光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京国立博物館 茶の美術 「 破格から調和へ 17世紀の茶陶」

2021年06月25日 | 博物館レビュー

東京国立博物館 茶の美術 を集中して取り上げているシリーズ。

今回は、2020年11月4日に訪れたトーハク、目的は特別展「桃山-天下人の100年」でした。

特別展に入ってすぐ、狩野永徳の唐獅子図屏風、楓図屏風、長谷川等伯の松林図屏風の3作が並んで展示

おおー!と思わず息をのみました。(唐獅子図屏風だけが国宝ではありませんが、これは皇室所有のため)

茶器でも、〈国宝 志野茶碗 銘 卯花墻〉、〈重文 黄瀬戸立鼓花入 銘 旅枕〉など名品が並んでいま

た。この時代は、日本文化の爛熟期だったんだなー と改めて思います。撮影禁止だったのが本当に残念

 

そして、本館では、特別展との連携企画「 破格から調和へ 17世紀の茶陶」が特集展示されていました。

 

 

最初の写真は、特別展「桃山」を見終えて、本館へ行く途中、庭園に立ち寄ったときのものです。

茶室「転合庵」前の芝生から、本館の眺め。    13:11分撮影

 

 

 

逆に本館テラスから、転合庵を撮影。 上の写真から2時間後なので芝生が陰になっています。  15:13分撮影

 

 

 

特集のキャプションです。

 

 

 

 

【黒楽茶碗】

楽家初代の茶碗に比べると、趣が異なりますが、これはこれでいいな-と思います。

 

 

【黒楽茶碗 銘 かのこ斑】

 

 

 

【黄釉茶碗】

”きれいさび”の言葉通り、端正な茶碗です。

高取焼は郷里福岡の窯であり、小石原焼※の窯も近かったので、親しみを感じます。   ※ 宗家二代目が興した窯、小石原高取

 

 

 

【片身替釉茶碗 銘 深山路】

次は”きれいさび”の前世代となる内ケ磯窯の作品。 織部の雰囲気と、力強さを感じる

内ケ磯窯は、今は福智山ダムの湖底にありますが、 全長46.5 mの登り窯で、開窯当時(1614年)最新式・最大級の窯だった。

内ヶ磯窯跡の発掘調査によって、 作品に唐津焼や備前焼そして瀬戸焼 ・美濃焼などと同じ形・技術があることが分かっている。

1620年には、元唐津藩の武士で茶事を好み、焼き物の釉薬に詳しい五十嵐次左衛門が黒田藩に召し抱えられ、内ヶ磯窯で協同で

作陶に従事し始めた。 しかし、1624年に朝鮮から連れてこられた陶工の八蔵父子が帰国願いを出すと、藩主が激高し、八蔵

父子の蟄居、内ヶ磯窯の廃絶となった。 従って、内ケ磯窯で作陶されたのは、わずか10年ほどのことだった。 


 

 

 

 

茶室転合庵とゆかりのある 【耳付き茶入れ 銘 於大名】

 

 

 

【竹茶杓 銘 埋火】

 

 

 

 

 

【柿の蔕茶碗 銘 唐衣】

何かの本で読んだことがあるのですが、日本の茶事に使う高麗茶碗は、朝鮮の現地では出来損ない扱いで

飼い犬の餌用の碗などに使われていた・・・確かに、歪とかムラとか、欠点となるものに価値を感じない

と、餌茶碗も仕方ないところ。 日本人の見立て好きが、餌茶碗を格好の素材にしたのだった。

 

 

 

【魚魚屋茶碗 銘 さわらび】

 

 

【狂言袴茶碗 銘 浪速筒】

餌茶碗から一転、端正な茶碗。

そういえば過去に、朝鮮の陶磁をいろいろ見てきましたが、こんな形の茶碗は見なかった。

でも、模様とか釉薬の調子は、朝鮮陶磁だと感じます。 やはり、日本からの注文で焼いたのだなーと納得。

 

 

 

 

