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ワンダフルなにか ビューティフルだれか

並べてみると 輪郭がつかめるかもしれない

東京のサクラ満開宣言!

2011-04-06 23:00:18 | 雑記
      

    







今日が東京のサクラ満開宣言だそうです。



昼間、ピッカピカの新品の黄色い帽子をかぶったアホそうな男の子と
着物で着飾ったお母さんを家の前でカメラに収めるお父さん、
という一場面に遭遇した。

そして今日の善福寺川のサクラ。

文脈が変われど
春は来る。
そして口が開いて見とれちゃうくらいキレイ。



阿波踊り募金

2011-03-24 21:09:08 | 雑記









我が街と福島県南相馬市は「災害時相互援助協定」というのを結んでるそうだ。

先日駅前で阿波踊りの格好をした人たちが募金箱を持ってたので微力ながら参加。
集まったお金は南相馬に送られるそう。
赤十字とかドラえもんとか、大きく集めて全体に配分されるよりも
ピンポイントで自分の住んでる街と関係のある場所に送られるってのがしっくりきた。
安室ちゃんに額では負けてるけど資産に対する「率」では負けてねぇ!
と(思った時点で負け決定の)虚勢を張りつつ箱にヤットサー!!


今年はいつも以上に踊り狂う祭りになりそうだ。




ヤットヤットヤットサー!!!








入隊

2011-03-19 20:44:53 | 雑記



アウトドアメーカーのモンベルがやっているアウトドア義援隊に参加してきた。

物を送るってことには正直けっこう悩んだ。
個人の支援物資は物流の混乱を招く可能性もあって
かえって迷惑になるという議論もあるし。
長期的な支援て意味でも、現地で必要とされる価値に自在に変換されるという意味でも、
お金を渡すほうが有効であるということはわかる。
なので、もちろん募金もする。


でも。


これは完全に単純に個人のトラウマなだけなのだけど、
生き延びた人々が寒さで更に苦しむという状況が見てられない。

「善意がかえって迷惑になるのではないか」
と冷静になることはとても大事。
でも、その配慮が過剰になって、
実は有効だった支援をせずに大切なものを失うということもあるのだ。
いま、そっちがの方が怖い。
これはもう冷静な判断ていうレベルじゃない。
そんなものは関係ない。
「怖くてイヤだ、見てらんない」というだけ。
自己満足なだけ。
でも、自分ごときに何処に何がどのタイミングで必要かの判断ができないのも知ってるし、
その状態でやみくもに物資を送るのははっきりいって無謀すぎる。


だからモンベルの皆さんに任せることにした。
東日本中がアウトドア化してるような今、
そのスペシャリストに任せるというのはさほど無謀なことではないはずだ。
不合理な感情に折り合いをつけるにはこれしか思いつかなかった。


隊員の皆さん。
よろしくお願いします。
無駄だったらお手数ですがゴミ箱に直行させちゃってください。
くれぐれもご無事で!!(キリッ


<参考>
こんな方々もいる。
この行為が正しいのかは正直よくわからない。
わからないけど物資が届いて良かった。











渋谷にあるモンベルストアに、






毛布とタオルと衛生用品を持って行った。
それで終わればいいものを、
「他に現地で必要なものってあるか?」
と余計な気を遣ってしまったあげく、、






こんなものを買ってしまった。。。
(トランプにオセロ、、、完全にどうかしてる……)

最後の最後まで迷ったけど、ダメもとでお店に持ってった。
まとめて袋に入れて店員の女性と目を合わさず、
項目に「娯楽用品」と書く羞恥プレイも乗り切り、
ふぅ…返却されなかった!
と清々しい気持ちで家に帰って鞄をあけたら、










なぜおまえらがいる………
重さのせいか袋からこいつらだけ出てしまっていたのだ。


今日ほど神の手を感じた日はない。
「さすがにやめとけって!!マジで。」
と神が手助けしてくれたに違いない。
神さま、他の物資はくれぐれもよろしく。

これ、どうしよう……








でっちあげのベクトル

2011-02-05 23:35:23 | 雑記
Jimi Hendrix If 6 Was 9



Michael Jordan's Final Shot






自ら終わることをもし権利としてでっちあげるならボクは、


ゆらゆら帝国を全部あと1000回聴く義務を

ジミヘンを全部あと100回聴く義務を

マイルスデイビスを全部聴く義務を

ドンチェリーをもっと知らなきゃいけない義務を

親より先に死なない義務を

マイケルジョーダンのラストショットをあと100回見る義務を

レジーミラーの引退の瞬間をあと100回見る義務を

神々の山嶺をあと100回読む義務を

ナウシカのマンガを100回読む義務を


でっちあげ続けたい









第二の視線

2011-01-19 01:01:46 | 雑記


               さりながら



それはいったいどういうことなのか。
生の表象のほうがつねに、生そのものよりも切実であるということ。
私たちは人の肖像に対しては涙を流すのに、現実の顔に対しては
けっして涙を流さないということ。
必然的にそうなのだ。
にもかかわらず、映像の耐えがたい情念(パトス)は生から、
ただ生からのみやってくる。
なぜ自分たちが生き、愛した事物の真の姿を捉えるために、
映像(イメージ)を通過する必要があるのだろうか。
なぜかはわからぬが、そうなのだ。
そして、それを証明するためには涙すら必要でない。
                                  (237頁)


