ワンダフルなにか ビューティフルだれか

並べてみると 輪郭がつかめるかもしれない

怪物現る

2014-10-30 00:48:22 | 美術




大相撲ジャーナルの表紙がサイコーだったので、

帰りに近所のすべての書店の目立つ棚にこっそり挿しなおしてきた。

(最背面) 「大相撲ジャーナル」 → 顔 → 「怪物現る」 (最前面)

のレイヤー構造がサイコー。




現代の仏師や彫刻家、フィギュア原型師はなぜ浅田真央と貴乃花と朝青龍を創らないんだろう?

とずっと思っているのだが、先場所で逸ノ城(ザンバラ頭時代)も加わった。

本気でこの4体を創ったら相当いいものができると思う。


「駿(たかし)×駿(はやお)」という企画で宮崎駿に絵を描いてもらうのはどうだろう?



【追 記】
当然記事も読んだのだが、現代モンゴルのゲルは太陽光発電が完備されており、
それを利用して逸ノ城は相撲中継を見ていたと書いてあったのが面白かった。




Nerhol ATLAS IMA Gallery

2014-10-23 01:02:49 | 写真






近かったのでサントリー美術館で高野山の名宝を見た後にIMAGalleryにNerholを見に行った。


Nerholを知ったのはもちろん雑誌IMAを読み漁っていた時なのでつい最近だ。Nerholとはグラフィックデザイナー田中義久と現代アーティスト飯田竜太によるユニットの名前で「練る」「彫る」から来ている。「彫る」というのがこのユニットの特徴を表していて、雑誌IMAvol.2によると「1人のモデルを3分間連続で200枚の写真を撮影し、その200枚を重ねたものをごく普通のカッターで掘り込んでいく」とある。要するに立体作品となっているのだが、作品画象と文章を見ても、カッターで「紙を彫る」ということがどういう事なのかいまいち想像がつかなかったので一度見たいと思っていたところに良いタイミングで展覧会が開かれた。


なるほど、これは実物はを見ないとはじまらない。200枚の写真は辞典くらいの厚さがあり、それを様々な角度で彫ったものは何に似ているかと言えば立体の地形図かもしれない。違う時間を記録した連続写真が削られ、それぞれの時間が一部だけ表出している部分は、地球の時間の移ろいを示す地層の断面を見ているようでもあった。「ATLAS」というタイトルもそうした意味が込められているのかもしれない。


立体地形図や地層と同じように、見るだけではなく触りたいという衝動をおこす造形(というか質感?)をしていた。触るだけではなく、なんなら持って重量を確認し、匂いすら嗅いでみたいという、視覚以外を刺激してくる作品だった。もちろん触ってはいけない(はず)。このユニット、立体にこだわっているわけではないらしく、立体にした作品をさらに撮影し、大判プリントをした平面作品もあった。立体作品はそんなに大きい物ではないので、個人的には大判サイズの立体も見てみたいと思った。今回はポートレートのみの展示だったが公式サイトにある図形や本を彫り込んだものもおもしろそうだ。ポートレートの後方部分も撮影して彫り込んだり、マイブリッジ的な連続写真を彫り込んだりしたらどうなるんだろうか?などという想像も膨らんだ。







Nerhol ATLAS
IMA Gallery
会 期 2014年10月16日(木)~11月30日(日)
時 間 11:00~22:00 不定休



高野山の名宝 サントリー美術館はわかっているのか!?

2014-10-19 00:42:04 | 美術


「勢揃い」という言葉に弱いらしい。
今年二回目の「勢揃い」に引き寄せられサントリー美術館へ。



高野山開創1200年を記念した今展の展示数はそんなに多くない。が、数を補って余りある内容である。まず入ってすぐに空海直筆の聾瞽(三教)指帰がある。日本初の戯曲小説と言われるあの聾瞽指帰の直筆である。空海ほど「直筆」にテンションが上がる人はいないかもしれない(なんたって弘法サマだし)。密教法具も少ないながら充実しており、独鈷杵(作品No5)はこの法具が武器由来だという事をはっきりと感じさせるデンジャラスな造形をしている(そこが美しい)。個人的に珍しかったのは、密教儀式の中でスタンプのように使われていたらしい板彫の胎蔵曼荼羅図。専用の厨子もあった。どんな図像がスタンプされるのか見てみたかった。


