一国の総所得の定義はどうなるのだろうか?
所得の定義における使用費用から、
一国の総所得は総付加価値―総使用費用である。
ケインズは、逐一考えていく。その思考を辿るためには脳細胞を100%使う必要がある。
所得を確定するには、期中粗利益の一部は、期首資本装備からもたらされたものであるから、ケインズの言うところの「価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分」を粗利益から控除しなければならない。
ええ、まだ所得の定義なの?そうなのだ。
ここでケインズは、期首資本装備価値Gは、その装備を使わなければ期末もGのままだ、と考える。当然使わなくとも経年劣化はある。しかし、ここは資本装備が何らかの意味で寄与した部分を検討しているわけだから、使わなければ期首資本装備価値から生産物への価値移転はなかったことになる。価値移転がゼロなら、逆に期首資本装備価値は変わらないと考えることができる。経年劣化やそれを防ぐための保守費用を考慮に入れてもいいが、結論は同じになる上に複雑化するだけである。
資本装備額の増減と投資の関係
ここで期首と期末の資本装備額に限定して論考を進めてみよう。
使わないままの資本装備に維持・改善のための費用B′を支出し期末の資本装備価値がG′になったとすると、
期首資本装備価値G+維持・改善のための費用B′<期末資本装備価値G′
という不等式が成り立つ。維持改善をして減価する、すなわち不等式の向きが逆ということはありえないことにしておく。*
G+B′<G′
G<G′―B′
0<(G′―B′)―G
となる。すなわち(G′―B′)―Gは正の値を取り、これは期中売上高Aのために犠牲にされる価値の量でありAの使用価値だとしている。(この項は「一般理論」と少し違う)面倒な思考法だが、端的に言うと、
G′―G―B′ =期末資本装備価値―期首資本装備価値―維持・改善費用
=期首資本装備からもたらされた期中粗利益の一部
では、不等号が逆の場合はどうだろうか?
ケインズの論述を要約すると期首資本装備価値G+維持・改善のための費用B′>期末資本装備価値G′
このとき使用費用は負の値をとる。
「 もちろん、G―A1がG′―B′を凌駕し、使用費用が負の値をとることも考えられる。たとえば投入物はその期間中増え続けているのに、増加した生産物を完成・販売の段階に至らしめるいとまがない、というふうにたまたま期間がとられていたとしたら、このようなことも十分に起こりうる。あるいはまた、産業統合が大いに進んで、企業者が自分の装備の大半を自前で製造するという事態を想定してやれば、正の投資があるときには必ずそうなるであろう。しかし、使用費用が負になるのはせいぜい企業者が資本装備をみずからの労働によって増加させているときくらいだから、資本装備が主としてそれを使用する企業とは別の企業によって製造されている経済では、使用費用はふつうは正になると考えていい。そのうえ、 Aの増加にともなう限界使用費用すなわち⊿U/⊿Aが正以外の値をとることもまず考えられない。」
B′がプラスかマイナスかという議論をしているわけだが、もう一つ付け加えれば、B′がゼロで資本装備は朽ちるがままに任されるという事態も考えうる。これは企業としても産業としても一国経済としても停滞から衰退に向かっていることになり、異常な事態である。
現代日本は一国経済として固定資本が徐々に毀損していき、それを補償するための投資も行われていないという事態に立ち至っているが、ケインズとしても想定外の事態であろう。ただし一般理論の枠内では想定内だが。
つらつらと書いてきたが、「付論 使用費用について」までは次のように理解しておいて差支えない。
全て貨幣表示で、以下のように定義する。
A:期中売上 文字通り
F:要素費用 期中売上に対応する外部購入費用。期首在庫(完成品・半製品・原材料等)は調整済み
U:使用費用 価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分
I:定義しようとしている所得 利潤+雇用費用(賃金)
個々の企業にとって I=A-F―U
F は他の企業にとっての期中売上だから F=I′=A′―F′―U′
F は相殺されていくから ΣI=ΣA-ΣU となる。
つまり一国の総所得とは相殺された期中売上総額から総使用費用を引いたものである。この式は見出しと矛盾するように見える。このように書けば理解しやすいだろう。
ΣA=ΣI +ΣU
つまり
一国の総所得=総付加価値―総使用費用
ここでU (総使用費用)をどのように算出するかは、前回やったが、ここでは課題として残しておく。Uの定義は上記のとおり「価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分」である。
「付論 使用費用について」を待て!
だが、期首資本装備価値=当初の資本装備購入価格―減価償却累計と考えると、ここから先の議論は分からなくなるのでいったん忘れよう。何のために「期待」の議論をしたのか。経営学上の会計原則とマクロ経済学の概念は違うのだ。
要は、ある額の投資で資本装備額が増えることがあると言っている。それ以上でも以下でもないのだ。
減価償却はすでに行った投資についての概念であり、ケインズのいう使用費用はこれから、期中に行うであろう投資についての概念なのである。減価償却は確定しているが使用費用は確定しない。
ここが最も重要である。これさえ分かれば細かな数式はどうでもいい。
重要なことは、一国の総所得とは相殺された期中売上総額から総使用費用を引いたものであることだ。これは現在でもそう考えられている。GDPの主要項目は企業設備投資と家計消費だ。
これは 所得=消費+投資と同じことであり、次回検討される。