今日は談志の命日。
よみうりホールにて談志まつり。
師匠とジャッキーチェンの映画を見た思い出を語った談志最後の弟子談吉。
「落語をなめてる」と談志に唯一ぼろくそに言われた「短命」を敢えてこの日にかけた志らく。
仙人のような風貌になっていた山藤章二と吉川潮による顧問対談。
最晩年の、声が出ないながらも楽屋で立ったまま一時間近くやった「芝浜」の通し稽古の映像。
病気死亡ネタで飛ばす高田文夫に、「出方次第じゃ今のお笑い番組に出てもブレイクしちゃうんじゃないか!?」と思えるほどの奇跡的なおとぼけ具合を発揮した野末陳平が絡み絶妙なバランスでミッキー亭カーチスが加わった「立川流Bコース鼎談」。
同じ会場で2009年に行われた本邦初公開の映像「粗忽長屋」。
志らくが高田文夫の談志に関する不謹慎な言動をあることないこと喋り「オマエやめろ!!」と高田に止められる一連の流れが大好きで、それが生で、しかもそこにミッキー亭カーチスもいるステージなんてもうないんじゃないか?という理由でこの日を選んだのだが予想に反して野末陳平がおもしろかった。あの絶妙なマイペースっぷりはたまんないものがあった。
東京MX「談志陳平の言いたい放だい」共演時代、談志が陳平に毎回弁当をつくってきてくれていたエピソードも初耳で貴重だった。
「つまんなかったな」と映画帰りにセブンイレブンの前でなめらかプリンを二人で食べたという談吉の思い出話は、普通に電車に乗り普通に生活していた在りし日の談志を想像させてくれ温かい気持ちになった。
映像「粗忽長屋」は小咄満載で(ケチなヤツがもったいないから片目ずつでしかものを見なくなって~というネタが好きだ)本ネタは(行き倒れを囲む野次馬の煽り具合が)志の輔「みどりの窓口」を思わせる瞬間があった。(どちらが先がって行ったらもちろん師匠の影響を志の輔が受けたって事なのだろうが。この演じ方の粗忽長屋ははじめて聴いた。)
命日に同じ場所で行われた生前の一流の芸を大勢で堪能する(=腹を抱えて笑う)という事は「祭り」という言葉にぴったりな行為だと思った。
まつりはあと二日続くらしい。
全然関係ないが、
談志は毒舌家とは(毒舌家とされている自分とは)何かについて「毒舌家と呼ばれてるヤツは何言ったって影響がないって事であって、そういう所に置かれてるって事でもある。ぃやんなるね。」と的確に語っていた(政治家時代に)。
それを認識した上であれらの言動をしていたと思うとある種の迫力を感じる。
そして様々なエピソードから感じる談志の優しさが何より大好きだ。
【その他面白かったエピソード】
・その昔談志がウディ・アレンに落語の面白さを伝えようと粗忽長屋の映像を送ったが完全に無視
された。英語字幕をつけたのがデーヴスペクターで、わかりやすいように名前を談志じゃなく
「Mrトンカツ」にしようとしていた。
・ミッキー・カーチスはロカビリー三人男時代、日劇でライブをしたその足で朝日名人会に通って
いた。(まつり中、野末陳平はロカビリー三人男のことを「たびがらす三人男」と呼んでいた)
・陳平と談志の最初の出会いは陳平が野坂昭如と組んでいた漫才コンビ「ワセダ中退・落第」で
新宿松竹文化演芸場に出た時(小ゑん時代)。
・高田文夫が談志をしくじった時(雑誌で「やっこさん」と言ったのがばれた)、談志から30万
円と上ロース3枚を請求された。上ロースは「息子に食わせてやりたい」と夫婦プラス1枚に
なった。30万円は志の輔がなぜか払った。
・高田が別件でしくじった時、春風亭昇太・漫画家高橋春夫と練馬の談志邸に謝りに行った。
帰りに高橋春夫が談志邸の塀にしょんべんをした。
・ミッキー・カーチスが連れてきたバンドのドラマーのプレイがいたく気に入り、その場で10万
円を扇子のように広げてドラマーに渡した。ミッキーが払うギャラより高くて困ったらしい。