そして仏像が並ぶ。まず大日如来坐像、天弓愛染明王像の平安仏、続いて鎌倉時代の不動明王が並ぶ。不動明王は水晶の玉眼・玉歯が照明のおかげで輝いていた。続いて快慶作の仏像が並ぶ。執金剛神立像(右足の指たち!)、東大寺大仏殿の雛形と言われている四天王(勢揃い!)はさすが快慶と言えるレベルの高さ。


ここまでが4Fの展示である。そして今展のクライマックスはここから始まる。サントリー美術館では2フロアを使って展覧会が行われ、4Fから3Fへ階段を降りていく動線のものが多い。展示室を出て廊下を通り、吹き抜けのひらけた空間にある階段を降りていくのだが、ここを使ってここでしかあり得ない風景が広がっていた。階段を降りた先の空間に孔雀明王坐像(快慶作)が置かれ、後ろの壁に巨大な五大力菩薩像の仏画が飾られており、それを階段の上から見下ろせるのである。この立体と平面の組み合わせ、配置。階段を降りるにつれて変わる景色。降りては登り、立ち止まったりを繰り返しまう風景画そこにはあった。


最後に今展の目玉、大クライマックス、運慶作八大童子像が勢揃いした部屋がある。とにかく良い。配置が良い。照明が良い。バックの壁が赤いのが良い。そして「勢揃い」という迫力。全てが(一応)運慶作だという迫力。慶派のお腹表現はどうしてこうも魅力的なのだろう?もちろん玉眼を含めた表情もである。中心にいる不動明王坐像(平安仏)だって良い。この9体のおわす部屋は時間をかけてじっくり味わう価値のある部屋なので、全体の展示数が少ないのはかえって助かる。




【八大童子総選挙】
を勝手に開催し勝手に投票していたのだが、見返す度に順位が変わる。特に烏倶婆ガ(うぐばが)童子はどんどん順位が上がっていく。左側(左眼側)からの表情にどんどん惹きつけられるのだ(照明による玉眼の光り具合が良い)。とはいえ何度見返しても制多伽童子のセンターは揺るがなかった。「さすが看板童子、不動のセンター!」などと心の中で叫んでいたが、よく考えれば不動のセンターは不動明王である。


【美術館で仏像を展示する意義】
とは?それは本場のお堂でも見られない、期間限定だからこそ可能な形での展示をする事だと思う。より近くでいろんな角度から、凝った照明演出で、といった方法で。今回サントリー美術館はここでしか不可能な展示風景を多く生み出していたと思う。なのに、だ。なのになぜ?なぜこの風景を記録した図録を作らなかったのか?あの角度からの孔雀明王やあの照明があたった八大童子の価値を美術館自身本当にわかっているのか?あれを形に残さないでどうする?二度と見られない風景かもしれないのに。ポストカードにすらなっていない。魅力的な人ほど自分の魅力に気づいてないケースはわりとあるけど、そういう事なのか?こんなに良い展覧会なのに何も買わずに帰ってきたのははじめてかもしれない。






高野山の名宝
サントリー美術館
会 期 2014年10月11日(土)~12月7日(日)
時 間 10:00~18:00(金・土は10:00~20:00)



菱田春草展 東京国立近代美術館

2014-10-15 00:48:04 | 美術





前期のみの展示を見逃すわけにはいかないので岡崎乾二郎を見たあとに近代美術館へ。


初見である私にとってはどの作品も新鮮だった。初期の「鎌倉時代闘牛図」が好きだし、「水鏡」「拈華微笑」「寒林」「王昭君」は岡崎解説のおかげで深く味わうことができた。「水鏡」の、天女が水面に映る我が身を見て「自分とて老いは来るのだ」と悟った場面を水面に映る顔を描かずに表現に見惚れる。「王昭君」の、一人だけこちらを向いている女性と目が合いドキッとする。あれは春草本人ではないか?(岡崎的な意味で「見えないものを描」いたこの作品の謎を「おまえは解けるか?」と春草が同じ顔の女性に化けて絵の中からこちらに問いかけているように見えた)。岡崎がカスパー・ダーヴィド・フリードリヒと比較していた「雪の山」は好きな風景画だ(四季を描いた作品が結構あったのだが春草の描く冬には雪があまり出てこない印象を受けた。今展がたまたまそうだっただけなのだろうか?)


