前回に続き、今回もイモの話です。「キクイモ」は北アメリカ北東部原産の帰化植物でキク科ヒマワリ属の仲間。日本には明治初期に渡来しました。花がキクに似ていて、地下に
イモできるので、この名前で呼ばれています。澱粉質に富んだこのイモを食料や飼料にするために、戦時中は盛んに栽培され、日本中に広がりました。痩せ地でも荒地でもよく育ち、大きいものは高さ3mにもなります。葉や茎には粗い毛が生えていて、触るとざらざらします。花は明るい黄色の花びらの、ヒマワリを小型にしたような形をしています。
筆者も戦中・戦後の食糧難の頃、郷里でこのキクイモを食べさせられた世代です。秋に収穫したジャガイモぐらいの大きさの芋をスライスして、ほかの野菜といっしょに「やたら漬け」にしたもので、噛んだときのパリパリした食感を覚えています。やがて食糧事情が好転すると、食べ物としてのキクイモはすっかり見限られ、しばらくの間は、隣家との境の生垣代わりに残っていましたが、それも疾うの昔にブロック塀になってしまいました。最近は高血糖を押さえる効能で、注目を浴びているそうです(四季の山野草)。―画像クリックで拡大/アンダーラインはハイパーリンクです―
イモできるので、この名前で呼ばれています。澱粉質に富んだこのイモを食料や飼料にするために、戦時中は盛んに栽培され、日本中に広がりました。痩せ地でも荒地でもよく育ち、大きいものは高さ3mにもなります。葉や茎には粗い毛が生えていて、触るとざらざらします。花は明るい黄色の花びらの、ヒマワリを小型にしたような形をしています。
筆者も戦中・戦後の食糧難の頃、郷里でこのキクイモを食べさせられた世代です。秋に収穫したジャガイモぐらいの大きさの芋をスライスして、ほかの野菜といっしょに「やたら漬け」にしたもので、噛んだときのパリパリした食感を覚えています。やがて食糧事情が好転すると、食べ物としてのキクイモはすっかり見限られ、しばらくの間は、隣家との境の生垣代わりに残っていましたが、それも疾うの昔にブロック塀になってしまいました。最近は高血糖を押さえる効能で、注目を浴びているそうです(四季の山野草)。
野草を食べるのも趣味だそうで、菊芋を今日掘ってこられて、これから干すのだそうです。食感は後で教えていただくことになっています。
私も試して見たいですね。
URLにその日記へのリンクを張っています。
お若いのはうらやましい! 当方は熱中症を恐れるあまり、扇風機を付け放し、屋内で蟄居を続けています。しかし扇風機でさえ人を殺めてしまう昨今ですから、油断がなりません。
戦後のあの時代(1940年代後半)は皆が貧しく、みすぼらしいなりをして、古ぼけた家に住み、一様に腹を空かせていました。しかし山や川の自然は言うに及ばず、人々の心や生き様も、今に比べればずーっと豊かではなかったかと思うのです...。
でもこのイモが食べられるってことはしりませんでした。
(なんて、若さを主張しております)