「ホンハフン(本田君)」
「はっはい。何ですか? 課長」
わての声は笑いのせいでしまって震えていた。
「ハホヒガハフンハガ(頼みがあるんだが)……」
「わかってます、わかってますって。ちゃんとこのことは会社の連中には秘密にしときます」
「ヒハフ(違う)! ホンナホホガヒヒタヒンハハイ(そんなことが言いたいんじゃない)!」
何を言うてんのかさっぱりわからへんかったけど、課長の迫力に押されて、わては口を噤んだ。
情けなさからなのか、課長の目には涙が浮かんでいた。わかる。その気持ちはわかるで! 確かにな。こんなことを会社の人間、しかも自分の部下に知れたら、わてなら今頃号泣やで、きっと。恥ずかしさ度はズラとどっちが上やろうな? わてならズラばらされるよりつらいわ、うん。そう考えると課長への同情心がむくむくと育っていった。
「ハハヒハハホヤヒガハベハインハ(私はたこ焼きが食べたいんだ)!」
でっかい声で課長は喚く。けど何を言うてんのかはさっぱりや。たこ焼きて聞こえた気ぃしたけど、たこ焼きが何なんか意味わかれへんし。
「あの、何を言ってるのか、わからないんですけど」
無意識にゆっくり喋ってもうた。何かこんだけ言うてることがわかれへんと、外人と話してる気になってくんねん。
「ハハラ、ハハヒハ、ハホヤヒガハヘタインハ(だから、私はたこ焼きが食べたいんだ)!」
課長は右手をベンチに強く叩きつける。
いや、だからな、そんなんされても、何を言うてんのか全然わかれへんっちゅうねん!
わての言わんとすることを表情から読み取ったのか、課長はわてとの会話を諦めたようだ。右手で悔しそうに涙を拭うと、自分のブリーフケースを空けた。そしてメモとボールペンを取り出すと、何かを書き始めた。
――私はたこ焼きが食べたいんだ
差し出されたメモには、普段とはまるで違う乱れた字でそう書かれていた。
「………は?」
こんなときに何言うてんねん、この人は。そう思ってわては課長を見た。そこには澄んだ瞳があった。ああ、この人はほんまに心からたこ焼きを欲してんねんな。そう思わせる輝きが課長の瞳には宿っていた。
わては心を打たれた。感動した。関東人がここまでたこ焼きを愛してくれてるなんて……! 入れ歯が外れてまで、たこ焼きを食べたいなんて……!
そうや、たこ焼きの味に国境はないねや! わては吉田課長に今まで持っていなかった敬愛と信頼を覚えた。
「課長! わて、感動しました! 今まで課長のことをすかしたカッコつけやと思ってたけど、実はそんなんちゃうかったんですね」
「ハハッテフヘハノハ、ホンハフン(わかってくれたのか、本田君)。ハハヒホヒハハデヒヒホホホ、ホンハッハラヒホヒヒハヘンハトホホッテヒハヘホ、ヒンヒョウハフヘフイイヒホハッタンハヘ(私も今まで君のこと、女ったらしのいい加減だと思っていたけど、人情味溢れるいい人だったんだね)」
「何を言うてんのかさっぱりやけど課長!」
「ホンハフン(本田君)!」
わてと課長は右手を出して、がしっと握り合った。東京と大阪の心は強固に繋がった瞬間やった。きっと課長もそう感じているやろう。
「課長、待っとってください。わて鋏、持ってるんです。課長、ティッシュかハンカチ持ってはります?」
思わず言葉が大阪弁に戻ってしまっていた。けれどそんなことはもう気にならなかった。すべてをさらけ出してくれた課長に、隠す必要なんかないやないか。そう、わてらはもう立派なたこ焼き仲間になっていた。重々しく吉田課長は頷くと、ブリーフケースから千鳥格子柄の臙脂色のハンカチを取り出した。わてはそれを受け取ると、自分の鋏を丹念に磨く。
「完っ璧や!」
きらりと刃が輝いた気がした。
「課長! 行きまっせえ!」
わては気合いを入れて、鋏をたこ焼きに突き刺した。そしてちょきちょきと動かして、たこ焼きを細かく刻んでいく。それを課長は温かく見守っていた。
すべてのたこ焼きが流動食のように細かくなり、わてはそれを課長に差し出した。
「ハヒハホウ、ホンハフン(ありがとう、本田君)」
もう爪楊枝では抓めないので、課長は男らしく手掴みでどろどろになったたこ焼きに手を伸ばした。噛む必要はないが、じっくりと口中で味わっているのか、時間をかけて飲み込んだ。
「味はどうてっか? 課長」
わてはにっこり笑って問いかけた。もう愛想笑いやない、心からの笑顔や。
そして課長はわての顔を見て言うた。
「……ヒヒョウ(微妙)」