なぜだろうか。
このなぜという問いに、哲学はあらゆる類いの答を与える。
映像(イメージ)は事物の記号であるから、同時にその事物の
現前と不在を呼び起こすのだ、と言う。
それがないということを意味するために、愛していた対象物(オブジェ)を
私たちに返すのだ、と。
映像(イメージ)は私たちに喪失を指し示すが、それは、対象を
輝かしい幻影(シミュラークル)にして贈り、永遠に失われたそれを
すぐさま返すためなのだ、と。
そして、このように人生に与えられると同時に奪われてもいる真理が
私たちに到達するためには、映像が呼び起こす第二の視線が必要なのだ、と。
                                  (238頁)


……愛する者は彼の手から逃れてしまったという。
だが、おそらくいま一度暗闇に、信じながら二度目の視線を投げかけていたなら、
地獄は、かつて愛した女でないにしても、少なくとも友人である幽霊の
感動的な姿を彼に与えたことだろう。
                                  (247頁)


唯一残っているものであるこの写真ーー彼女はそれを初めて見たのかも知れないーー
を眺めたときに彼女の心に何が浮かんだのかを想像することはできない。
想像を絶した時間の広がりをわたって、それは彼女のもとへ戻ってきた。
生きている子どもがではないーー子どもを甦らせることは何ものにもできないーー
そうではなくて、決定的に失われてしまった子どもが戻ってきたのだ。
…… 
彼女が言えることはただ、他の子と同様、この子が無限に愛おしいということ、
この恐ろしい消失を何ものもけっして正当化できないということ、
過ぎ去った年月も子どもの喪失という剥き出しのスキャンダルを和らげることは
ないということだけだ。
……
こうして再び眺めることで、その人生の時間全体を見わたす視線で眺めることで、
女性はーー神秘的に微笑みながらーー生きている子どもに、慰められることのない
愛の優雅で憂愁に充ちた現在を差し戻すのだ。
                                  (249頁)


生き延びることは、可能であると同時に不可能であった。
それは試練であり謎だ。あの日、あの夜があり、そしてまた、あの日があった。
あの日、前の晩の何も消え去ってはいないのに、私たちはまた新たにそこにいた。
陽の燦々と注ぐどこかを彷徨い、なぜなのかを理解することもなく、
夢の中に佇み、許されざる者でありながら罪なき者として、生きている私たちが。
                                  (272頁)




アルバムを作っている。
記憶でしかなくなってしまった者の記録を、
せめて形にしてまだその記録を見ていない残された人に渡すために。
その記録について語るために。
そんな作業をしているいまにぴったりの言葉がたくさん記されていた。



non title

2011-01-13 00:35:46 | 雑記



ネットくらい見れんだろ?そっちも。
無事アイツを祝ってきたぞ。
見てたか?
おまえもつれてったつもりだけどな。


とりあえずしばらく休め。
そっちのあるあるネタでも収集しといてくれ。
そして今度聴かせてくれ。



何も出来なくてスマン





食わず嫌い王決定戦の3枚目の色紙を堂々と出す

2010-11-04 04:01:46 | 雑記
ありふれたメニューが予想以上に旨い。
というお店に出会うとそれだけで幸せになってまいますね。
蟹玉ってこんなに旨いの???
蟹玉ってこんなにとろっフワッッになれるの????
みたいな。


全然関係ないが、
食わず嫌い王決定戦を見ていて思うんですが
3枚目の色紙を堂々と、いかにもな理由をつけて出してるじゃないですか?
「あのしゃべり方は怪しかった」とか「ふつうそれに醤油をつけて食べるはずだ」とか。
でも、もうその人って4品中2品ハズしてるんだよね。
絶対こじつけじゃん!その理由。

でも、こう、ある程度生きてるとこういう局面てありますよね。
自分の最初の判断や選択がハズれた末におとずれてる局面というか。
前の判断にツッコミ所満載なのは明らかだけど全く別の事をしなきゃいけない局面。
3枚目の色紙的な局面。

で、そこで堂々と出す。出せる図太さ。これってけっこう必要だよなぁと思う。
「でも2品ハズしてるじゃんオレ」と
自己ツッコミを入れてシニカルな感じになるよりも
「さいしょっからこれだと思ってた!いやマジで!」
と堂々と押し切るタフさ。っていうんですか?
そうなりたいなぁなんて思うことがたまにあります。


でも蟹玉がおいしかった時はそんなことは忘れてます。


松雪泰子inルック

2010-04-21 00:30:50 | 雑記
倉科カナ ドラマ「Mother」第1話 あなたを誘拐していいかな?




ゆらゆら帝国解散から20日目

朝、家の近くの商店街で撮影をやっていて
まぁ珍しいことでもないので
普通に自転車で現場を横切ったら
松雪泰子がいた。
すごい厳しい顔をしてスタンバってたけど(そのせいからか)、
あのド庶民全開の商店街とのギャップも相まって
キレイさが際だってた。
おそらく↑のドラマの撮影だと思う。

距離にして2~3メートル。
人生で最も松雪泰子に近づいた日だろうな。