SARSや謎の新興宗教交通妨害、GW行楽特集など、今年のこの時期マスコミは猫の手も借りたい人員不足らしく、私のゴミ拾いを取材しに来ているのは、官邸付きのいつものメンバーのみだった。
いつもの顔ぶれにいつものようににこにこして見せながら、私は割合本気で一心不乱ににぎりめしを頬張る。まるで天上の食べ物を口にしているかのような笑顔を作れている自信が、私にはあった。実際腹も減っていた、ということも大いにあるのだが。
ところで、にぎりめしを箸で食べるというのは、普段からやりなれていないとなかなかに難しい。
「総理」
榊が私の前に、スッと立った。
「ん?」
「おべんとうが」
弁当は今食べているじゃないか―――私の思考が、『べんとう』というのが頬についた米粒を言うこともあるのだろうというところへ行き着く前に、ひんやりとした榊の手が伸びた。
「………!?」
どよっと場の空気がざわめいた。
榊の指が私の頬を滑って、そこについた米粒を取ったのである。
「な、な、な……!?」
「……あ……」
榊の狼狽する顔、というものを、私はおそらく、本当に初めて見た。
「も…もうしわけございません……!」
三文ハーレクイン小説のように、榊はスーツの裾を翻して駆け去ってしまった。
「さ、榊……」
しばらく呆然とする以外に、私になにができただろう――しかし、私は榊がいなければ政治家としてはおろか、人としてだって上手く立ち行ける自信がない。よく分からないながらも腰を芝生から上げ、私は榊を追おうとした。
「あ、ちょっと、総理~」
私の衝動に水を注したのは、『緑の島を守る会』のうちの一人だ。
「ゴミ、ゴミはいけませんよ~! きちんと捨ててください~!」
「えっ……」
どうやら食べかけのにぎりめしの笹の葉と割り箸のことを言っているようだ。でも、まだにぎりめしは純然と存在しているのに――ゴミに対して過敏な彼らは、目に危ない光りすら点している。
「……分かりました」
ぐわっと手掴み残りのにぎりめしを口に詰め込み、割り箸と笹の葉をゴミ袋に突っ込むと、私は今度こそ猛然と榊の後を追った。
「あ~あ、やっちゃったね、榊サン」
私の背中に、マスコミのうちの一人、皺の数すら覚えてしまった記者の呟きが投げかけられたが、それに気を回している余裕はなかった。
「榊!」
榊は少し離れた、人気のない場所に一人、佇んでいた。
走ってきた私の姿を認めると、榊は気まずげに視線を地に落とし、搾り出すような声で言った。
「総理……私を罷免してください」
「な……何を言うんだ、別に、あんなことぐらい私は……」
言いながら、私はくすぐったいような気色悪いような気分に苛まれていた。だってこれは、こんな空気は、これではまるで―――
「あなたのような人がいて、その人に誠心誠意尽くすのは難しいことだと、ご自身で感じたことはありませんか? ―――何の下心もなくは」
言葉はかなり遠回りである。しかし、この場の空気は、榊の言葉のその意味を、嫌と言うほどありありと私に伝えてきた。
「好きなんです、あなたが」
心のなかでは、ギャーと叫んだ。ありありと伝わったのに、さらに念を押すな!
しかし、全身チキン肌になっているというのに、私の口は私自身も意外な言葉を口走る。
「さ、榊! それでもいい! 私にはお前が、お前が絶対に必要なんだ……!」
「総理……」
「辞めないでくれ! 私のそばにずっといてくれ!」
「……はい」
榊が涙をうっすら浮かべた顔、というものを、私は本当に初めて見たのだった。
「お弁当を一心に食されている総理があまりに可愛かったので、ついあのようなことをしてしまいました。お許しください」
「……ああ、いや、……うん……」
榊と二人してゴミ拾いの場所まで歩いて戻りながら、私は内心戦々恐々としていた。
ただならぬ現場をマスコミに目撃されてしまったからである。
しかし、そのことを榊に恐る恐る聞いてみると、
「ああ、それなら心配いりません。マスコミの方々には事前に根回ししてありますよ。今日来ていた面々なら、
ほとんど全員私の気持ちは知っています」
「―――」
一瞬眩暈がしたのは、眩しい直射日光のせいだけではあるまい。
「どうかしましたか? 根回しの賄賂は私のポケットマネーです、何もまずいことはありませんが」
馬鹿と天才は紙一重、とはよく言ったものだ。神経の使いどころが完全にズレている。
現場に戻ると、記者たちに何を吹き込まれたものか、『緑の島を守る会』の人々は何事もなかったかのようににこやかに私たちを迎えてくれた。情報操作はマスコミの最も特異とするところである。
私がなにげなく手にしたゴミ袋には、私が捨てた割り箸と笹の葉が入っていた。榊はそれに視線をやり、嬉しげに呟く。
「急いで私を追って来て下さったんですね、総理」
「……ああ」
「次のご予定までに時間があれば、お食事を急がせたお詫びに、私がなにか作りましょうか?」
「……なんだ、それは。お前、何者だ?」
呆れて私が言うと、榊はしれっと答えた。
「ただの優秀なフケ専です」
その後、優秀なフケ専秘書との絆が深まったおかげで、大泉総理の政治手腕は触れれば切れるかのように冴え、さらに、一種独特な雰囲気を醸し出すようになったことで、若い女性とゲイを中心に支持率がグングン上がった。
それら全てが、ゴミ拾いの場でにぎりめしを食べ、割り箸を捨てたことに起因しているとは、総理とその第一秘書と、一部の
マスコミしか知らない秘密である。
終
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お題は【五月三日に・総理大臣が・山で・割り箸を・投げた】でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
