地名:小笠原諸島はボナン諸島と呼ばれていた。小笠原貞頼がそのことを言っていたことが人々に伝わり、ペリーが航海日誌に「Ogasawara」と記入した、このおかげで日本の領土と認められた。偶然が生んだ日本領土だった。バードが巡った東京湾岸の地名がレセプション湾、ペリー島、ウェブスター島など、どこの国だか分からない、これは日本がアメリカの属国になっていればそうなっただろう、という話。
着るモノ:日本の東日本では男は夏はほとんど裸、入れ墨をして、紺色のほおかむりをしていた。西日本では甚平を着ている人が多かった。アイヌには裸になる習慣がなくて、お風呂にはいるのにも男女とも裸になるのを嫌がった。日本人は混浴で裸を恥ずかしいとは思わなかった。女性が風呂にいることで混浴でも乱暴者がいても悪事をはたらかなかった、という。
関東と関西の街:京都、大阪、堺では中国の街を倣って東西南北の通りに名前を付けた。京都では大路と小路、大阪では筋と通りで地名を表せる。江戸は中世以前の地名を家康が残したので古い地名が使われ残った。そのため地名に一貫性がなく、場所の特定が番地依存になっている。さらにその番地も街の有力者の住まいを順に1番地、2番地としていったためにルールが存在しない結果となった。さらに飛び地が多く、江戸以外のヒトや外人には知らない場所に地図を頼りにたどり着くことが困難な街になってしまった。東京では荒れ地を開拓すると開拓者のモノになり、そこは山野と名付けられた。そのため山野、山谷、散谷、三谷、神谷、美谷、深谷などが多くの場所に存在する。
ゲタの音:ゲタをならして歩く、この音がバードにとっては奇っ怪な音に聞こえた。数百人がゲタを履いて歩くと、相当な音となって街に谺したという。
日本の馬:小さい馬しかいなかった。仙台にはシャムから連れてきたアラブ馬がいたらしく、大きな馬が育っていた。轡がなかったので、馬を乗馬した人間が操るすべがなかったという。バードは轡を日本に持ってきていた。先頭馬がいないと馬の集団は歩くこともしない。普通の訓練されていない馬は前の馬に従ってしか前に進まないため、訓練された先頭馬の存在が必須だった。
日本の貧しさ:大家族が多いのは貧困から来ていた。バードが調べたでは24軒の家に307人が暮らしていたという。嫁は姑の奴隷であり、子供を産まなければ離縁された。西日本では、女性の地位が比較的高く、女性が気に入らない亭主を離縁することもあったという。
性病と漁業と津軽三味線:性病が目にはいると盲目になる。秋田の能代はハタハタ漁が盛んで栄えた街だった。そのため女郎屋もおおかったが、性病が流行り盲目の人が増えた。盲目の人たちは三味線を覚えて稼ぎを得ることになり、津軽三味線が広がったのだという。
ねぶた祭:夏になると蚤が多くて寝られなかったため、ねぶたい毎日を過ごした。それを祭にしたので秋田や弘前、黒石ではねぶた祭がある、という、本当なのか。
バードが妹に書き送る日記、という形でまとめられた日本紀行を宮本常一が解説する、というのは贅沢な本だと思う。二重に学ぶこと多し。
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む (平凡社ライブラリーoffシリーズ)
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