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意思による楽観のための読書日記

大嘗祭 工藤隆 ***

大嘗祭とは何なのか。毎年行われる豊年を祝う新嘗祭の中でも、新天皇即位の年に行われるのが大嘗祭とされるが、その形式的な淵源は天武天皇即位の時まで遡るという。その後、1466年後土御門天皇を最後に中断、1687年東山天皇で再開するまでの221年間断絶していた。復活に際しては式次第の考証や復元作業があったと考えられる。延喜式には受禅(生前譲位)の場合、7月以前の即位はその年に、それ以降の即位なら次の年に大嘗祭を執り行うとされるが、死去による場合には、葬儀や喪に服す期間などを考慮するともある。しかし、その儀式の本質を見ると、即位儀礼や三種の神器移譲などとともに行われる稲作と酒造り、そして天皇の霊的パワーの移譲も含まれ、その濫觴は縄文・弥生、そして稲作のルーツとされる東南アジアにおける女性シャーマン中心の豊穣の祈りの儀式にまで遡る。

神聖なお酒を産する国「ユキ」「スキ」は「斎酒」「次」が語源とされ、神聖なお酒を献上する国が占いで決められた。行事の中心は酒の原材料の稲であり、古代の酒造りで重要な若い未婚女性が登場する。魏志倭人伝に登場する卑弥呼は「鬼道をよくする女性王」であり、行政を担当する男性補佐とは別の存在として神祇の儀式を執り行う巫女的存在として描写されている。記紀において、同様の存在として描かれたのが仲哀天皇の后であった神功皇后と武内宿禰であり、ヤマト王国と起源を同じくする琉球では琉球王と女性血縁者の聞得大君である。この時代の儀式的要素が天武・持統時代の儀式へと引き継がれたと考えられる。

ニイナメとは、収穫を終えた稲が一旦死を迎えた後に、来年の再生に向けて転換する冬至を挟んで行われた。大嘗祭も同様で、仮死の冬から生命力復活の春をもたらす祭祀が基盤にある。弥生時代の倭国では母系の女性シャーマンの文化資質の層に父権の支配の層が加わった二重構造となっていた。儀礼の中でも、女性のニイナメから男性のニイナメへと形式が移る。大王時代には女性による稲作と酒造り儀式から采女との性的儀式の存在が推測される。ニイナメとは稲の産屋と忌みの意味があり、オホナメにも漢語より新嘗、大嘗の字が当てられた。大嘗祭については以上。

受禅については、古代7世紀女性天皇では皇極から孝徳へ、持統から文武へと生前譲位している。8世紀には元正、聖武、孝謙、淳仁と受禅が多数派である。文武以降明治維新の孝明まで80回の皇位継承のうち、57回が受禅即位だった。女性天皇は8名10回あり、継体が応神の五代孫で、途中の系譜も示していないことを考えれば、仁賢の娘である手白香姫を娶り、生まれた皇子を欽明として即位させたことで系譜が継承されたと記紀編集者も理解納得したと思われる。皇后が後に即位した場合を除いては、女系による皇位継承は今までなかった、という議論については、継体という新たな血筋が男系で入って来たとしても、安閑、宣化と尾張氏の目子媛との子に譲位してワンクッションおくことで、雄略、仁賢の血は繋がれたと記紀編集者は考えた。8世紀の後の男系男子による継承のためには、側室制度が必須であった。継体から現天皇までの103名天皇の生母のうち、皇后、中宮からの嫡出子は28人、女御、更衣、後宮女官などの側室から生まれた天皇即位者は75人、73%は側室による男系継承だった。それでも男系継承は容易ではなく、明治天皇と皇后には子がなくて、側室の皇子、皇女も早逝したため、大正天皇は、側室でもない柳原愛子から生まれた。

現代社会では日本国憲法により象徴天皇が定められ、同時に国民主権が宣言されている。天皇制が世界に誇る文化的遺産であると同時に、世界の中での他国民との共存を目指すべき存在でもあることを考えれば、一夫一婦制のもと、伝統的儀式は存続を図りつつ、天皇制度維持のための努力を図り、現代社会通念や社会的合意を背景とした制度の変容も受容する必要がある。生前譲位や女性天皇、女系による皇位継承についても、未来志向で柔軟な議論と決断が求められる。本書内容は以上。

天皇崇拝と神話的伝統を重んじ過ぎることで、天皇系譜の継続を危うくしてはならない、という筆者の主張、誠にもっともである。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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