光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京都水道歴史館 3 明治へ

2010年01月27日 | 歴史、民俗

歴史館の2F(江戸時代)から、1Fの明治以降の展示に。
明治の初期は、コレラが流行した。 これが近代水道のきっかけとなった。


新宿の淀橋に大規模な浄水場が建設された。  下の図で、左上のオレンジ色が淀橋浄水場、中央上部が、本郷給水所(この歴史館がその位置)、左下が芝給水所。


淀橋浄水場は、廃止となり、現在は西新宿の高層ビル群となっています。


高層ビル群   右の道路のように見えるのは、新宿駅と線路。


右端は蛇体鉄柱式共用栓で、後の水道の蛇口の語源となった。  黄色は消火栓。


馬水槽。 明治36年(1906年)にロンドン市牛馬給水槽協会から寄贈されたもの。 


うしろは、人用か。


当時の東京府庁舎横の馬水槽。  下部には犬猫用の水槽も。

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2 コメント

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こんばんはです。^±^ノ (てくっぺ)
2010-01-28 23:20:32
淀橋浄水場、なんとなく知ってますよ。^±^
その頃中野にいましたのでした。^±^
十二社(じゅうにそう)には大きな池があった記憶が。
コレラはコロリって言ってたんですよね。^±^
てくっぺさんへ (te)
2010-01-31 02:29:46
こんばんは
返信が遅れてすみませんでした。
十二社(じゅうにそう)は初めて聞く
地名で、Webで調べると、淀橋浄水
場のすぐ近くにあった熊野神社関係の
地名なんですね。角筈熊野十二社とし
て広重の名所江戸百景の絵にもなって
いますね。 池も昭和43年に残念な
がら埋め立てられたようです。 

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