tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『エルヴィス』…煌めくポップで遠い夢

2022-07-19 00:14:19 | 映画-あ行

『エルヴィス』、バズ・ラーマン監督、2022年、アメリカ、159分。原題は『Elvis』。

 

監督のバズ・ラーマンは、ど派手で、ドラマティックで、怪しくて、大きなもの__いわゆるお芝居的なものが好きなのかもしれない。

『ダンシング・ヒーロー』1992年、『ロミオ&ジュリエット』1997年、『ムーラン・ルージュ』2001年、『オーストラリア』2009年、『華麗なるギャツビー』2013年、と来て、『エルヴィス』。

 

「キング・オブ・ロックンロール」、42歳で亡くなったレジェンダリーなスーパースターを描くのに、その感覚はポップな額縁として悪くないような気はする。

煌めくビジューを散りばめたオープニング。ゴールドで囲まれ、光を反射する真っ赤な`ELVIS’の文字。

 

絢爛豪華なスクリーンであればあるほど、進行する物語に儚さを感じる方式は、『ロミオ&ジュリエット』と変わらない。

 

エルヴィス・プレスリーのレコードも持っていないし、テレビ番組やWikipedia以上に彼の事を知ってはいないけど、愛の迷子として描かれるスターは最後まで子供のようだった。まるで昔むかしに見た、ぼんやりとした遠い夢。

もう一人、脚本家のようにストーリーを操る豪腕、マネージャーの「トム・パーカー大佐」がいる。

演じるのは、トム・ハンクス。

 

リアリティを一手に引き受けたようなこの悪役が、心地よいうたた寝から起こす目覚まし時計の役割をしてくれる。

有り難いかどうかは、観る人次第というところかな。

 

↑エルヴィスを演じたオースティン・バトラーは、クランクアップの翌日、倒れて体が動かなくなってしまったそう。

ライブ・シーンも沢山あり。オースティンの振付は、『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックの振付と同じ人らしいです。


夏の終わり、と『溺れるナイフ』

2021-09-06 23:05:32 | 映画-あ行




 8月31日で夏は終わる。

 なんて思い込みをいつから自分が持ってるのか分からないけど、今年は確かに8月31日に夏が終わった感じがして、ビックリ。こんなことある?

 9月6日の今日が、10月中旬から下旬の気温とは。9月はどこ行った?

 ラジオから流れる「セプテンバー」 (Earth, Wind & Fire) の歌詞が気になって検索したら、実は舞台は12月。9月のことを思い出してる歌詞だと知ってまたビックリ。視聴時の体感は12月ということでお願いします。
 いえ大丈夫です。
 
 ところで昨夜、「溺れるナイフ」をdTVで観た。

 山戸結希監督、2016年、日本。111分。
 小松菜奈/菅田将暉主演。重岡大毅、上白石萌音。原作はジョージ朝倉、同タイトルコミック。

 原作を読んでいないのでアレですが、Wikipediaを見たところでは、結構設定が異なるようだ。全17巻の漫画を約2時間の映画にするんだから、違って当たり前ではある。


 映画版では、主人公の15歳夏(中学3年)から16歳夏までのストーリーということ。

 登場人物が全く15歳に見えなくて戸惑った。とは言え、とにかく主演の二人が美しかったので個人的には問題なし。
 
 少年少女の全能感溢れる世界が崩れ去ってから、再び、それぞれ個別の世界を見いだして行く物語と受け取った。
 後半はかなり感覚的な感じだった。
 自分は結構好きな描写で、勝手に「パラレルワールド」と解釈して楽しんで観た。
 カオスなんてカオスにしか描きようがないよね。ちょっと間延びしたようにも感じたけど、コウ(菅田将暉)の世界を表すのには、あれくらい必要だったのかもしれないな。逆に夏芽(小松菜奈)の世界は分かりやすくて有り難かった。

