ハーバード大学では、日本に関する多くの講座が開かれている。日本史、日本文学、日本的経営、日本文化、アニメ論、ゲーム論など。ハーバードでは日本から何を学ぼうつぃているのだろうか。本書では、人文科学、社会科学、遺伝学、分子細胞生物学の教授にインタビュー、日本への関心の源泉と学ぶべきと考える視点について分析している。
取り上げられている日本映画には、黒澤明『用心棒』、小津安二郎『東京物語』、北野武『HANABI』、宮崎駿『もののけ姫』、押井守『攻殻機動隊』などがある。用心棒では、映画の中での俳優や舞台装置の配置(ミザンセーヌ)の独自性を紹介する。音楽、カットだけでセリフはないのに緊張感を高める手法が最高の教材になる。小津作品では表現方法の独自性、俳優の視線のズレ、畳ショット、バストショットの多用が異色で実験的、洗練されている。HANABIではラストシーン、二人の登場人物が海を見ながら浜辺で語る。現実から抜け出したい二人は日本を出たい気持ちがあり、海辺まで来たが行き止まりだった。その先には死しかない。
もののけ姫では環境問題と文明と自然保護のぶつかりを紹介、善と悪ではない価値観の衝突について紹介する。攻殻機動隊ではサイボーグが登場するが、日本ではロボットが肯定的に描かれる。日本では日常の道具にも山川自然にも神、魂が宿る。テクノロジーが進歩には不可欠だという明治維新以降の認識も関係しているはず。ITビジネス経営者にアニメ愛好家が多いのは、ITを肯定的に描く日本アニメにテクノロジーの有用性を観るからではないか。
伊藤若冲は2012年にDCで開催された展覧会で広く知られ、その後人気を博すようになった。細部に拘る日本的な絵画が特徴。細部を描くことで宇宙を表現しているように感じる。日本人の美意識と技術力を極めたのが若冲。油絵は重ね書きが可能だが、日本画は一発勝負、それを本物を鑑賞することで迫力を感じてほしい。
6万年前にアフリカ大陸を出た現生人類は5万年前には東アジアに到達、日本列島にはその後数万年をかけて渡ってきた。日本人のDNAの98%が現生人類、2%が旧人類由来で1.5%がネアンデルタール人、0.33%がアウストラロ・デニソワ人、0.17%がデニソワ人だという。1万年前には最終氷河期が終わり日本海の地形も変化、16000年前から2300年前に日本列島に到達していた縄文人とそれ以降海を渡ってくる弥生人に分けられる。日本人のDNAはほぼ同質で、20%が縄文系、80%が弥生系である。弥生系が日本列島に入り始めたのは2400年前で、縄文系と弥生系の交雑は1600年前から始まった。つまり交雑開始までに800年ほどが経過している。住む場所、暮らす場所が異なるから時間がかかり、時間をかけて交流が行われた。
日本人が長寿な理由は、遺伝的な要素は25%ほどで、75%は食事とライフスタイル、生活環境が影響を与えている。遺伝的には代謝の効率性、特にタンパク質代謝回転が効率良く行われているため、異常タンパク質の除去が効率的に行われている。お酒に弱いのも日本人DNAの特徴で、北欧人は0%、中欧人が0.9%、北米人が2.2%、インド人が2.7%しかないその遺伝子を、日本人の24%がその因子DNAを保持している。食生活の栄養バランスが良いことが日本人の長生きの原因であり、アメリカ人の寿命は日本人より5年も短く、小学生中学生時代の食育の違いが大きい。
日本では継続性が重んじられ、企業の継続性が強い。歌舞伎、能狂言などでも世襲、政治家にも世襲議員が多い。1994年の小選挙区導入で世襲議員が減少に転じた。自由民主党が長く政権の座にいる4つの理由は、選挙制度、公明党との連立、共産党の存在、投票率の低さ。立憲と共産が手を組み、投票率が上がれば野党勝利の可能性が高まる。最近の自民党得票率から見れば、公明党との連立が解消されれば政権交代が起きるだろう。
今行われている『働き方改革』では日本人の労働観の変化までは到達できないだろう。男性が家族を養っていくこと、働くことの重要性、変化への抵抗感が強く、転職や起業のリスクと成功の可能性が釣り合っていないのが現状。
トヨタのカンバン方式やアンドンのシステムは外形的な模倣では真似できない。それは日本人の価値観や特質に根ざしているためである。整理整頓清掃清潔しつけという5S運動などは、ほとんどのアメリカ人は受け付けない。技術の継承を住み込みで学ぶ、という方法の良さはアメリカ人の多くの価値観と反するからである。
日本人は無宗教だと多くの日本人自身が思っているかもしれないが、多くの年中行事は宗教的であり、生誕、結婚、葬儀などの冠婚葬祭はその全てに日本的宗教観が強く反映されている。モノには魂が宿るという考え方が、日本の製造業の技術の背景にはある。創業者の思いや魂を大切にする、だから会社も従業員を家族のように大切にする、この気持ちが社員の愛社精神にも受け継がれているのは日本独特な現象である。
禅の教えに『初心を忘れず』というテーマがある。ベテランになり技術を身につけるほどに、それに奢らず更に精進するということ。無の境地である『マインドフルネス』も禅の教えであるが、それが仏教由来だということは隠蔽されている。5S運動の原点もここにある。ワールドカップで清掃をしたサポーターに驚いたのもこれ。清掃という作業はアメリカ人は使用人や清掃員の仕事であり、自分の家も掃除しないという人も多い。お寺の床はすでにピカピカしているのに、なぜ更に拭き掃除をするのか、これが『ケガレは災いをもたらす』という神道の教え由来なのは面白い。ハーバード大学合格者には、自室の掃除、洗濯、皿洗いを親にしつけられた学生が多いのには少し驚く。
他人の目を気にするのは日本人の特徴であり、大きな出来事や事件があった時に、海外での報道をわざわざ紹介するのは日本独特の報道姿勢である。江戸時代の武士には、常に自分は見られている、世間体という意識が強かった。我が欲よりも義理を重んじ、忠義を重んじていると評価されることが武士の本分だった。この武士の価値観は町民、農民にも広がり、明治維新以降はサラリーマンにも引き継がれた。終身雇用も江戸時代の藩による雇用体系に由来するのではないか。
乃南アサの『凍える牙』では日本の刑事司法制度の課題を取り上げ、職場における男女格差を紹介する。有吉佐和子の『恍惚の人』と水村美苗の『母の遺産』を紹介することで、介護の問題は40年経過しても変わらずそこにあることが紹介できる。渡辺淳一の『花埋み』では日本最初の女医荻野吟子の生涯で、これらの3作品では、患者、患者の家族、医療従事者が直面する問題を取り上げていて、医師を目指す学生が、健康の意味、癒やしと治療を考えるための格好の材料となる。現代の医者は、患者のデータをPCで確認したり入力したりすることに一生懸命になる。治療する患者は病を持った物体ではないこと、それをぜひ感じてほしい。本書内容は以上。
日本人論の著作は多いが、本書の視点は非常に多様であり読み応えがある。判官びいき、ロボット好き、掃除を大切にする精神、無宗教ではない日本人などの分析は多層的で考えさせられること多である。