脳梗塞で身体障害者に成った人生についてと、占いと人生相談のサロン

脳梗塞の後遺症で左半身麻痺の身体障害に成ってから、社会に対する
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まだ遣れる悔しさで涙が溢れる

2017-02-07 12:37:56 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
自殺を決意して、いつ・何処で・どんな方法で逝くかを、毎日考えて暮らす日々。

死ぬ事が怖くて尻込みしてるのでは無く、逝った後の死体がどれ程醜く、周囲の人たちに迷惑を掛けるかを考えると、今までに実際自分が体験して来ただけに、申し訳なく辛い。

私が脳梗塞に成ったのは、丁度50歳の誕生日を迎えた後だった。

仕事も順調に伸び始めて、これからゆとりが出来ると言う時期で、本当は好きじゃ無い処か軽蔑してたのに、生活の為に始めた仕事だったが、漸く面白く成り始めた時だった。

それだけに、突然脳梗塞に倒れた事が悔しく、今でも無念なのだ。

尊敬する医師が、東大の富田教授の脳梗塞に成られても、立派に現役でお仕事をして居られる事や、国会議員だったの栗田さん事等を話して下さり、私の社会復帰への希望を、持たせて頂いた。

私も当然、此の儘社会から埋もれたくは無く、あらゆるリハビリをして社会復帰の努力をしたが、現実はそんな甘いものでは無く、障害者雇用法が作られても、障害者を雇用したのは、官庁等の公務員だけで、多くの企業は大・小関係なく、殆ど雇用無しだった。

脳梗塞で、仕事を失い、家を失い、夫を失い私の元には、倒れた時に着ていた服と、持ってたバッグだけ。

緊急入院に成っても、パンツ一枚ないのだった。

それから15年、必死で自分の頭をフルに回転させて、左半身麻痺の体で独り暮しを続けて来たが、もう限界!

現在の様な、血も涙も無い冷淡な行政では、私の様な天涯孤独な者は、生きられない世の中に成ってしまった。人数の多い団塊の世代が、悪いのか?

まだ、世の為・他人の為に、仕事が出来る能力があるのに、生かせない悔しさだけが心残り。その悔しさが涙と成って、溢れ出る。

自分の為には充分に頑張ったし、懸命に生きて来たから、何も後悔は無いが、ご先祖様から頂いたこの命。天寿を全う出来ないことは、申し訳なく、お詫びしなければならない。

自分の能力を発揮出来なかった人生が、悔しい!

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