やっぱり「落葉」は凄かった。しばらく椅子に座って見惚れてしまった。しかしなんだか悔しくもあった。どれが一番良かったと言われれば重文指定の永青本ではなく福井本(福井県立美術館所蔵)だったのだ。俯瞰の視点をとりつつも土坡(すなわち地面)を描かなかったために落葉に複数の見方が生まれ無限に深まる空間の感覚を与えていると岡崎も永青本の魅力を分析していた。しかし同じ文章で「距離=空間は描かれるものではなく知的に構成されうるものであることを春草は明瞭に自覚していた。それを示唆するものを無理に描こうとすれば、煩雑になるばかりである。」と書かれた部分はむしろ福井本に当てはまるように個人的には思えた。私には、俯瞰が浅く画面上部は落葉も幹もほとんど描かれてない福井本の方が奥への広がりをより感じられ、そこに見惚れてしまった。


この絵が描かれたのが亡くなる一年前だということも大きい。腎臓疾患から来る眼の病の治療のために移り住んだ代々木の林が描かれているのだが、この時期の春草の中には多かれ少なかれ「死」というものがあったに違いない(文字通りの死と失明による画家としての死の2つの意味で)。そうだとすると、林の向こうに春草が見ていたものとは…?それがより表現されているのが福井本のあの余白だと私には思えた。ある意味最も「見えないもの」を描こうとしたとも言える。しかしこれはわかり易すぎる見立てであるし、そんな個人の内面の投影などではなく、もっと高度な技法として「見えないもの」を描き、「無限の空間」を描こうとしていた可能性のほうが高い。その意味では永青本の方に何かがあるのかもしれない。永青本の魅力を十分に感じられる眼が私にはまだないのか?という悔しさが少しあった。


展示のように正面に並べるか?ハの字にして角度をつけるか?屏風として立てず絵画のように平らにして壁に飾るか?自分なら福井本をどう飾るかを考えていた。角度をつけず展示のように正面に、前後にずらして左隻の右側と右隻の左側を少し重ね(屏風自体に奥行を持たせ)、それを寝転がって眺めたい。春草も製作途中に体調がすぐれず寝転がって屏風を見上げた瞬間があったんじゃないだろうか?その時の(体調からくる)気分と眺めがあの余白を生んだんじゃないだろうか?と勝手に想像している。






菱田春草展
東京国立近代美術館
会 期 2014年9月23日~11月3日
時 間 午前10時~午後5時(毎週金曜日は午後8時まで)


DOMMUNE University of the Arts  岡崎乾二郎による菱田春草

2014-10-13 00:54:35 | 美術




菱田春草よりもこっちが先かな…と直感が働いたので秋葉原へ。


現代日本を代表するアーティスト(宇川直宏言うところの現在美術?)の有名どころが勢揃いしている会場は顔見世興行のようだ。会田誠のダンボール作品を初めて見たし、杉本博司の絵画作品もあった。田名網敬一も立体作品は初めて見た。


この展覧会、というよりこのイベントならではの魅力は、作品展示に加えて各作家によるトークがDommune上で行われることだ。魅力的なラインナップなのだが、配信時間の都合上見逃してしまうものが多い。嬉しい収穫だったのは会場では各作家のトーク映像が流されていたことだ。まだトーク自体が行われていない作家は当然見られないのが各作品の横には全てモニターがセットされているので順次流されていくのだろう。会期末に近づくにつれ展示が完成されていく仕組みになっている。


直感は正しかった。というのは見逃していた岡崎乾二郎のトーク映像で菱田春草展について言及されていたからだ。めちゃくちゃ面白い。「見えないものを描くとはどういうことか?」について春草作品を例に、フェノロサのいう「妙想=イデア」とは違う視点をいれた簡潔かつ深い解説をしていた。これを聴いているのといないのとじゃ春草展を見る面白さが全く変わっていただろう。さらに深い分析がネットで販売されており読んだのだが、これまた面白い。当時の日本美術院と春草が何をしようとしていたのか?が画像を用いて詳細に分析されていたり、猫画における観山との違い、ホイッスラーやフリードリヒ、ピエロ・デラ・フランチェスカと春草の関係、岡倉天心にまつわる歴史画問題などにも触れている。分析対象の作品は全て展覧会で見られるものだし、この質と量で400円なら会場で音声ガイドを借りるよりよっぽど良いと思う(音声ガイドを使わないので偉そうなことは言えないが)。そして近代美術館は岡崎乾二郎のトーク映像を会場で流したほうがいいと思う。


その他にも沖縄でやっている「内間安瑆の世界」展にからめて日本の創作版画の素晴らしさ(と国内における言及の少なさ)や自身が今取り組んでいる描画ロボット作品や展覧会(これも面白い!見たい!宇川直宏との合同展をぜひ実現して欲しい)についても語っており、このトーク映像が見られただけで秋葉原に行った価値が十分にあった。



