戯言備忘記録~A target of a licensed tax accountant~

日々思うことを気ままに書いてます。

愛がなくなった時に読むと良い本

2005-09-17 17:56:01 | 日記
今日は珍しく一日中家にいる。
おかげで今週一週間の疲れが取れたような気がする。
のんびりできたので、今日は色々と他人様のブログを拝見してたんですが、
浮気とか不倫とかセックスレスとか、なかなか人には相談できないようなことを
赤裸々に綴ってあるブログって多いことに驚いた。
新婚の自分には今は無関係だけど、時間が経つに連れて、そうなるものなのかな~。


僕が読んでいる本「7つの習慣」(一応ビジネス書)の中にこんな一節がある。

>あるセミナーで主体性について講義していた時、ある男性が前に出てきてこう言い出した。
「先生のおっしゃっていることはよく分かるんですが、人によって状況はすべて違うんですよ。
例えば、私の結婚を考えていただけますか。不安でたまりませんよ。妻と私は昔のような気持ちが
もうないんです。私は妻を愛していないし、妻も私を愛していません。こんな状態で何ができる
って言うんですか。」
「愛する気持ちをもう失ってしまったんですね」と訊くと、「そうです」と彼は答え、
「子供が3人もいるので、とても不安なんです。どうしたらいいのでしょうか」と続けた。
「奥さんを愛しなさい」と私は返事をした。
「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」
「だから彼女を愛しなさい」
「先生は分かっていない。愛という気持ちはもうないんです」
「だったら奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだったら、それは奥さんを
愛するとても良い理由になりますよ」
「でも愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」
「愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。だから奥さんを愛しなさい。
奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。
感謝を表しなさい。
奥さんを肯定しなさい。そうしてみてはいかがですか」

その後、こう綴ってある。

>世界中のすべての偉大な文学において、「愛」は動詞として登場する。
反応的な人は、愛を単なる気持ちとして捉えがちである。
なぜなら反応的な人は感情や気持ちに支配されているからである。
往々にして映画やテレビの脚本は、人に責任はなく、その時折の感情で動くしかないと、
私達に教えている。しかし映画の脚本と現実は違う。もし行動が感情に支配されるている
とするならば、それは私たちが自らの責任を放棄しそうさせたからにほかならない。
主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。母親が子供を世に
送り出すのと同じように犠牲を払うこと、自分自身を捧げることである。
愛は勉強したければ、他人のために(特にそれに報いてくれない相手のために)
犠牲を払う人たちを見るとよい。子供を持つ親であれば、犠牲を払って育てた子供に
対してどれだけ愛を感じるかがよく分かるだろう。愛は行動によって具現化される
価値観である。主体的な人は感情を価値観に服従させる人である。
愛するという気持ちを失っているとすれば、それを取り返すことができるのだ。


この「7つの習慣」という本自体が物凄く考え込んでしまう本なんだけど、
この一節は物凄く感銘を受けた。
「愛は動詞である」
この本を読むまでは、そんなこと考えたこともなかった。

そんなわけで他人様のブログを見て
「愛がなくなった」とか「愛が冷めた」とか言う前に、
ちゃんと考えてみてはどうなんだろう?と思った。