら、おれはそんなことを考えた。
視線の先には、これからの不動産業界について熱弁を振るいあう遠藤さんと沖田さんがいる。
隣を歩く伊藤は、
「なんだぁ、もう和解しちゃったんだ、これから面白くなるところだったのに。ね~にょんちゃん(猫)」
と、ハニー(猫)にやに下がりながらも面白くなさそうな顔をした。
なんて器用な顔面だ。
そして、おれはと言うと、――なぜだろう、さっきから「随分遠慮のない友人関係なんだねえ」という遠藤さんと沖田さんの呟きが、頭から離れないのだ。
(……おれたちって、遠慮のない友人関係だったのか)
伊藤とは大学に入ってからの付き合いだが、遠慮がない間柄だとは思ったことはなかった。
なんと言うのだろう、そう、おれたちは薄情さが同じくらいで、お互いに、こいつにはこの程度ひどいことをしてもいい、というボーダーラインがはっきりとわかるためにつきあいやすいのである。
世間一般ではそれを“遠慮がない”というらしい。
今度は“営業とはかくあるべき”という仕事論へとテーマが変わった遠藤さんと沖田さんの会話に、ハニー(猫)の愛らしさにたまらず洩れた伊藤のグフフフフ、という不気味な笑い声が重なる。
彼らの声も二月の深夜の夜道も、吹きつける冷たい風をもどこか他人事のように感じながら、おれは思った。
あるじゃないか、手間がかからず、お金もかからず、且つ猫と一緒に暮らす方法が。
おれは、まるでこの世に愛しいものはハニー(猫)しかいないかのような伊藤の横顔を見た。
こいつも鬼じゃない、始発まではまだまだなこの時間、まさか今日これからおれを追い返したりはしないだろう。
今日、泊まる。
明日もその流れで泊まる。
明後日は帰ろうか、明々後日はまた来よう。
そうして、徐々に伊藤の部屋に入り浸るのだ。
伊藤の部屋なのだから、家賃は当然伊藤が払う。
おれは今住んでいる部屋を解約するだけでいい。
伊藤の部屋には猫がいる。
おれは伊藤の部屋に住んで、結果、猫と一緒に暮らすことができる。
しかも、その“猫”とは愛しいこの、ハニー(猫)だ!
伊藤のグフフ笑いに、おれの口から漏れるクックックという声も重なる。
伊藤はにょんちゃん(猫)のピンクの鼻をつっつきながら、不思議そうにおれを振り返ったので、おれはにやりと笑って見せてやった。
おれたち、遠慮のない友人同士なんだもんな。
なあに、きっとうまくやっていけるさ。
いつの間にか猫馬鹿トークへと変わった遠藤さんと沖田さんのディベートを意識の外で聞きながら、おれは伊藤と、そしてにょんちゃん(猫)に、ちいさく呟いた。
これから、よろしく。
『深夜 公園で 大学生と子猫が ビジネスケースを ひっくり返した』完
★★★★★
終わったああああぁぁぁぁ
長かったよ~
途中なんら関係ないエピソードを書いて終わって話を進める気がない人がいたよね。
怒らないから出頭おし。
笹井 4
照夫 4.5
コココ 4
笹井 4
照夫 17.5
私はwordに20文字×20行×2段のリレー用書式を作ってそこにコピペ&執筆しておりまして、いずれ本にしようと思っているのですが、上記は今回のリレーの文章量を原稿用紙に換算してみた数です。
つまり、私の書式の1ページの半分が400字詰原稿用紙1枚なのだな。
ラストの私のパートだけ桁が違うんですけど!!
原稿用紙17枚半も書いてるんですけどちょっとー!!
話が起承転結の承から進んでなかったからラストパートで一気にまくりましたゆえ、かなりむちゃくちゃに転!結!終わり!ってなりました。
最後のくだりの高杉、こいつやっぱかなりホラーだな……と思って書いてたんですが、読みようによってはほのぼの。
私は怖いと思って書いてました。
はー、まあなにはともあれ終わった!
これでこころおきなく夏の修羅場に入ります!
今年もまた夏がおたくで終わる……照夫でした。
頑張った!!