【遭 遇】
会場では関連イベント(ライブ)が行われる日だったらしく、さすがドミューン、「ここはクラブか?」と勘違いしそうになるファッションの人達が入り口から溢れるほどにいた。一方、秋葉原駅付近では歩行者天国が行われており、メイド喫茶やアイドルイベントのビラ配りの女の子と行き交う大勢の男たちが中央通りを埋めていた。同じ街でこんなにカラーの違う集団に同時に遭遇して軽く興奮した。






DOMMUNE University of the Arts
3331 Arts Chiyoda
会 期 2014年09月20日(土)~2014年11月03日(月・祝)
時 間 【展示】 12:00-19:00(番組配信日は23:30 まで) 
    【番組配信】19:00-23:30(期間中不定期開催)
料 金 【展示のみ】800 円 【番組観覧】1,800 円(展示入場料含)



張り込み日記 渡辺雄吉

2014-10-09 00:14:01 | 写真




今ほど写真に興味がなかった頃からこの写真集だけは気になっていた。寒空はだかと南陀楼綾繁が語っているのを聴いたのがきっかけだった。戦後、茨城で起きたバラバラ殺人事件を捜査する刑事に密着したドキュメンタリー写真で、当時の日本ではさほど話題にならなかったものを2006年にイギリスの古書ディーラーが神保町で120枚におよぶプリントを発見し、フランスから写真集が出版される(2011年)。するとたちまち話題になり、今年4月に逆輸入の形でRoshinbooksから日本版が出版された。


vivian maierと同様に発見され、写真集という形になるまでのドラマが魅力的だ。この間六本木のIMAストアで実物を見たのだが、この本、死ぬほどカッコイイ。まず写真自体がカッコイイ。南陀楼綾繁も言っていたが絶対に演出が入ってるはずで、じゃあどこまでが演出なのか?ひょっとしてほとんどなんじゃないのか?と思えるくらいドラマチックな捜査風景が写し出されている。そして本自体がカッコイイ。104ページの薄いハードカバーでモノクロのこの表紙(2nd Edition)。控えめなタイトル文字がカッコ良さを引き立てている。


欲しかったけれど気安く買える値段でもなく、ウジウジしているうちになんと別の日本版が出版される事を知る。分量も増え、装丁を祖父江慎がやり乙一も絡んで値段も安くなると聞いて喜んでいたのだが、よくみるとサイズがB5となっている。とても小さい。タイトルが「日記」だからこのサイズにしたのか、単にコストの問題なのかはわからないが、roshinbooks版の大判の迫力には捨てがたい魅力があった。しかしもっと数が見たいとも思う。これは迷う。さらにウジウジすること間違いなしである。関係ないが、祖父江慎てこんなに赤塚不二夫っぽかったっけか?




↓の英語版を買えばサイズと分量の問題は解決するんだろうが表紙が日本版ほどカッコよくない。






IMAを読み漁る日々

2014-10-07 00:02:50 | 写真


ここ数日、人生で最も写真漬けな日々を送っていた。というのも、写真雑誌IMAが全号安く手に入り、ぱらぱら読み始めたら面白くて止まらなくなったのだ。全然知らない写真の世界だというのもあるが雑誌として面白い。


「Great Master's View」は有名な写真家の人となりを毎号1人、適度な量の文章と作品で紹介してくれる。各号の特集も、都市・動物・物語・テクノロジーなどテーマを設けて数人の写真家の作品と様々なジャンルの人間による批評を、これまた丁度いい分量で載せている。そして全体にいえるのは、写真のクォリティが良いということ。写真雑誌なのだから当たり前といえば当たり前だし、本当に「良い」のか素人の私にはわからないのだが、あのサイズ(A4より少し大きい)で捲りやすい(見返しやすい)ソフトカバー、紙質も作家によって使い分けられていたりする。この塩梅が丁度良く、同じ作品をネットや実際の写真集で見るよりも魅力が伝わってくることが多い(先日、六本木のIMA CONCEPT STOREで写真集を見まくったのだが、サイズが小さかったりハードカバーで重すぎたりして雑誌で知らなければ良さがわからなかっただろう作家が何人もいた)。