すべてが遅すぎますが、極めてスレスレな表現はスルーの方向で(本当に遅い)
いつもの顔ぶれにいつものようににこにこして見せながら、私は割合本気で一心不乱ににぎりめしを頬張る。まるで天上の食べ物を口にしているかのような笑顔を作れている自信が、私にはあった。実際腹も減っていた、ということも大いにあるのだが。
ところで、にぎりめしを箸で食べるというのは、普段からやりなれていないとなかなかに難しい。
「総理」
榊が私の前に、スッと立った。
「ん?」
「おべんとうが」
弁当は今食べているじゃないか―――私の思考が、『べんとう』というのが頬についた米粒を言うこともあるのだろうというところへ行き着く前に、ひんやりとした榊の手が伸びた。
「………!?」
どよっと場の空気がざわめいた。
榊の指が私の頬を滑って、そこについた米粒を取ったのである。
「な、な、な……!?」
「……あ……」
榊の狼狽する顔、というものを、私はおそらく、本当に初めて見た。
「も…もうしわけございません……!」
三文ハーレクイン小説のように、榊はスーツの裾を翻して駆け去ってしまった。
「さ、榊……」
しばらく呆然とする以外に、私になにができただろう――しかし、私は榊がいなければ政治家としてはおろか、人としてだって上手く立ち行ける自信がない。よく分からないながらも腰を芝生から上げ、私は榊を追おうとした。
「あ、ちょっと、総理~」
私の衝動に水を注したのは、『緑の島を守る会』のうちの一人だ。
「ゴミ、ゴミはいけませんよ~! きちんと捨ててください~!」
「えっ……」
どうやら食べかけのにぎりめしの笹の葉と割り箸のことを言っているようだ。でも、まだにぎりめしは純然と存在しているのに――ゴミに対して過敏な彼らは、目に危ない光りすら点している。
「……分かりました」
ぐわっと手掴み残りのにぎりめしを口に詰め込み、割り箸と笹の葉をゴミ袋に突っ込むと、私は今度こそ猛然と榊の後を追った。
「あ~あ、やっちゃったね、榊サン」
私の背中に、マスコミのうちの一人、皺の数すら覚えてしまった記者の呟きが投げかけられたが、それに気を回している余裕はなかった。
「榊!」
榊は少し離れた、人気のない場所に一人、佇んでいた。
走ってきた私の姿を認めると、榊は気まずげに視線を地に落とし、搾り出すような声で言った。
「総理……私を罷免してください」
「な……何を言うんだ、別に、あんなことぐらい私は……」
言いながら、私はくすぐったいような気色悪いような気分に苛まれていた。だってこれは、こんな空気は、これではまるで―――
「あなたのような人がいて、その人に誠心誠意尽くすのは難しいことだと、ご自身で感じたことはありませんか? ―――何の下心もなくは」
言葉はかなり遠回りである。しかし、この場の空気は、榊の言葉のその意味を、嫌と言うほどありありと私に伝えてきた。
「好きなんです、あなたが」
心のなかでは、ギャーと叫んだ。ありありと伝わったのに、さらに念を押すな!
しかし、全身チキン肌になっているというのに、私の口は私自身も意外な言葉を口走る。
「さ、榊! それでもいい! 私にはお前が、お前が絶対に必要なんだ……!」
「総理……」
「辞めないでくれ! 私のそばにずっといてくれ!」
「……はい」
榊が涙をうっすら浮かべた顔、というものを、私は本当に初めて見たのだった。
「お弁当を一心に食されている総理があまりに可愛かったので、ついあのようなことをしてしまいました。お許しください」
「……ああ、いや、……うん……」
榊と二人してゴミ拾いの場所まで歩いて戻りながら、私は内心戦々恐々としていた。
ただならぬ現場をマスコミに目撃されてしまったからである。
しかし、そのことを榊に恐る恐る聞いてみると、
「ああ、それなら心配いりません。マスコミの方々には事前に根回ししてありますよ。今日来ていた面々なら、
ほとんど全員私の気持ちは知っています」
「―――」
一瞬眩暈がしたのは、眩しい直射日光のせいだけではあるまい。
「どうかしましたか? 根回しの賄賂は私のポケットマネーです、何もまずいことはありませんが」
馬鹿と天才は紙一重、とはよく言ったものだ。神経の使いどころが完全にズレている。
現場に戻ると、記者たちに何を吹き込まれたものか、『緑の島を守る会』の人々は何事もなかったかのようににこやかに私たちを迎えてくれた。情報操作はマスコミの最も特異とするところである。
私がなにげなく手にしたゴミ袋には、私が捨てた割り箸と笹の葉が入っていた。榊はそれに視線をやり、嬉しげに呟く。
「急いで私を追って来て下さったんですね、総理」
「……ああ」
「次のご予定までに時間があれば、お食事を急がせたお詫びに、私がなにか作りましょうか?」
「……なんだ、それは。お前、何者だ?」
呆れて私が言うと、榊はしれっと答えた。
「ただの優秀なフケ専です」
その後、優秀なフケ専秘書との絆が深まったおかげで、大泉総理の政治手腕は触れれば切れるかのように冴え、さらに、一種独特な雰囲気を醸し出すようになったことで、若い女性とゲイを中心に支持率がグングン上がった。
それら全てが、ゴミ拾いの場でにぎりめしを食べ、割り箸を捨てたことに起因しているとは、総理とその第一秘書と、一部の
マスコミしか知らない秘密である。
終
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お題は【五月三日に・総理大臣が・山で・割り箸を・投げた】でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
すべてが遅すぎますが、極めてスレスレな表現はスルーの方向で(本当に遅い)