ネパールを観光して来ての感想を記してみます
今回はこの国のほんの一部を見たに過ぎないがとても面白い素晴らしい国である
機会があったらもう一度訪れたい
まず第1に子供たちの笑顔が素晴らしい
村々の戸口の前で会う子供が「ナマステ」と挨拶を送ってくれる(ほんの一部ではあるが手を出してくる子もいたが)
金品を渡さないでと注意されていたので一切渡さなかった(これがネパールの人にとっても良いことである)
エベレスト街道の人達(シェルパ族)は日本人とそっくりな顔をしている、サーバーは日本語が上手いので
日本に来たら誰も外人だとは気づかかないだろう
石垣石壁や段々畑がインカとそっくりであった、もしかしてインカ文明はネパールか伝わったのではないか?
今回のトレッキングには13名の参加者に現地サポーターが25人もついた
人件費が安いからこんなことができるのだろう
「2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると1日2ドル未満で暮らす貧民層は2200万人と推定されており、
国民の70%を超えている」(インターネットより)
トレッキングに必要な荷物を詰めたザックその他をポーターに預け、暑くなれば脱いだ衣類も持たせ
両手にストックを持ち首からカメラをぶら下げただけで歩く
大名行列である、そのカメラも最後には重くなりポーターに持って貰った
休憩場所に着けば早速先行していたコックが温かい飲み物を出してくれる、至れり尽くせりである
こんなトレッキングもできるのも彼らの生活が向上すればできなくなるだろう(かねをもっと出せば可能だが)
こんな思いができるのも今のうちである(行くなら早い方が良い)
ホテルまで荷物を運んでくれたポーター達は午後から下山し始め我々が3日間かけて登った距離を日が暮れる前にルクラまで
降りるのだそうです、ものすごい健脚である
カトマンドゥの道路事情
カトマンドゥの町には信号機があるが一つとして作動しているものは無かった
故障しっぱなしのせいか停電があるので使用できないのか解らりようがないが
たとえ動いていたとしてもカトマンドゥの人には何を指示しているのか解からないでであろう
自動車教習所にも信号機がないのだから
大きな交差点にはお巡りさんが手信号でさばいていたが小さな交差点には四方八方から車が突っ込み
直進が優先か?左折が優先か?右折が優先なのかどういうルールに法り優先順序が決まるのかいつも渋滞している
日本なら10分もかかれば到着できる場所に数十分かかってやっと行ける
道路はデコボコおまけに土埃がひどい
バイクが異常に多い車の隙間はバイクだらけ、後部座席の人はノーヘル
最近までは酔っ払い運転も禁止になっていなかったという
それでも一度も交通事故の現場にあっていない
混沌とした中にも彼等のルールがあるのだろう
ガソリン価格は1リットル160円位だという、輸入品なので日本より高いくらいである
それでバイクが多いのだろう
最近までトロリーバスが郊外から走っていたが停電が多いので廃止になったという
それとバスが多いバスといってもワゴン車のような車で行先表示もなく昇降口で人が行先をどなっている代物である
停留所らしき所があるらしいがどこでも乗り降りし停車している、これがさらに渋滞の元になっている
道路の道幅は十分広いのに駐車場状態になっている
道路が良くなって、停電も起こらなくなったらこんな光景は見られなくなる、見るなら今でしょう
会社や商店では一応始業時間が決まっている、しかし9時始業なら10時からの始業となるらしい
飛行機事情
これだけは天気次第
我々がルクラまで行った時は予定時間より2時間遅れであった
カトマンドゥに帰ってからガイドの人は今回は非常に順調にいって良かったと言っていた
ひどい時には1週間位飛ばないことがあるらしい
有視界飛行なので両飛行場とも司会良好でないと飛べない
エベレストが2日間も姿を見せてくれた
ホテルに行く前日にも途中で見えるはずであったが一度も見せてくれなかった
運が悪ければ一度も見ずに帰路につく人もいるはずである
我々は
運が良かった、参加者の心がけが良かったせいである
ホテルの従業員のガイドでハイキングに行った時チップはいくら欲しいかと聞いた関西のオバサンは
ネパールの人を蔑視していたに違いない、ヨーロッパに行って現地の人に同じことを言えるか?
家内はヒマラヤの山に魅了されもう一度行きたいと言っている
もう私は歳なので今回のようなハイキングはとても駄目なので今回が最後だと思いこのツアーに参加した
もっと簡単に行けるツアーを探してみたい
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