意思による楽観のための読書日記

フェルメール 光の王国 福岡伸一 ***

生物学者の福岡伸一がフェルメールが展示されている美術館を順々に訪問して、それぞれの都市ごとにフェルメールが生きていた時代と重なる人や歴史を思い起こしながら、各作品について語る、という趣向。飛行機の機内誌で昔読んだ記憶もあったがやはりそうだった、ANAの2008年から2011年の連載記事だったという。

まずはオランダから。ANAでフランクフルトに入り、空港のそばにある美術館を乗り継ぎ時間の間に訪れるところから始まる。そしてアムステルダム、ライデン、ハーグ、生まれ故郷のデルフトと巡っていく。フェルメールと同じ町、同じ日に生まれて洗礼を受けたのも4日違いというのが学者のレーウェンフック。ハーグではだまし絵のエッシャー美術館にも立ち寄る。フランクフルトのシュテーデル美術館では「地理学者」を見て、そのモデルがレーウェンフックではないかと推測する。アムステルダム美術館の「牛乳を注ぐ女」では注がれている牛乳の細い筋の中にも光のきらめきを見つける。マウリッツハイス美術館では青いターバンの「真珠の耳飾りの少女」をみてその青色にラピスラズリの宝石を見つけ、デルフトの「小路」では、その実際の場所を近くの教会から見下ろす場所から見てみる。その場所とはエッシャー作の絵にも描かれていたのである。

アメリカではワシントンDCのナショナル・ギャラリー、そしてNYCと続く。NYCでは20世紀のはじめに日本から彼の地に徒手空拳で渡った野口英世に思いを馳せる。野口英世が彼の暮らしていたアパートから研究所に通う道すがらにあったと思われるフェルメール作品がある。フリック・コレクションと呼ばれる作品の中に「兵士と笑う女」「稽古の中断」「女と召使」がある。この3点はここから移動することを禁じられているという。そのためここでしか見ることができないが、それらが一般公開されたのは1935年、野口はその前を通っていたはずだというのだ。アメリカにフェルメールのすべてをもたらしたのは画商のノードラー、そのギャラリーもマヂソン街にあった。

そしてパリ、ブールラ・レーヌ。ルーブルには「レースを編む女」がある。23.9X20.5cmの小さな作品であるが、描かれた絵はまさに精密である。先日亡くなった赤瀬川原平は「これがコンピュータのICチップの組み換え作業だった、と言われても納得する」と表現した。繕う指先の二本の糸はきっちりとした二等辺三角形を形作る。両目と針先を結ぶ線も二等辺三角形、こうした精密さがフェルメールの特徴である。そして「天文学者」もルーブルにはある。

そしてエジンバラ、スコットランド美術館にあるのが「マリアとマルタの家のキリスト」、フェルメール作品中最大のもの、160X142cm、焼失したと言われるものを除けば最も初期作品である。絵のモチーフになった福音書のキリストの逸話も紹介される。キリストが訪問した村にいた姉妹がマリアとマルタ、キリストと話をしたがる妹マリアを羨むおもてなしに忙しい姉マルタを諭すのがキリスト、マリアの楽しみを取り上げてはならないのだよと。そしてロンドン、ケンウッド・ハウスにある「ギターを弾く女」、弾いているギターはオベーションで、そのコードはGだと推測する。それがどうした、と言われればそれでおしまいだが。

このようにして次々にめぐる美術館、最後はドイツに戻る。「取り持ち女」という不思議なタイトルの付けられた絵。客が娼婦に回す左手、そして右手では金貨を娼婦の右手にまさに渡そうとする瞬間が描かれていて、その金貨を必死で確認する取り持ち女。その右側にいるのが帽子とマントを纏い、絵を見る人に笑いかけている「ほらこんなに間抜けに見えるのですよ」と。それを言っている人こそはフェルメールだと推測する。同じ美術館に並んで飾られる「窓辺で手紙を読む女」フェルメール作品で初めてフェルメールの部屋が使われたという。ベルリン国立絵画館、「真珠の首飾り」「紳士とワインを飲む女」があり、「二人の紳士と女」はアントン・ウルリッヒ美術館にある。ワインを飲む女はちょうどワインを飲み干した瞬間が描かれ、二人の紳士と一緒にいる女は軽薄とも思えるような笑いをこちらに向けている。なにを語りかけているのか。

最後にレーウェンフックが画家に依頼して描かせた観察画があるが誰が描いたのかはわからない。それを直接見せてもらった筆者はその観察画は絵描きによるものであり、レーウェンフックとフェルメールの関係や時代考察から、フェルメールによる可能性があることを匂わせる。

フェルメールの全作品を見て回る旅行、まことに贅沢であり、聞きようによっては鼻持ちならないスノッブともとれる一冊である。しかしあの「動的平衡」の筆者がこれを書いていると思うと、そんなつまらない考えは吹き飛ぶ。フェルメール自身が何気ない一瞬を切り取って、風景や人物の微分とも思える瞬間を写しとり、光りと陰りがあふれるすべての作品を通して「世界の動的平衡」を表現しているようにも思えるからである。フェルメールが2008年に東京に来た時に見た作品、それ以外の作品も含めて、あといくつの作品を自分で目にすることができるか、欲張る必要はないと思うが、こうして本で作品を巡ってみると、パリ、アムステルダム、ロンドンと直接見る可能性がある将来の楽しみも膨らむというものである。おっと、ANA機内誌、いい仕事してる。


読書日記 ブログランキングへ

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事