あ、久しぶりにもう書くなってブログが怒ってる……
★★★★★
「これは……?」
おずおずと書類を受け取るおれに遠藤さんは、猫を抱いてほんわかとしたヴィジュアルフェイスをきりりと引き締め、
「わたくし、株式会社さかもと不動産埼玉支部の営業部長をしております、遠藤龍馬と申します」
白くて指の長い右手で子猫を抱き、左手を背広の内ポケットに入れて、
シャッ
と、舞台の効果音みたいな音をさせて名刺を取り出した。
「今日は営業先から直帰でして。ちょうどお客様にぴったりの、学生さん向物件があるんですよ」
すっかり営業モードになった遠藤さんの語尾に、ハートマークが見える気がする。
さかもと不動産といえば、全国的規模で展開している大手不動産会社である。
学生のおれには実感としてはピンと来ないのだが、遠藤さんの若さで部長とは、結構すごいことなのではないだろうか。
いやいや、このルックスがあれば、ありえない話じゃないな。
ふーん、とおれが不動産物件の書類に向き合った、そのとき。
ガタッ、と音がし、背後で人が立ち上がる気配。
「さかもと不動産の……遠藤――?」
「え?」
佐藤さん(猫)を抱っこしながら佐藤さん(猫)と同じ姿勢でコタツに入ってぬくぬくとしていた学生風の男――そういえばこの人にも名前をきいていない――が、佐藤さん(猫)は離さないまま、一転険しい表情で仁王立ちになっているではないか。
「まさかこんなところで会うとはね」
「……君は、一体」
ただごとではない男の声色に、遠藤さんは営業モードから、今度は若くして高い地位を得たデキる男の顔になった。
「直接お会いするのは初めてですね。先月の熊谷の件ではあなたの部下に大変お世話になりました」
「熊谷……!」
まったく展開についていけないおれと伊藤を挟んで、遠藤さんと学生風の男の間には暗雲が立ちこめ、空気が低く振動しているかのような緊張感が漂う。
「おいっ、何なんだ、猫が好きなだけの男たちの集まりじゃないのか!?」
「いや……そういう趣旨のオフ会のはずだったんだけど……」
おれが伊藤を肘でつっついている間にも、二人が醸し出す雰囲気はどんどん苛烈さを増して行く。
――腕に抱いた各々の愛猫は離さないまま。
対峙した飼い主たちの間で円らな瞳を見交わす佐藤さん(猫)と黒猫。
先ほどのほんわか顔が嘘のように、遠藤さんは叫んだ。
「じゃあ君は……君があの“童顔(ベビーフェイス)の虎”――徳川デベロップメント営業部の若手ナンバーワンホープ、沖田虎鉄!!」
学生風の男、もとい沖田さんは、フっと笑って佐藤さん(猫)を肩に担ぎ上げた。
この部屋にいる猫の中では唯一成猫している佐藤さん(猫)は、その成長しきった長い体で沖田さんの肩に腰かけ、彼の頭のてっぺんにちょこんと前足をのせる。
慣れてるな、きっといつもこうして担ぎ上げて、この姿勢で二人、歩き回ってるんだろう。
どう見ても学生にしか見えなかったが、どうやら沖田さんは社会人らしい。
おれの思考を読んだかのように、遠藤さんが眉間に皺を寄せながら続ける。
「昨年度入社の新人ながら研修後すぐに営業所の成績トップに躍り出、古い縄張り意識をぶち壊す新世代営業術の申し子と誉れ高い沖田虎鉄に、こんなところで会えるとはね……」
徳川デベロップメントといえば、デザイナーズマンションの扱いを中心として、ここ何年か業績をぐんぐん伸ばしている革命的不動産会社だ。
五年前に会長が交代して以来、因習をなぎ払うかのような、斬新でリスクを恐れぬやり方で不動産業界に旋風を巻き起こしている。
「詳しいね、お前」
「面接受けようかと思ってたんだよ」
今度は伊藤がおれを肘でつっつく。
会社自体が恐れを知らぬ若さの象徴みたいなもんだが、沖田さんはその中でも際立ってデキるようだ。
「柔和な印象と安心感を与える童顔からは想像もつかない大胆な営業……噂通りでした。熊谷の件は部下だけでは君に対抗しきることはできなかった」
遠藤さんが黒猫にほお擦りしながらそう言うと、佐藤さん(猫)を頭に乗せたままの沖田さんは、
「いいえ、僕なんてまだまだ……若干二十六歳で、支店のみならずさかもと不動産営業部全体の中核を担うといわれる遠藤龍馬――“破滅への刹那の龍“の入社初年度の成績にはとても敵いません」
と、にやり不敵な笑みを見せる。
「……不動産屋って、破滅していいのか?」