 夏の夜の夢。

 この山も、海も、空も、全部コウちゃんのもの。わたしも、コウちゃんのもの。
 少年、少女時代の終わりと夏の終わりはちょっと似ている。
 
 ただ有難いことに、夏の終わりは何回も繰り返しやって来る。

 一人一人の世界は、全部一人一人のものでいいよね。心象風景だから。
 その場所で、深呼吸をして、思い切り笑おう。

 そういうハッピーエンドだと解釈して、夏に有難う、さようなら、またねと遠くから会釈する。

 

↓別バージョンの美しくも儚い二人がこちら。


 

『アデル、ブルーは熱い色』

2014-08-14 22:13:39 | 映画-あ行
 アブデラティフ・ケシシュ監督、2013年、フランス。第66回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品。


 大河ドラマだな、と思った。

 二人の女優さんの迫真の演技は、話題のセックスシーンだけではなく、アップのアデルはほんとうにすぐそこにいるようだった。

 人生の、ほんの一時、一時というより一滴くらいなもの。たかだか4、5年の間のことを、これ程までに押し広げて、まさにアップにしたように描けるのは、やはり20歳前後のことだからだろうか。う、美しい。


 そしてインテリはインテリを好む。お家柄っちゅうのは、いやすごいね。エマもまた、野心的な若い売り出し中の画家なんだから、許してほしい。その冷酷さを。アデルのふつつかさだけのせいではない、エマの野心もまた、別れを引き寄せたし、それを正当化する原因となる。

 アデルが文化系家庭出身のインテリ文学少女で、ブルーの髪のエマが、その日暮らしの肉体労働者、という逆(とも言えないけど)の立場だったら。そしたら…、あまり話が面白くないんだろうなあ。


          


  

『アイ・ウェイウェイは謝らない』

2014-07-31 22:19:28 | 映画-あ行
 上映を見逃したので、DVDで観た。

 艾未未(アイ・ウェイウェイ)は、北京出身の芸術家。
 Wikipediaには、現代美術家・キュレーター・建築家・文化評論家・社会評論家、と肩書きがある。

 関係ないけど、Wikipediaに寄付の要請が出て、寄付をしようとすると、いつもクレジット決済でつまづく。どうして。他では使えているカードなので、理由が分からない。「ダメでした。」と最後に言われるたんびに、なんだかがっかりする。そうじゃないんだけど、こっそり盗み使ってるような気にもなるので、どうにかしておくれ。

 
 話は戻って、アイ・ウェイウェイ。
 
 映画の中の彼の「作品」は、それが政治的なものであっても、政治的に第三者である私(他国人なのだから、第三者だろう)も見入ってしまう。メッセージに引きつけられ、シリアスでありつつ、ユーモラスでスマートで、愛しささえ感じる。過激なんだけど、ヒステリックじゃない。

 洗練されつつ、愛される。彼の容貌だけじゃないだろう。 


(想像だけど)本来は、ものすごく政治的ではない人が、政治的な物事にものすごく、コミットしている。中国政府はなぜそんなに、手足や思考を縛るのか。
 現代中国の知識人のうちの、大きな一人、アイ・ウェイウェイのドキュメンタリー。


 アリソン・クレイマン監督、2012年、アメリカ。サンダンス映画祭審査員特別賞、ハーグ映画祭学生観客賞など受賞。

   
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『エレニの帰郷』

2014-07-29 23:18:13 | 映画-あ行
 劇中劇、母エレニ「役」の俳優さんが、ある瞬間から本物の母になったり、物語が突然現在から過去へ飛んだりする。

 SF的と言えばSF的。
 サイエンス・フィクションではないかもしれないけど、人の心の動きはそういうものかもしれないなと思った。思いは飛ぶと。私たちは昔を思い出している時に、どこかの次元で、もう一度それを演じているのかもしれない。
 SFだって人が考えていることなのだから、同じようなものかもしれない。

 この作品を遺作にして亡くなってしまったテオ・アンゲロプロス監督だけど、素晴らしい遺作だと思う。
 巨匠らしい、堂々たる優雅さ、そして自由さ、と言うんだろうか。俳優さんも素晴らしい。


