2024年12月20日(金)
葬儀のオープニング?は「月の砂漠」「ふるさと」
などチェロの演奏で始まりました
叔母(母の妹)が育てた譲さん 今は岐阜の
500年の歴史のある願了寺の住職です
岐阜から駆け付けてくれました
三男の源治兄はこのお寺の納骨堂に眠っています
住職が叔母に育てられているころ 武義兄が色々
お世話した話、エピソードをたくさん話されました
早くに連れ合いをなくし 子どもの居なかった叔母は
穣さんをある大きなお寺の生まれたばかりの時から
譲り受けて 育てました
私も度々叔母の家に泊まり 4つ年下の譲さんを弟の
ように 思っていた間柄です
住職の話は ほぼ身内だけの通夜にはぴったりの話で
少年時代や まだ若い頃の兄が穣さんを父親代わりに
お世話していたことなど 兄の子どもたちも従弟たち
も知らない話でした
控室で 穣住職に昨夜のお話がとてもよかった
と話したり 源治兄の納骨堂の話などできました
私も18日のブログに書いた内容の話を したの
ですがふたりの話がマッチして とてもよかった
と言われました
一般に葬儀や通夜の住職の話は いつも抽象的で
長くて面白くないと 思っていましたが故人の幼
い頃の話など 誰もがあまり知らない話で一番
ぴったりの話だったと今日も話題になりました
叔母がヤミ米を売って育てた話などは戦後の
あの厳しい時代を 仕事もなくもらい子を育て
た苦労 昭和の私たちには身につまされます
兄は4日前に仏壇が届き 仏壇開き?をした
ばかり家系図もごく最近出来上がったばかり
でもそれは本人が受け取ってどこにしまって
居るのか同居してない子供たちは知らない
との事 準備万端整ったのがよくなかった
かも?などとも話したりしました
今回は火葬場にも同行出来て 姪っ子や
甥っ子とおしゃべりできました
火葬場では待つ間 レストランで自分の
好きなものを注文していただきます
鹿児島では 手作りや仕出し屋の料理を
皆で頂くことが多かったのですが
比較的軽いサンドウイッチや カレー
チャーハンでした
2時間ほどで火葬を終わり 再び葬儀場に戻り
初7日を済ませました
4時前小倉を発ち 6時半には帰宅できました
やはり 84歳の一人旅は疲れます
帰りはぎりぎり席が取れました 超満員でした
兄のブログにお二人からのコメント
とても嬉しいです
春爺さんと初めての方が 温かいコメントを
寄せて下さり 兄に詠ませたかったです
有難うございます
明日にでもお返事のコメント書かせてください
追記
実姉も北九州の施設に入居していますが 今回
車椅子で娘たちが連れてきてくれました
思ったより元気で 私もちゃんとわかってくれて
安心しました
もう姉妹二人きりになりました