よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

一般理論を読む 改訂版 はじめに

2022年05月31日 | 一般理論を読む 改訂版
*写真はオークションサイトで$9,000~で売られていた初版本
はじめに

 ケインズが一般理論を書いた背景には、自由に対する危機感がある。計画経済のほうが優れているのではないか?という疑問に対しての焦燥感、ナチスやソ連の台頭を前にしての焦燥感でもあり、「自由放任では、肝心の自由が守れない」という理論的確信でもある。
  今また世界経済と統治機構の破綻が明らかになりつつある。世界秩序の崩壊も迫りつつあるかもしれないときに、ケインズ後の経済学者は、みな自由放任の旗の擁護者へ転落してしまった。今や新「自由」主義が少数者の専制に過ぎないことは誰の眼にも明らかである。しかし、ケインズ後の経済学者は、みな専制君主の正当性を擁護する司祭に成り下がってしまった。そこで、ケインズの一般理論を読んでいこう、というわけだ。

一般理論は「難解」なのか?

 世上よく「難解である」とされるケインズの一般理論だが、難解である唯一の理由は一般理論が「我々の常識」に挑戦しているからである。永く生きた人ほど、培ってきた常識を捨てるのは困難である。これがこの本を分かりにくくしている。ケインズも最終章で書いている。「というのは経済学や政治哲学の分野では25歳から30歳を過ぎた後では新しい理論を受け入れるのは難しいからである。
 底本は邦訳:雇用、利子および貨幣の一般理論上・下巻ケインズ著間宮陽介訳岩波文庫2012年4月5日第7刷発行を使い、一部ネット上の原文を参照した。本稿中、現代正統派経済学という呼称が出てくるが、これは筆者独自のものである。従来は新古典派総合などと言われていたが、自らそう規定していない経済学者も非自発的失業の存在を否定しているので、あえて新古典派と呼ばず現代正統派経済学という呼称とした。

一般理論が批判している対象は現代正統派経済学

 第1編序論には以下の三章が含まれる。 第1章 一般理論 第2章 古典派理論の公準 第3章 有効需要の原理 
 この篇でケインズは、古典派が次の三つの命題を「自明の前提」にしていると言い、その批判を行う。
  1. 実質賃金は現行雇用の限界不効用に等しい
  2. 厳密な意味での非自発的失業は存在しない
  3. 産出量と雇用がどのような水準にあったとしても総需要価格と総供給価格は等しくなるという意味で、供給は需要を創り出す

 自明の前提とは常識のことであり、この三つの命題を「常識」的表現に直すとこうなる。

  1. 企業の支払い能力を超えて賃金を支払うわけにはいかない
  2. 仕事なんて文句を言わずに探せば、いくらでもある。失業しているのは贅沢だ。だから、失業者は基本的に贅沢を言っている怠け者にすぎない
  3. 売れない商品を作っている企業は淘汰される。結局は供給と需要は一致するのだ。淘汰されるべき企業を温存するべきではない
 三つとも根本的に間違いで、この常識に従って行動していると全人類が不幸になるということを証明したのがケインズ一般理論である。一般理論ほど見事に論証した本はマルクスの資本論を除いて、それまではなく、その後も出ていない。この「その後も出ていない」というのが、筆者がケインズを読め、と言っている最大にして唯一の理由である。

ケインズはどのようにして経済学を科学にしたのか?

 先回りして言うと、一般理論を根底から覆すためには限界消費性向低下の法則を否定すればよいのである。つまり「人は豊かになればなるほど消費性向が上昇する」という事実を示す。あるいは「低下した消費性向の分だけ必ず投資が増える」という事実を示す。これだけでよいのである。
 このように組み立てられた一般理論の命題には、反証可能性があり極めて科学的である。現在、一般理論は、ほとんど、特に学会では研究されることもなく現代正統派経済学の天下となっているが、これから読み進めていけば分かるように現代正統派も古典派の焼き直しに過ぎない。焼き直しに過ぎないのだが「常識」に立脚しているがゆえに強固であり人類は資本主義の下で塗炭の苦しみにあえぎ続けている。
 ケインズは経済学を科学にした。いまこそよみがえるケインズなのである。
 いや、こう言うべきか?ケインズをよみがえらせるのはこれを読んだあなたである、と。

 以下は「一般理論を読む 改訂版」のカテゴリーに収録されているのでそちらを参照していただきたい。




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