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ワンダフルなにか ビューティフルだれか

並べてみると 輪郭がつかめるかもしれない

散れば咲き 散れば咲きして 百日紅

2011-12-31 05:07:31 | 雑記

君はそう決めた ( You Just Decided )




30日は野音ライブDVDを見て過ごすことを恒例にしようと思っていたが
早速今年からやめにした。
なぜならこんなに素晴らしい新作が、
そして来年早々にはいちろうさんによる新作も出るから。
新しい動きが始まっているから。


きっと忘れない一年だから振り返らない。


どれだけの遠回りだったとしても
積み重ねた大部分を活用できない事になるかもしれないのだとしても
自分の内から湧き出るものにこれからは素直に従おう。
このステージを潰れずに乗り切った事実は自分の足腰を鍛える事になったはずだ。
その鍛えられた足腰を使って可能な限り進もう。
なにかを始めるのに遅いって事はないのだ。
それを決めるのは自分であり、それを証明するのも自分。
これからの残りの時間を使ってそれをやっていこう。
楽しみながら。


咲きながら散り、見上げればどの辺が散ったのかわからないくらい
また咲き続ける。
そんな百日紅のように。
そして傑作「百日紅」を描いた杉浦マンガに出てくる登場人物のように。
淡々と藻掻いて悩んで調子にのって浮かれて。
楽しみながら。
淡々と。
単純な嘘にドキドキしながら。





歌川国芳展

2011-12-18 23:01:19 | 雑記



没後150年歌川国芳展@森アーツセンターギャラリー

見終わってまず圧倒されるのは作品の数。
こんなにあるのか!
しかもこれでまだほぼ半分で会期後半には丸々入れ替わる
という事実にただただ驚愕。
絵師一人でこの数だとすれば絵師より多くの手間と時間を要する
と思われる彫師や摺師の事を想像すると…
出来栄えは彫師と摺師の技術次第って側面が大きいのだから
もっと個人名が残ってればおもしろいのにと見れば見るほど思う。

本などで見ていた作品も実物をみると迫力が全然違った。
紙の質感と染料顔料ののり具合や髪など細部の表現の印象も全然違った。
(先日のアダチ版画での彫師の実演にて「彫る時は色のにじみ等を考慮して
作品で見えてるものよりも細く彫っている」と聞いていたので髪の表現にはほんとに驚く)
浮世絵は実物を見なきゃ魅力がわからない事が結構あるのかも。

武者絵にも西洋画技法を取り入れて色味もたまらない風景画にも
実物を見て好きになったものがたくさんあったが
やっぱり国芳作品で一番惹かれるのは戯画だった。

「天保の改革によって、役者絵、遊女・芸者風俗の絵が禁止され、錦絵の出版会は
 大打撃を受けたが、それがかえって国芳に縦横無尽に戯画の筆を揮わせることとなった。」
(展示の説明より)


とあったけど、
確かにそういう側面もあるだろうが国芳の戯画にはそうした政治的な弾圧とか関係なく、
生まれ持った才能というか天性の笑いのセンスとしか言いようのないものがあって、
その匂いというか空気が作品に滲み出ている。
一目見てぷっと吹き出してしまい、
じっくり見て細部にちりばめられた笑いに顔がニヤつく。
そして凝り固まった心がほぐされて自由になっていく。
気づくと「いい!いいわ~~」と心の中でつぶやいている。
痛快で茶目っ気たっぷりで、ほっこりすらしてしまうという。
国芳を好きになったのはここが大きいと思います。


特に良かったのが「流行達磨遊び 手が出る足が出る」



なんなんでしょうこれ。
もう大好きです。
中央のヤツのポーズが。
見直すために三回順路を逆走してしまいました。

その他にも
犬の目とキジが怖すぎる「和漢準源氏 蓬生 桃太郎」
大判六枚続の大迫力「源頼朝卿富士牧狩之図」や
「さむがり狸・初午のたぬき」「叶福助 年の市まうでの図」など
好きな作品が多数できた。
そしてそんな作品達が全て収録された図録がこれまたたまらない。
これが、このクオリティのものが、
こんな手頃な値段で手に入れられるなんてそれだけで驚く。
それだけで行く価値のあるものでした。


とにかくお腹いっぱいです。
後期も楽しみ。


ささやかなラッキー

2011-11-02 00:02:47 | 雑記
がこのところ続いてる。

探しものはすぐ見つかり

食べたいと思った店(チェーン店)が

食べたいと思った瞬間目の前に現れたり

欲しくなった本が欲しくなったその日にピンポイントで

古本屋に格安で置いてあったり(古本屋で見たことないのに)。



さ さ や か だ なぁ ~

と心でつぶやいてしまう程ささやか過ぎだけれども。

まぁ、悪くはない。





たまらん色味

2011-10-31 01:23:06 | 雑記


いい!
歌川国芳「忠臣蔵十一段目 夜討之図」



元ネタがあって、オランダの旅行家joan nieuhofの↓



の影響、というかモロなんだけど
国芳の方が色味がずば抜けていい。


でもこのサイト



というバージョンがあって色味や絵が若干違うのは
初摺と後摺の違いなんだろうか?
まだ浮世絵素人だしよく調べてはないが12月に東京に来る
国芳展などで判明するかもしれないと期待。


でも断然最初の上の、抑えたトーンの方がいい。




non title

2011-10-18 00:35:41 | 雑記





予定より半年遅れでの再会。

サラサラになったアイツと対面。

後悔。

唯々、あの日あの時の自分を後悔。

そんなに万能じゃないことも知っている。

それをしたからって何か変わったのかどうかもわからない。

それでもあの日あの時。

ボタンひとつ押していれば。



想像もしてなかった自分に対する思いを知らされ激しく後悔。

俺は一度お前を裏切ったよ。

俺次第だった選択を

俺はお前を裏切る形でした。

お前は気づいていたのじゃないのか?

