東南アジアの稲作民族に共通してみられる文化的要素には次のようなものがあるという。
雑穀栽培、茶、ニワトリ飼育、水牛飼育、酒、キンマを噛む習慣、金属製飾り輪、高床住居、木綿、切り妻屋根、竹製カゴ、腰巻き、陸稲栽培、笊(ざる)、水稲栽培、篩い(ふるい)、堅杵と堅臼、土器製作、豚飼育、マレー式ふいご、牛飼育、刀剣、頭上運搬、盾、蓑、革張りタイコ
そしてこうした文化要素の大半は水田耕作民とともに雑穀栽培を主とする焼き畑民にも広く見られるという。
これらに水田耕作が広まることで加わった文化要素として、
水田漁労、唐すき、踏み臼、絹、高機、天秤棒、輿、牛車、金銀細工、影絵芝居
つまり、水田農耕に直接関係のないようなものでも、安定した収穫と土地所有がもたらした富貴階級の出現が関係している。
焼き畑農業で雑穀栽培をしている農民がどのように水耕稲作をはじめるかという話。
1. 焼き畑農業は村を挙げての作業が主だが、村の有力者が谷間に小さな水田を作ってみるところから始まる。
2. 耕地を水平にし、畦を作り水漏れをしないようにするやっかいな作業を少数の人の助けを借りてやってみる。
3. 農作業の用具は雑穀栽培と共通であるので転用可能である。
4. うまくいくと、水田は個人所有となる。凶作豊作の差が少なく安定収入と生活をもたらす。
5. 他の村人もまねをするので、その村での水田面積は拡大する。雑穀栽培との共存が基本である。
気候変動との関係も解説されている。12500年前のベーリング温暖期に定住が始まり、その後の寒冷期である11000年まえのヤンガードリアスに麦作農耕が誕生、その後10000年まえから始まる間氷期で稲作が始まったのではないかと言う。もちろん急に稲作が始まったのではなく、ベーリング温暖期から徐々に始まった稲作が10000年まえから拡大した、という話である。
日本への稲作の輸入は琉球、揚子江→朝鮮半島、モンゴル南部→朝鮮半島、という3ルートが示されている。さらにモチ好き、という照葉樹林地帯の民族的志向も見られるといい、米をはじめ多くの穀物に粘りけのあるモチ種類があり、それらを好む民族が照葉樹林帯民族である、という指摘も面白い。照葉樹林文化、というのはまだまだ大きな仮説だそうだが、一つの生活・農業文化の視点であることは間違いない。
照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明 (中公新書)
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