「ヴィジュアル系っぽいことをまず第一に強調してんだろな」
ひそひそツッコミ合うおれと伊藤。
「熊谷での戦いは敵ながら天晴れでした」
「ええ、僕も本気の刹那の龍の手腕を、部下の方を通してとはいえ目の当たりにできて、大変いい勉強になりましたよ」
にっこりと笑顔を見せ合う遠藤さんと沖田さんだが、その目は決して笑ってはいなかった。
ごくりと生唾をのみながら伊藤がおれにささやく。
「どうやら不動産史に残る戦いだったようだな……」
「不動産史って何だよ!?」
そんなおれたちの会話をよそに、二人の男の敵意はついに渦を巻き、冬のワンルームの空気を振るわせるまでになった。
「龍虎、相打つ……!!」
「お前、雰囲気に飲み込まれてるぞ!!」
さきほどまでは濃厚に漂っていた、猫を愛でるだけのオフ会のでれでれした空気は、今や外気よりも冷たく凍りついていた。
固唾をのんで事の成り行きを見守る伊藤。
伊藤からこっそりハニー(猫)を奪えないものかと横目で機会を窺う、おれ。
「オフ会って、最初に自己紹介とかしねえの?」
「いっやあ、それが」
すると伊藤は、おれのハニー(猫)を抱えなおしてデレンと笑い、
「にょんちゃんがあまりにも可愛いもんだから、自己紹介もそこそこにお二人とも夢中になっちゃって☆」
ぐっふふふふふ……と、地獄まで響きそうな声を出した。
これ以上に不気味な思い出し笑いをおれは知らない。
「お前、ハニー(猫)に変な名前つけるのやめろ! なんだよにょんちゃんって!?」
そう、おれのハニー(猫)は“にょん”という。
意味がわからない。
「うるせえなあ、つべこべ言うなよ。可愛い名前だろうが。なー、にょんちゃん」
「ミャ」
「ほれ、にょんちゃんも自分のことにょんちゃんだって思ってるぞ」
「ああっ、ハニー(猫)、君は騙されてるんだ! そんなその場のテンションでつけた名前は希代の美姫たるハニー(猫)にはふさわしくない!」
ハニー(猫)を腕に抱いた伊藤に舌を出されて懊悩するおれは、歯がゆさのあまり遠藤さんと沖田さんの言い争いが静かにヒートアップしていることに気づかなかった。
パーカーのフードを後ろからぐいと引っ張られ、
「ぐえっ」
息を詰まらせて振り返れば、
「ならば、勝負だ!」
「いいだろう、受けて立つ!」
遠藤さんと沖田さんが二人しておれのフードを握り締めたまま、拳を握り、瞳にライバルへの憎悪の炎をともしてユニゾンで高らかに叫んだ。
「「どちらかこの学生に、先に部屋を売りつけるか!!」」
え――――!?
「ちょっ、ちょっと、やめてえ! 巻き込まないで! つーか売り“つける”とか言わないで! 本音見えてる!」
おれ一般人だから!
慌てて抗議する。
だが、おれのパーカーを決して離さないままこちらに向き直った若き不動産屋二人は一転、にっこぉ! と、瞬間周囲のワット数があがったような特上スマイルを顔面に貼りつけ、
「高杉様、ご心配には及びません、我々さかもと不動産は決してお客様にご無理を強いることはございません」
「我が徳川デベロップメントの物件をご覧いただきましたら、きっと高杉様のほうから紹介をご所望していただけることと自負しております」
「まだ見ぬ愛するお嬢様(猫)、ご子息(猫)と共に光溢れるまばゆい生活を。さかもと不動産は愛ある暮らしを応援する会社でございます」
「高杉様、猫とは室内で共に暮らす、いわばご家族。ご愛猫様にも、高杉様にもご満足していただける物件が、いまわたくしが思い出せるだけでも三十七件。どんどん条件をご提示くださいませ、その条件を全て満たし、尚且つ新たな便利さ・暮らしの喜びを提供するお部屋を、必ずご覧にいれます」
淀みなく流れる営業トークがおれに襲いかかる。
眩しいほどの笑顔で次々に言葉を紡ぎ出しながら、遠藤さんはアタッシュケースの中身を手で探り、沖田さんは携帯でカチカチと、おそらく自社のサイトにアクセスしていた。
「ひっ、ひぃ!」
どういうことだ。
新しい部屋を契約しなければ帰れない、みたいなこの流れは一体何だ!?
新しい部屋を契約するのは、いい物件があるなら、考えてみてもいいかもしれない。
だがこの場合、おれが選んだほうが“勝ち”であり、選ばなかったほうが“負け”なのだ。
そんな責任を、ひと撫でたりとも猫を愛でてもいないというのにそんな責任をなぜ負わねばならないんだ!!