【古染付高砂手花入】

「謡曲 高砂」にちなんだ名称の花入れ、当時(江戸時代)は、謡は身分の別無く愛好されていたので

こんな名付けで、十分、伝わったのでしょう。 それにしても、水草が描かれた花入れ、どんな花を活

けたらと映えるのだろう、この季節だったら菖蒲かなー、捩花も面白いかも。

 

 

呉須赤絵花卉文鉢

呉須赤絵、漳州窯は景徳鎮窯の白とは違い、やや黄味がかっている。 どこにでもあるような感じのデザイン

つまらないのですが、400年前の茶人には鮮やかだったのでしょう。 料理を盛るとおいしく見えそうです。 

大量につくられたのですが、主に日本などへの輸出用で、中国本土にはほとんど残っていないとか。

 

 

【南京赤絵蓮鷺文手桶形茶器】

向付は、刺身や酢の物など、メインディッシュを盛った器。 手桶形のデザインは洒落ているし

絵柄は、クールで刺身などに合いそう。 

大阪、鴻池家は江戸期の日本を代表する豪商であり、鴻池善右衛門家は代々、茶人の当主を輩出

し、表千家とも縁が深かった。 替茶器・・・調べると、客の多い茶会などで、メイン茶器で

は、量が不足するのを補うためのサブの茶器とのこと。豪商の茶会は、たぶん、大規模で、向付

として使うより、替茶器として使い方が、都合がよかったのでしょう。

 

 

【祥瑞茄子香合】

いい雰囲気があります。 

茶事をしたことがない私は、茄子の糠漬け入れとして使いたい・・・なーんちゃって、怒られそう。 

 

 

【呉州染付人物文松皮菱香合】

側面の人物の描き方がユニーク。 それとキャプションにある評価番付、江戸時代は相撲の番付

真似た順位付けがよく用いられてました。 西前頭八枚目・・・Webで調べると、大関、関脇、

小結、前頭1枚目~となるので、トップの大関から11番目の位置です。東西があるので、トップから

22、23番目の位置になります。 

 

 

 

 

 

 

実物の展示は、他館貸し出しで、この時はなかったのですが、2019年10月21日に撮影したものが

ありましたので掲載。 このブルーの色調・・・うーんと唸ります。

・・・

 

 

馬蝗絆の伝承を記した史料

 

 

 

平重盛が所持したんだ。 

※阿育王山:中国、浙江(せっこう)省東部の山。281年、西晋の劉薩訶(りゅうさっか)が阿育王の舎利塔を建立した地。宋代には

 広利寺として五山(禅宗の寺で、最も格式の高いもの)のひとつに

なお、茶碗は2個あって、両方とも鎹が打たれている。 トーハクと、マスプロ美術館で所蔵。

 

 

 

色絵牡丹図水指】

仁清は、自分の作品にサインを入れた初めての陶工。  京焼を大成した、作家としての自負があったのでしょう。

仁清の作品は、現在、国宝2点、重文20点を数える凄さです。 その一つがこの水指。

個人的には金銀を用いて装飾過多の感があり、好みではありません。 大名の注文によるものだから仕方がないの

ですが。 ただ、牡丹の花と葉の水彩画のような趣はさすがだと思います。

 

 

【白釉建水】

こんな作品もつくっているんだ。 現代陶芸展で見るような、シャープでクールな作品。 

これは貴人からの注文ではなく、仁清が自分の芸術眼で作ったように思います。

 

【褐釉肩衝茶入】

この作品も、芸術家の眼が感じられる。

※数茶: 茶道で、銘を秘した数種の茶を飲みくらべ、のちにその銘をあてて勝負を決める競技。十服茶。闘茶。

 

【色絵紅葉賀図茶碗】

紅葉を寿ぐ宴”紅葉賀”の絵柄。 幔幕に菊や桐の紋があるのは、帝の催す行事であることを示し、光源氏が

青海波を舞うのですが、それは敢えて描かない留守模様。 これも貴人の注文制作でしょう。 茶碗のシル

エットが美しい。


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