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意思による楽観のための読書日記

江戸の弾左衛門 中尾健次 ****

江戸時代に江戸幕府から「関八州のを支配すること」を認められたたという弾左衛門、その実態、発生の歴史、差別の背景などを解説した物。羽織袴を来て大小二本差しを認められちょんまげも結っていた。江戸町奉行に代わって江戸市中巡回をする際には籠に乗り前後を26人の要員が警護を固めたという武士的性格も持っていた。浅草の屋敷は2600坪、門構えとしては3000石の旗本程度である。弾左衛門の屋敷の周りには囲いの内とよばれ250軒ほどの革屋、雪駄屋が住んでいた。

弾左衛門は関東のの頭だったと言われる。とは中世、寺院の財政や宗教的行事を担当する役職を指しており、事務局長的役割であった。寺院には多くの職人がおり、掃除、警備などの集団の頭が頭と呼ばれた。大阪ではといえばの頭、とは貧人(ひんにん)からきた呼び名と言われる。は公民に対する言葉であり、公民とは戸籍に登録されて口分田を支給された民達であり徴税される対象であった。公民ではない、という意味でと呼ばれた。一方、とは穢れが多い職業、という呼び名で幕府や町奉行所の役人がの職業をエタと呼んだ。江戸時代にはたちは革職人、雪駄職人の職を手にするものが多く、弾左衛門はその後、処刑の執行や後始末も担当することになる。このことが江戸市民からの差別につながっていったという。皮田、革多などはこうしたたちが住む村を指すことが多かった。

革職人が重用されたのは戦国時代、それまで鎧は瀬戸物や鉄で作られていたが、瀬戸物は割れやすく、鉄は重かった。そこでなめし革で作られた鎧が重用され戦国大名たちはこぞって革職人たちを支配下においた。今川氏親は1526年、領内の革職人を集めて武具生産を命じたのが最初とされる。関東を支配した北条氏は皮革統制を行い、皮革職人の長であった太郎左衛門を頭とした。集団には数多くの手工業者がいた。農業以外の職業は職人であり、その技術は芸であり能であった。芸能民とは今でいう芸能ではなく、農業以外の技術を身につけた職業人の総称であった。北条氏の勢力拡大に伴い太郎左衛門の勢力範囲も広がったが、豊臣秀吉に滅ぼされ、徳川家康が関八州の支配者になると、家康は浅草に住んでいたの頭、弾左衛門に頭を命じた。これが江戸の弾左衛門の初代となる。江戸時代250年の間、第13代の弾左衛門までがこの地位を維持した。

江戸時代の初期、元和偃武と呼ばれた時代、それはもう戦国の時代には戻らない、ということが確実になって江戸幕藩体制が確立した時期であった。戦国時代には皮革職人は戦争事業に参画する職人集団であったが、元和偃武の時代からは仕事の内容が変化、皮革業に従事しないで雪駄やその他の革製品も取り扱い、そして江戸幕府の市中取り締まりや処刑手伝いなどをするようになっていく。一方、は江戸に流入してくる無宿人であり、そのを取りまとめる頭がいた。当時、流入する貧民たちの仕事の周旋をしていた口入れ屋が幕府により頭に取り立てられた。市中の清掃、不浄物の取片付け、死体処理などが仕事となった。江戸時代初期には浅草の千代松という頭が江戸市中の頭だったが、江戸市中が拡大するにつれ、の数も増え、5000人を数えた。品川松右衛門、深川善三郎、代々木九兵衛の3人も頭となり、4人の頭がいた。そして弾左衛門はこの頭をも手下としたため、5000人のマンパワーをも支配下においた。火事の際に焼けだされた町民への炊き出しなどはこうしたたちの仕事となった。

になった人たちは次のような背景を持つ。
1. 越後、信州、奥州などから江戸に出稼ぎに来て帰れなくなった者。
2. 江戸の場末に居住するその日暮らしの者で無宿人となったもの。
3. 伊勢参りや金比羅詣にでかけ物貰いなどをして参詣しそのまま江戸に来てしまった者。
こうした人達は江戸で身分となり、大道芸人や香具師となっても収入を得た。

明治維新直前の戊辰戦争ではたちは幕府側についた。明治維新政府は四民平等を打ち出し制廃止令を発令、エタやという身分はなくなったが、江戸時代に幕府から認められ収入を得ていた職業もなくなり、弾左衛門は明治政府に全国皮革の仕入れ独占権を維持できるよう嘆願するが、職業の自由、ビジネスの自由を盾に明治政府はこれを拒否、やたちは路頭に迷った。明治以降も江戸時代にあった差別意識は残り、定収入がなくなったやたちは町外れに住み着き、かれらのは被差別として残った。明治政府は制廃止令をだしたものの、差別そのものについてはそれを見逃し、四民平等という建前にのみに拘ったことが被差別民形成を許したことにつながったのかもしれない。士農工商の身分と職業という江戸時代の仕組みを、明治時代に廃し、、の身分という考え方も廃止したときに、被差別民の職業について、どのように移行できたのか。皮革処理、汚物処理、死体処理、清掃などのビジネスであり、皮革製品は軍事製品であり、その他の業務はある面では公共性があること、為政者にその気になればできたのではないかと推測できる。明治維新時の措置が現在の被差別に大きな影響を与えたと言える。
江戸の弾左衛門―被差別民衆に君臨した“頭” (三一新書)
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