日本国中受難の日々が続いていますが
昨日震災前に初めての赤ちゃんが誕生した
実は結婚の際ブーケを作らせていただいたカップルで
6か月になったベビーを見せに来てくれました
お二人の実家も被災されたそうで
地震の後みんなで避難したものの
ミルクやおむつを十分に持って出なかったため
新米パパさん
道路も寸断された中
あちこちの避難所や保育園から
毎日少しずつ分けてもらっていたそうです
それもはじめはミルクもおしりふきやおむつも1回分ぐらいの量しか
渡されなかったそうです
とても苦労されましたね
その分丈夫にたくましく育つことを願っています

フエルトバッグのバラのアレンジその3

ティッシュ de ふらわ~作品


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棕櫚の上部にはえてきたゆり
なんと昨年は1本だったのに
ことしは3本に

植物ってたくましい

8月1日に撮ったものです

今朝の様子
フエルトバッグのアレンジ

日本国中
世界一に輝いた
なでしこジャパンの帰国を
待っていたことでしょう
さきほど成田に着いたところを
テレビで見ていました
被災地だけでなく
日本に
元気と勇気をくれましたね
なでしこJAPAN


かなり前のことですが
泊まったことのある

シュロス クロンベルク

ゴルフ場のある
リゾートホテルです
先日新聞に挟まれてきた防災対策の一覧表を見ながら
震災直後のことを思い出してみた
そういえば電池の買い置きをしてなくて
家じゅうの目覚まし時計や体重計などから取り出した
ラジオがない!!
CD部分だけ壊れたラジカセを
ついこの間捨てたことをとても後悔した
何の情報も聞けない
電話はもちろん
地震直後一瞬だけつながった携帯も何の役にもたたなかった
息子が車のエンジンをかけラジオを聞いて戻ってくる
どうやら大変な事態が起きたようだ
テレビが見たい
そうだ

うちには携帯テレビがあった
と息子が言った

実はこのテレビ
息子が高校の寮にいたとき
テレビ持ち込み禁止で
所謂孫には甘いおじいちゃんが
かわいそうにと息子にくれたテレビだった
こんなところで役に立つとは
と思った
携帯電話がすっかり使えるようになるまで1週間
家電は光回線ではないお宅の方がはやくつながった
うちは1か月半以上かかった
これからますます便利さが優先されるだろう
でもこういった非常事態には
あらためてアナログの大切さがわかった様な気がする
人々はいつもなら車で行く道を
何時間も歩き
きれいな川の水を汲みに行く
真っ暗な夜をろうそくの炎で照らす
そんな非日常的なことは
昔の日常だったはず
庭に咲いたピンクのバラ

SWEET

こちらはティッシュ de ふらわ~作品です。

やっとネットがつながりました。今まで私たちの安否を心配してくださっていた皆様ほんとうにありがとうございました。今回のことは未だに悪い夢を見ているようで,家から一歩外に出ると辛い現実に引き戻されます。何人かの知人が亡くなったり,安否の分からない状態です。
3月11日は津波に襲われる数時間前まで市内で最も被害の大きかった場所におりましたので,今思うと背筋が凍りつきます。運が良いとしか言いようがありません。地震は帰宅して間もなく起こり,あまりに大きかったので,おさまってから庭に出てみると,津波警報のサイレンと人々のどよめきが聞こえてきました。二男が“屋根が流れてるよ”というので海の方を見ると海面が上がり流されていく家屋や船が見えました。ですが下に通じる道路はすでに地元の消防団によって行けないように塞がれていたので下の様子は全くわかりませんでした。
家に戻って,電気と水道を確認すると電気も水もストップしていました。これは大変と,慌てて懐中電灯や電池,食料品などを家じゅうからかき集めました。夜になり暗くなると工場の方から火災による爆発音が聞こえ恐怖と不安が襲ってきました。帰宅する際すれ違った夫が帰ってこなかったのです。“絶対大丈夫,きっと避難所で子供たちや住民の人たちのお世話をしてるんだ。”と自分に言い聞かせながら,眠れない夜を過ごしました。翌日の夕方,夫は普段は車で10分ほどの避難所となった職場から,回り道して3時間かけて一時帰宅しました。無事が確認できほっとしたのもつかの間夫はしばらく避難所に寝泊まりするとのことでした。私と息子たちも翌日手分けして避難所のお手伝いに行きました。
私達一家はとても幸運でした。4日目には電気がつき,テレビで津波の被害が東北の太平洋沿岸部全域にわたっていることを知りました。8日目にアメリカのジュリアンからバースデイカードが届き,郵便物が配達できることを知りました。さらに10日目には水道が復旧しました。同じ市内でもまだ水道が出ない地域があります。停電だった時,私は庭のガーデン用ソーラライトを夜いざというとき外に出られるよう部屋のドア付近やトイレなどに配置しました。昼間のうちに外で充電しておけば朝まで光っていました。余震が続くのでろうそくのように火事になる心配がなく少々暗いですがとても重宝しました。
水が出なかったときは近くに沢や井戸水があり,最初はバケツなどに汲んでいたのですが,キャリーケースに2リットルのペットボトルをたくさん入れて運びました。女の私にはポリタンクは重いのでキャリーケースが重宝しました。それと料理やお皿を洗うときに大きな容器よりペットボトルの方が使いやすく,歯磨きや顔洗いに洗面所にも1ぽん置いておきました。
22日目の朝新聞が届くようになり,お陰様で私たちの生活はほぼ以前と変わりなく暮らせております。
昨日は震災後初めてネットに寄せられた皆様のコメントを見たり,私達のためにこんなにも多くの人たちが安否確認のために努力してくださっていたことを知り,とりわけ私の妹二人,実の妹とアメリカで暮らすジュリアンが必死で情報を集めていてくれたことに感謝しています。また震災後4時間もかけて自転車で北上から無事の確認に来てくださったAさん,いとこののりちゃん,ほんとうにありがとうございました。
今後のことですが,しばらくはブログをお休みして亡くなられた方々のご冥福を静かにお祈りしたいと思います。
何らかの形で大船渡市のお役にたてたらと思いますが,今はどうしたらいいのかわかりません。皆さんが是非訪れたいと思うような素敵な街になってくれればと願っています。
実は震災前にボンドホビータウンに応募した作品が現在ホビーショウが開かれている東京ビッグサイトのコニシブースに実物は送ることができなかったのですが,コニシ様のご配慮により写真で展示中です。
(ホビーショウは4月29日で終了しました。)
て。ふ。て。ふ。
ボンドとワイヤーワークの作品です。

写真1枚をデジカメで撮って自宅印刷して持っていったら
却下されました。
ちゃんと写真屋さんかボックスのスピード写真で撮らなきゃダメなんですって
慌てて撮りに行き無事更新できました。
バラの小箱

ティッシュ de ふらわ~作品


早く被害にあわれた方々が救出されることをを願っています。
Compassion


チョコの話題です。
北海道のお土産に
夫が買ってきたチョコ
まだ食べてなかった。
ロイズコンフェクトの生チョコレートです!

それと
チョコレートケーキを作りました。
バター50gを溶かし,小麦粉60g
を一気に入れて掻き混ぜココア30gを入れます.
卵黄2個分と生クリーム50ccを足して掻き混ぜます。

卵白4個分に砂糖80gを入れたらホイップして

角がたつまで泡立てて先ほどのココアと切るように混ぜ湯銭で焼きます。

で
こんな具合に出来ました。
生地にはラム酒を浸み込ませて大人の味にしました。

ハートのブローチ
ワイヤーワーク