【完】
「はっはい。何ですか? 課長」
わての声は笑いのせいでしまって震えていた。
「ハホヒガハフンハガ(頼みがあるんだが)……」
「わかってます、わかってますって。ちゃんとこのことは会社の連中には秘密にしときます」
「ヒハフ(違う)! ホンナホホガヒヒタヒンハハイ(そんなことが言いたいんじゃない)!」
何を言うてんのかさっぱりわからへんかったけど、課長の迫力に押されて、わては口を噤んだ。
情けなさからなのか、課長の目には涙が浮かんでいた。わかる。その気持ちはわかるで! 確かにな。こんなことを会社の人間、しかも自分の部下に知れたら、わてなら今頃号泣やで、きっと。恥ずかしさ度はズラとどっちが上やろうな? わてならズラばらされるよりつらいわ、うん。そう考えると課長への同情心がむくむくと育っていった。
「ハハヒハハホヤヒガハベハインハ(私はたこ焼きが食べたいんだ)!」
でっかい声で課長は喚く。けど何を言うてんのかはさっぱりや。たこ焼きて聞こえた気ぃしたけど、たこ焼きが何なんか意味わかれへんし。
「あの、何を言ってるのか、わからないんですけど」
無意識にゆっくり喋ってもうた。何かこんだけ言うてることがわかれへんと、外人と話してる気になってくんねん。
「ハハラ、ハハヒハ、ハホヤヒガハヘタインハ(だから、私はたこ焼きが食べたいんだ)!」
課長は右手をベンチに強く叩きつける。
いや、だからな、そんなんされても、何を言うてんのか全然わかれへんっちゅうねん!
わての言わんとすることを表情から読み取ったのか、課長はわてとの会話を諦めたようだ。右手で悔しそうに涙を拭うと、自分のブリーフケースを空けた。そしてメモとボールペンを取り出すと、何かを書き始めた。
――私はたこ焼きが食べたいんだ
差し出されたメモには、普段とはまるで違う乱れた字でそう書かれていた。
「………は?」
こんなときに何言うてんねん、この人は。そう思ってわては課長を見た。そこには澄んだ瞳があった。ああ、この人はほんまに心からたこ焼きを欲してんねんな。そう思わせる輝きが課長の瞳には宿っていた。
わては心を打たれた。感動した。関東人がここまでたこ焼きを愛してくれてるなんて……! 入れ歯が外れてまで、たこ焼きを食べたいなんて……!
そうや、たこ焼きの味に国境はないねや! わては吉田課長に今まで持っていなかった敬愛と信頼を覚えた。
「課長! わて、感動しました! 今まで課長のことをすかしたカッコつけやと思ってたけど、実はそんなんちゃうかったんですね」
「ハハッテフヘハノハ、ホンハフン(わかってくれたのか、本田君)。ハハヒホヒハハデヒヒホホホ、ホンハッハラヒホヒヒハヘンハトホホッテヒハヘホ、ヒンヒョウハフヘフイイヒホハッタンハヘ(私も今まで君のこと、女ったらしのいい加減だと思っていたけど、人情味溢れるいい人だったんだね)」
「何を言うてんのかさっぱりやけど課長!」
「ホンハフン(本田君)!」
わてと課長は右手を出して、がしっと握り合った。東京と大阪の心は強固に繋がった瞬間やった。きっと課長もそう感じているやろう。
「課長、待っとってください。わて鋏、持ってるんです。課長、ティッシュかハンカチ持ってはります?」
思わず言葉が大阪弁に戻ってしまっていた。けれどそんなことはもう気にならなかった。すべてをさらけ出してくれた課長に、隠す必要なんかないやないか。そう、わてらはもう立派なたこ焼き仲間になっていた。重々しく吉田課長は頷くと、ブリーフケースから千鳥格子柄の臙脂色のハンカチを取り出した。わてはそれを受け取ると、自分の鋏を丹念に磨く。
「完っ璧や!」
きらりと刃が輝いた気がした。
「課長! 行きまっせえ!」
わては気合いを入れて、鋏をたこ焼きに突き刺した。そしてちょきちょきと動かして、たこ焼きを細かく刻んでいく。それを課長は温かく見守っていた。
すべてのたこ焼きが流動食のように細かくなり、わてはそれを課長に差し出した。
「ハヒハホウ、ホンハフン(ありがとう、本田君)」
もう爪楊枝では抓めないので、課長は男らしく手掴みでどろどろになったたこ焼きに手を伸ばした。噛む必要はないが、じっくりと口中で味わっているのか、時間をかけて飲み込んだ。
「味はどうてっか? 課長」
わてはにっこり笑って問いかけた。もう愛想笑いやない、心からの笑顔や。
そして課長はわての顔を見て言うた。
「……ヒヒョウ(微妙)」
【完】