大体にして、新しい部屋に住んで猫を飼いたいな~というのは今のおれの場合、宝くじを当てて一生遊んで暮らしたいな~という呟きと同じようなもんだ。
すぐには実現しないだろうし、そのための努力なんかも今はしないけど、自分はこういう願望を持ってるんですよ~という、会話のテンプレートみたいなものなのである。
つまり、そりゃあ死ぬほど猫は飼いたいが、当面は引越する気などさらさらないのだ。
だが、この事態を招いたのはおれの不用意な発言だ、この上“口ではああ言ったけど引越する気なんて全然ないで~す”などと言おうものなら、眩しいほどの笑顔なのにオーラが般若の遠藤さんと沖田さんに、どんな目に合わされるか分かったもんではない。
「うう……」
高杉様、高杉様、高杉様。
途切れることなくおれに降り注ぐ営業トーク。
どうする、どうするおれ!?
縋るように伊藤を見る。
いや、正確には――にょんちゃん(猫)を。
「みゃあ」
おれには解った。
彼女(猫)は言った。
“一緒に逃げましょう”と。
おれは一瞬の隙を衝いてにょんちゃん(猫)を伊藤の腕から奪い取り、部屋を突っ切り玄関先に脱ぎ散らかしたスニーカーに足を突っ込んだ。
「あ、……え?」
「ハニー(猫)、君と一緒ならおれは何も怖くない!」
ガチャガチャガチャ、と三秒で玄関のチェーンと鍵を開ける。
ハニー(猫)の小さくほのかな温もりを抱きしめ、おれは身を切るような深夜の寒気へ飛び出した。
「って、おいいいい高杉いいいぃぃぃにょんちゃん(猫)に勝手なアテレコしてんじゃねえ!!」
「違う、おれには聞こえたんだ!」
「幻聴だぁ!!」
我にかえった伊藤の後ろから、
「逃げたぞ!」
「逃がすか!」
遠藤さんと沖田さんも着の身着のまま追ってくるのがちらりと見えた。
「はあ、はあ」
寒くないようににょんちゃん(猫)をパーカーの胸元に入れ、顔だけのぞくような姿勢にして手で支えながら、おれは走った。
自分の口から出る白い息が、凍てついた深夜の景色とともに、びゅんと後ろへちぎれていく。
高校時代陸上部のホープだったおれに、さすがに三人は追いつけないようだ。
「くく……」
走りながらほくそえむ。
おれの専門は長距離だ。
長く走れば走るだけ体がほぐれ、エンジンがかかるのだ。
このまま逃げきってやる!
にょんちゃん(猫)の後頭部の柔らかな体毛をノド元に感じながら走っていると、公園へさしかかった。
よし、ここで撒いてやる。
ハードルを飛ぶ要領で、公園を囲む植込を飛び越える。
これでさらに距離は開いたはずだ。
「見たか!」
走る速度は落とさないまま、振り返ったおれが見たものは――
「絶対に逃がさん!」
距離が開き、このままでは追いつけないと判断したのであろう伊藤が、遠藤さんが手に持ったアタッシュケースをひったくり、振りかぶったその瞬間であった。
「うおおおおお!!」
薄く照らす月の光に鈍くかがやく銀色のビジネスケースが宙を舞う。
それはスローモーションのようにゆっくりと見え――たと思ったら、見事ごいんとおれの頭に直撃した。
書類が入っていただけだから、さほど重くはなかったが、それでも鞄そのものの重量がおれに目眩を起こさせ、おれは逃げる足を止めざるを得なかった。
「う、うわー……」
「大丈夫……?」
遠藤さんと沖田さんが若干引き気味におれに駆け寄る。
空中でパッカリとケースが開き、鉢かぶり姫よろしくアタッシュケースを被りながらも、胸元に抱いたにょんちゃん(猫)だけは決して振動が伝わらないよう死守した。
「正義は勝つ!」
息を切らしながら伊藤が高らかに宣言する。
すると何か、おれは悪なのか?