俺はお前が最期に残した言葉を知らない。

怖くて聞けない。

きっと気づいていたと思っているから。

それでも何も言わずに俺らの前では変わらずボケたおしてたお前を

その前後に広がるお前を苦しめる沈鬱な時間を知っていながら

更に俺は放っておいた。

誘わなかった。

いろんな理由で正当化もした。

でも本当は気まずくて面倒だったからだ。


何をやっても取り返しはつかない。

ほんとうにすまない。



君といつまでも

2011-09-30 23:04:17 | 雑記

8年間連れ添ったアイツが見つかった。

今週出てこなかったら新しいヤツを本格的に考えようと思っていた。

気がついたらすべての予定を変更して電車に飛び乗っていた。

冷静にオッサンや警官との手続き進めていたけれど、

実は内心泣きそうなくらい嬉しくなってる自分に

自分自身が驚いていたよ。

というか、誰もいない所まで行って密かに抱きしめてしまったよ。。。

フレームからサドルから、気持ち悪いくらい撫でていたよ。

愛撫だよ、もうこれは。

愛おしさが増し増しになってしまった。

こりゃ離れられないなもう。



愛着が わいた矢先に 君は失せ

2011-09-25 23:40:31 | 雑記
確か社会人になって間もない頃に買ったので
十年弱は乗ったであろう我が愛車tokyobike(確か初代)。

唯の街乗り自転車として使っていて
ずっと「もっとイイヤツに買い換えたいなぁ」
などと思い入れもたいして無かったんだけど
今年になってから
「こいつとは何気に苦楽を共にしてる気がする」
などと思い始めメンテなども丁寧にし始めたのもあり
妙に愛着がわいていた。

矢先である。

たった十分足らず。
目を離したスキに。
千と千尋ばりの神かくしである。
ない。
撤去でもない。
サドルを買い換えたばかりなのにない。
周りをくまなく、一時間くらい、刑事バリに聴き込みまでしたがない。


愛車ちゃん。
死活問題なので新しい奴と付き合うことを考えないとダメかもしれないけど、
お前の帰るスペースは空けて待ってる。


ただひとつ言えることは
ファッキン吉祥寺である。



夏、終わり

2011-09-08 00:48:28 | 雑記


夏の間ストックしていたガリガリ君梨味のラスト一本、
なんとなく食べずにとっておいてしまっていたけど
たったいま食べた。
この梨感、、、たまらん。。。。


今日を夏の終わりとしよう。


ちょっぴり区切りがついたり
まだまだもう少しだったり。


やりたいことがいっぱいある。
中長期的なものやしょうもないことも含めて、いっぱいある。
着実に、じゃんじゃんやっていこう。
例え人に迷惑をかけようともだ。
(その時はあとで謝るしかない。)


秋もシマッテコー!!


児玉清とフィリップフォレスト

2011-05-20 00:23:27 | 雑記

今年のはじめに何度も読み返していたフィリップフォレストの「さりながら」
この本を知ったのは児玉清司会の「週刊ブックレビュー」だった。

「これは何度も読み返したい本だ」
と、あの独特の淡々としたトーンで、
しかし普段よりも幾分か熱のこもった印象の語り方で
数年前に放送したものなのだがずっと記憶に残っていた。


児玉清にいつもと違う印象を受けたのは気のせいってワケでもなさそうだ。


喪失の世を生き延びるために
幼い娘を小児癌で喪った〈私〉は、忘却と記憶の間を彷徨うように
パリ・京都・東京・神戸を旅する。
本書は、これら四都市を巡る短い章に挟まれ、〈私〉が深い共感を覚える三名の
日本人の肖像(それぞれ三十一の断章形式)が展開される、エッセーと小説の間を
たゆたうような不思議な魅力を湛えた作品である。


とあるように、著者は娘を幼くして亡くしていて
それに向き合う事がこの本のひとつのテーマとなっている。
児玉清も10年前に36歳の娘を(自分と同じ病気で)亡くしているらしい。

親友である作家北方謙三が
「その場に居る居ない関係なく本の悪口を言う人間ではなかった。
 彼は本当に紳士だった。が、ある時期だけ厳しく接してきた時があった。
 それが娘さんを亡くしたあの時。後にも先にもあの時だけだ。」
と追悼番組で語っていた。


静かに淡々と、だけどちょっと違ったあのトーン。
あの放送回、もう一度見たいな。