 原題は、『Trilogia II: I skoni tou hronou』。ギリシャ語が分からないけれど、英語訳だと『The Dust of Time』らしい。

 エレニを思い続けるヤコブが、おどけて言う。「時の埃は降り積もる、大きなものにも、小さなものにも」
 監督がいなくなった今も、時の埃は降っている。テオ・アンゲロプロスの歴史感覚は、大きなものから小さなものまで内包して、ゆったりと切なく流れて行き、物語とは関係なく泣きそうになった。母、母、母。劇なのか、本物なのか。大いなる他人への慕情もしかり。

 字幕は池澤夏樹さん。
 

 テオ・アンゲロプロス監督、2008年、ギリシャ・ドイツ・カナダ・ロシア合作。


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『アクト・オブ・キリング』

2014-05-15 22:17:24 | 映画-あ行
 裁かれる悪はどこなのか、観ている間中、焦点が合わなくて困った。

 虐殺者アンワルによる、自身の過去の相対化。次第にそれがあらわれてきて、それがこの映画の肝の一つなのは分かるけれど、それさえも吐き気を催す。どんな状況にせよ人間が崩れていくのを見て、心地よいわけがない。
 この映画をまだ観ていない人には、とりあえず観てと、言うしかないけど、ここには何かが決定的に欠けている。

 映画の意図に欠けているのか(わざと欠けさせているのか)、登場人物たちの精神や世界に欠けているから、結果として欠けているのか、よく分からない。とにかく目立つのは人為の俗悪さだけで、それが全編満ち満ちている。
 言ってみれば、天為や自然はどこへ行ったんだろうか。あるはずのものが(私はそう思うのだけど)ないので、あまりにもバランスに欠けて気持ちがわるいのだ。
 インドネシアの土地や、国を全く知らないので、何も言えない。


 観た翌日に、たまたまインドネシア経済の研究者に会ったので、この映画の話をしたところ、「インドネシアは何万という島で出来ているから、一つの国として見るのは誤りだ」と言われた(彼はこの映画は観ていない)。それでますます焦点が合わなくなった。


 ジョシュア・オッペンハイマー監督、共同監督クリスティン・シン、2012、デンマーク・ノルウェー・イギリス。


     

『永遠のこどもたち』

2014-01-15 19:11:46 | 映画-あ行
 『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ監督は「結構いい映画作ってるんだよ」とある筋(?)の人が言うのを聞き、DVDを借りて観た。
 特殊メイクや特撮のプロみたいで、ファンタジーでは「ホビット」シリーズなどを撮っている、その筋(?!)の人なら知ってて当然の有名人みたいだ。知らなかった。

 『永遠のこどもたち』は監督ではなく、製作総指揮ということ。監督はJ・A・バヨナ。しかし画面にはギレルモの名前がばーんと出ていた。有名なんだ…!と打ち震える(それは嘘)。ギレルモ…、というかデル・トロ…。

 
 ホラーだった。

 普段ゾンビ以外のホラー映画はほとんど観ない。日本のホラーは絶対に観ない。あまりにも怖いから。なぜゾンビはいいのかと言うと、身近にいる気があんまりしないので気楽に観られるし、後を引かないのがいい。じゃあ日本のお化けは身近なのかと言うと、一度も見たことないし霊感ゼロなんだけど、でもやっぱり怖い。「もしかしたら!」「トイレとか」「棚の上とか」「テレビとか」「うしろ」…。うきゃ~!

 でもこれはホラーと言ってもちょっと違っていた。
 怖いのは、すべてがそれなりに現実につながっているというか、説明がつくことというか。そして謎が解かれた時に、その解のあまりに現実的で散文的な、無愛想さに人はもっとも耐え難いものを感じるのではないか…、ということ。

 怨念はまだいいのかもしれない。

 もっと、もっと、取るに足らないような、無味乾燥な日々の小さな出来事に人は苦しめられている…。


 (という映画ではなかったかも知れない…汗)


 面白かったです。
 
 J・A・バヨナ監督、ギレルモ・デル・トロ製作総指揮、2007年、スペイン・メキシコ。


 ******
 実は『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督と、ギレルモ・デル・トロ監督を、取り違えておりました。
 冒頭「『ゼロ・グラビティ』のギレルモ・デル・トロ監督は、…」を、「『パシフィック・リム』の…」と書き直したのですが、わたくし『パシフィック・リム』を観ていないばかりか、「いい映画を作ってるんだよ」と言われたのは、実はキュアロン監督だった可能性が高く、かと言ってギレルモを貶めるようなことも(「違った」と否定するのも)心ならず、…。
 苦い。
 人の話をよく聞くように。そして『パシフィック・リム』を観よう。