頭上にかぶさっている不動産書類とアタッシュケースをひっくり返して薙ぎ払い、おれは伊藤の襟を掴み上げた。
「ゴルァァァ伊藤おぉぉぉおれはともかくハニー(猫)を危険に晒すとは何事だあ!」
「フッ、おれはそんなヘマはしない! 知ってるさ、にょんちゃんに(猫)夢中なお前は命に代えてもにょんちゃん(猫)を守ると!」
ズボっとおれのパーカーの胸元からにょんちゃん(猫)を抜き取る伊藤を見つめて、遠藤さんと沖田さんはすっかり毒気を抜かれたように
「……ずいぶん遠慮のない友人関係なんだねえ……」
と、顔を見合わせ呟いていた。
ライバルってものは、立場や境遇が似ているからこそ張り合うのだ。
共通点は多いはずだから、落ち着いて話をするきっかけさえあれば、すごく仲良くなる可能性は高い。
伊藤のアパートへ戻る深夜の道すがら、おれはそんなことを考えた。
視線の先には、これからの不動産業界について熱弁を振るいあう遠藤さんと沖田さんがいる。
隣を歩く伊藤は、
「なんだぁ、もう和解しちゃったんだ、これから面白くなるところだったのに。ね~にょんちゃん(猫)」
と、ハニー(猫)にやに下がりながらも面白くなさそうな顔をした。
なんて器用な顔面だ。
そして、おれはと言うと、――なぜだろう、さっきから「随分遠慮のない友人関係なんだねえ」という遠藤さんと沖田さんの呟きが、頭から離れないのだ。
(……おれたちって、遠慮のない友人関係だったのか)
伊藤とは大学に入ってからの付き合いだが、遠慮がない間柄だとは思ったことはなかった。
なんと言うのだろう、そう、おれたちは薄情さが同じくらいで、お互いに、こいつにはこの程度ひどいことをしてもいい、というボーダーラインがはっきりとわかるためにつきあいやすいのである。
世間一般ではそれを“遠慮がない”というらしい。
今度は“営業とはかくあるべき”という仕事論へとテーマが変わった遠藤さんと沖田さんの会話に、ハニー(猫)の愛らしさにたまらず洩れた伊藤のグフフフフ、という不気味な笑い声が重なる。
彼らの声も二月の深夜の夜道も、吹きつける冷たい風をもどこか他人事のように感じながら、おれは思った。
あるじゃないか、手間がかからず、お金もかからず、且つ猫と一緒に暮らす方法が。
おれは、まるでこの世に愛しいものはハニー(猫)しかいないかのような伊藤の横顔を見た。
こいつも鬼じゃない、始発まではまだまだなこの時間、まさか今日これからおれを追い返したりはしないだろう。
今日、泊まる。
明日もその流れで泊まる。
明後日は帰ろうか、明々後日はまた来よう。
そうして、徐々に伊藤の部屋に入り浸るのだ。
伊藤の部屋なのだから、家賃は当然伊藤が払う。
おれは今住んでいる部屋を解約するだけでいい。
伊藤の部屋には猫がいる。
おれは伊藤の部屋に住んで、結果、猫と一緒に暮らすことができる。
しかも、その“猫”とは愛しいこの、ハニー(猫)だ!
伊藤のグフフ笑いに、おれの口から漏れるクックックという声も重なる。
伊藤はにょんちゃん(猫)のピンクの鼻をつっつきながら、不思議そうにおれを振り返ったので、おれはにやりと笑って見せてやった。
おれたち、遠慮のない友人同士なんだもんな。
なあに、きっとうまくやっていけるさ。
いつの間にか猫馬鹿トークへと変わった遠藤さんと沖田さんのディベートを意識の外で聞きながら、おれは伊藤と、そしてにょんちゃん(猫)に、ちいさく呟いた。
これから、よろしく。
『深夜 公園で 大学生と子猫が ビジネスケースを ひっくり返した』完
★★★★★
終わったああああぁぁぁぁ
長かったよ~
途中なんら関係ないエピソードを書いて終わって話を進める気がない人がいたよね。
怒らないから出頭おし。
笹井 4
照夫 4.5
コココ 4
笹井 4
照夫 17.5
私はwordに20文字×20行×2段のリレー用書式を作ってそこにコピペ&執筆しておりまして、いずれ本にしようと思っているのですが、上記は今回のリレーの文章量を原稿用紙に換算してみた数です。
つまり、私の書式の1ページの半分が400字詰原稿用紙1枚なのだな。
ラストの私のパートだけ桁が違うんですけど!!
原稿用紙17枚半も書いてるんですけどちょっとー!!
話が起承転結の承から進んでなかったからラストパートで一気にまくりましたゆえ、かなりむちゃくちゃに転!結!終わり!ってなりました。
最後のくだりの高杉、こいつやっぱかなりホラーだな……と思って書いてたんですが、読みようによってはほのぼの。
私は怖いと思って書いてました。
はー、まあなにはともあれ終わった!
これでこころおきなく夏の修羅場に入ります!
今年もまた夏がおたくで終わる……照夫でした。
頑張った!!
あ、久しぶりにもう書くなってブログが怒ってる……