この雑誌のおかげで好きな作家が一気に増えた。まずRichard MosseEdward Burtynskyの圧倒的な写真にヤラれ、全ての写真集が欲しくなったし(しかし高い…)、志賀理江子「螺旋海岸」は本当に素晴らしい。Vivian Maierはセルフポートレートが特に凄い。彼女が世に知られた経緯のドラマ性にはやっぱり惹かれてしまう。現像してないフィルムもあり、他人はおろか自分で見る事すらも目的ではないにもかかわらず、あのクォリティの写真を撮り続けていたという事実に唯々驚く。富も名声も関係なく、撮る事=生きる事だった先人が確かに存在し、時を経て他者により発見されたという事の希望。「盗撮はすべて悪なのか?」についても考えさせられる。彼女についての映画「Finding Vivian Maier」もなんとか見た(探せばあるものだ。日本語字幕でもぜひ公開して欲しい)。


Taiyo Onorato(tonk)のセンスも大好きになったし(グランドキャニオンとフライドポテト!!)、Cristina De Middelも良い。写真家としての安部公房の魅力もわかったし、100年前のCaptain Scott南極探検のクォリティの高い写真なんてこの雑誌を読まなければ絶対出会わなかった。ホンマタカシの連載「PHOTO BOOK STUDIES」も、菅野美穂の有名なヌードや笠井爾示「月刊シリーズ」を写真史の中に位置づけてルーツを紹介したりしていて面白い。その他、Raphael DallaportaTaryn SimonLeon GimpelRoger Ballen濱田祐史米田知子…挙げればキリがないくらいで、写真を見る楽しみが広がった。


いま楽しみなのはMartin ParrとWassinkLundgren(ユニット名)が共同で編纂している中国で出版された写真集の歴史本「Chinese Photo Book」だ。日本語版がでるのかわからないが、実物を早く見たい。また、DVDが出てから見ようと思っていた「世界一美しい本を作る男」が現在都内で再上映されていて、観に行くべきか悩んでいる(監督の一人ヨルグ・アドルフが撮ったドイツ卓球のスター、ティモボルについてのドキュメンタリーとまとめて見たいと思っていたのだが…)。









Alexander Gronskyトークショー Viviane Sassen Thomas Ruff個展 TOLOT

2014-10-05 22:04:52 | 写真




Gronskyが来日しトークショーをするというので再び東雲はTOLOTへ。



着いて早々に入り口でぼんやりタバコを吸ってるGronsky本人に遭遇し、驚きつつも再度ギャラリー内の作品を見る。やっぱり良い。トークはこれまで撮ってきた各シリーズをプロジェクターで映しながら本人が説明を加え、聴衆からの質問にもその都度答えていく形式で進んでいった。写真集とギャラリーの作品、そしてプロジェクターで映された作品を見比べて、作家本人はサイズについてどう思っているのか気になった。巨大建築とその周辺に広がる広大な空き地(そしてそこに小さく映る少数の人間)が多く登場するGronsky作品は、大きければ大きいほど良いんじゃないか。サイズについて質問してみようと思っていたら、その前に本人自ら考えを述べてくれた。自分の作品はサイズが大きいほうがディテイルを伝えられる言っていた。今回展示されていた作品より大きいサイズがあるのかも知りたかったが聴きそびれてしまった。個人的にはギャラリー作品の倍以上のサイズで見てみたいと思った。その他、どの作品が偶然でどの作品が意図的な細工をしたかという細かい事情を知れたり、ロシアの団地事情(団地と団地の間にひらけた場所を設けなくてはならないらしい。だからああいう風景が撮れるのだ)やロシア人の工事現場の使い方(あの日光浴は珍しいものではないらしい。)を聴くことができたりと充実したトークショーだった。


TOLOTでは同時に来日していたViviane Sassenの個展とThomas Ruffの個展もやっていた。Ruffはギャラリー小柳にあった「Negatives」シリーズの方が好きかもしれない。あの手法でもっと紋様の細かい服装や装飾品を纏った人物を撮って欲しい。それを「Ma.r.s」シリーズくらいのサイズで見てみたい。(「Ma.r.s」シリーズはIMA最新号で読んで楽しみにしていたのだが、会場の照明のせいもあって見ている自分とこちら側の風景が映り込みすぎて集中できなかった。銀座も東雲ももっと暗い方がよかったんじゃないのか?)。Sassenは小サイズながらも、雑誌で見るより綺麗な色をしていた。特に黒人の肌の質感に魅せられた。Sassenが全盛期のマイケル・ジョーダンを撮っていたらさぞや…と想像しながら見とれていた。


Gronskyは今回の滞在中、写真を撮りまくっているらしい。東雲なんか好みの風景がたくさん転がっている気がする。いつかどこかで発表してくれるのを楽しみにしている。