 
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『終わりゆく一日』

2013-10-29 00:12:34 | 映画-あ行
 不在の物語、閉じこもって夢を見ている駄々っ子の物語だ。

 空が、日本の空とは違うなあと思った。最初はただ雲が撮りたかったんじゃないかと思った。乾いた空にただただ流れて行く雲。早回しの雲は、リズミカルで切なくて、なんとものびやかで力強い。

 人間の一日も、色んな人の色んな一日がごたまぜのいっしょくたになって、早回しにしたら、もくもくと流れる雲のようになるかもしれない。そんなの自分は嫌だと言う人もいるかと思うけれど、私はわりとそれでいい。そういう感じは好きだ。それを見る自分は、高層アパートの一室にいる。ドアを開け、エレベータか階段で下へ降りてしまったら、一巻の終わり。宙に浮いた中間地点で、うじうじと雲を追っている。正視できないかもしれない。死んだ猫を思い出す。色んな事を思い出して、うっとりしてしまうかもしれない。そういえば関係ないけど、最近新しい夢を見るので、寝ていて楽しい。

 トーマス・イムバッハ監督、2011年、スイス。

 ドキュメンタリーとフィクションの間のような作品を撮っている監督らしいです。正にそういう映画だった。とっても面白い。ユーロスペースにて。


   

『アイス』、『マイルストーンズ』  ロバート・クレイマー

2013-08-17 09:46:29 | 映画-あ行
  
 「アメリカを撃つ 孤高の映画作家ロバート・クレイマー」、という特集上映。 『アイス』(1969年)、『マイルストーンズ』(1975年)。

 60年代、70年代には何が起こったんだろう。憧れにも近い形でその残り香を嗅ぐ。ただしその時代に生きた人たちに向いた反発心を日々はじけさせつつ。また自分がその時代に自我として生きていたとしても、ネクタイをしめ、もしくは三つ折りの靴下を礼儀正しくも(もしくは慇懃無礼に)履いていたような気がしつつも。

 どうでもよいことだけれど、私自身はあまり直接的なものは好きではない。でも、あんまり抽象的なものも困ってしまう。その中間がいい。そこそこがいいのだ。そこそこ?その気分は現代的なものなんだろうか。ただ時代の気分に乗っているだけか、個人的なものなんだろうか。

 これほど作家というか、作家=撮ってる人を感じさせない映画は初めてかも。ドキュメンタリーとフィクションの合いの子のような映画だけど、フィクションの部分でさえ、私は作家性を感じなかった。感じなかったのではなく、もしかしたらロバート・クレイマー自身が、忘れていたのかもしれない。自分自身を映し出すのを忘れていたのかもしれない。映像の向こうを見つめすぎていて。そういう意味では、この二本の映画においては、私はこの監督が好きだ。そしてこの人には、確かに「孤高の」という冠がふさわしいのかもしれない。垂直性を持たない、「水平方向に転がり続ける、孤高」という意味で。


  


『アウトレイジ ビヨンド』

2013-07-29 21:53:00 | 映画-あ行
 前作よりこちらの方が面白かった。

 セリフを増やしたということだけど、その方が楽しい。

 
 大友のキャラクターは、やはり監督の分身なんだろうな。惹かれる。繰り返し繰り返し、今後も描いて欲しい。

 言ってみれば、守るものはなく、計画性もなく、欲という欲もない。策略というものがなくて、直観と感覚で行動する。頭は切れるが、そこには明らかに欠陥がある。恐怖がない。
 遺伝子レベルで(いわゆる恐怖遺伝子が)ないのか、それとも自ら穴をうがったか。その内幕は描かれないのである。

 愛嬌というのは、持って生まれるものなのかな。愛嬌は、わりあい大切だと思った。

 北野武監督、2012年、日本。


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