意思による楽観のための読書日記

蓮如 五木寛之 ***

親鸞の弟子の蓮如の生涯。親鸞は評価が確立しており、立派な仏教指導者であることに異論はないが、蓮如には毀誉褒貶、様々な評価がある。五木寛之が作家ながら蓮如に関心を持ち調べた結果を話し言葉でまとめている。生まれは1415年、本願寺僧侶の息子として生まれるが母親は正式の妻ではなく、蓮如6歳の時に父親は正妻を娶り、母親は家を出された。その後蓮如は、寺に残るが庶子として40年以上肩身の狭い思いをして育った。父親は存如で20歳の時の息子、蓮如が43歳の時に父親が死亡、正妻の子どもとの跡目争いに蓮如が勝利、本願寺を継ぐことになる。ここから51歳まで比叡山の僧兵との戦いがつづく。結局延暦寺側が勝利、本願寺は破却され、蓮如は近江の国の堅田一族を頼り、近畿地方を布教に回る。近江地方では農民の惣の組織の上に講という宗教組織を載せることに成功するが、時の為政者に圧迫され、北陸の吉崎に逃れる。ここでも吉崎本願寺を中心とした布教に成功、後に一向宗の大勢力となり、加賀一国を一向宗が治めるという基礎を築くことになる。蓮如61歳の時に吉崎を去り、大阪に石山本願寺を建築、85歳で死ぬ。最後の年代の評価は散々であるが、それまでの生涯で広めた教えは、今でも蓮如忌ということで人々に親しまれている。「れんにょさん」は近江から越前、そして隠れ一向宗の九州地域では今でも親しくその名前が呼ばれているという。
蓮如―聖俗具有の人間像 (岩波新書)

読書日記 ブログランキングへ

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事