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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ゲームの規則

2020年12月07日 | なつかシネマ篇

モーツァルトによってもオペラ化された有名なボーンマルシェの戯曲『フィガロの結婚』に着想を得ているそう。そのあらすじを簡単にまとめると、貴族同士の結婚の手助けをする民間人“セビリアの理髪師”の物語。貴族に対する大衆の鬱憤がたまりにたまっていたフランス革命前夜に書かれた戯曲だそうで、ベースにあるのは貴族批判。戯曲の中で「凡庸な人間がただ偉そうにしている」だけの貴族をめった切りにしているそうなのだ。

根明の印象派画家オーギュスト・ルノワールの息子ジャン・ルノワールが、ラ・シェネイ侯爵の別荘に招かれた貴族やブルジョアたちが巻き起こすドタバタ喜劇をオペレッタ風に演出した本作品は、第二次世界大戦前夜という公開時節が『フィガロ…』と同じ。さらに、戦争が近づいているにも関わらず狩猟や余興にうつつを抜かす貴族たちの喜劇が繰り広げられられる中で、大西洋横断に成功した英雄アンドレとラ・シェネイ侯爵の奥様クリスチーネの仲を双方の友人であるオクターブがとりもつというストーリーからも、やはり『フィガロの結婚』をはっきり意識していることが伝わってくるのである。

本作におけるフィガロことオクターブをジャン・ルノワール本人が演じているのであるが、その旺盛なサービス精神にはまったくもって驚かされる。他人の浮気の世話をやくという一文の得にもならない役柄もさることながら、邸宅のあっちこっちに出没してはアドリブで小ギャグをかます変なおじさんは、父上の画風同様人を喜ばすのが大好きなご様子で、邸宅に集まった貴族やブルジョワ、使用人たちを陰で小バカにするフィガロのような皮肉な振る舞いはけっしてしていない。むしろ貴族やブルジョアに混ざって一緒にハシャギまわっているのである。

森番にとっつかまった狩猟場荒らしをラ・シェネイ侯爵が使用人としてわざわざ雇い入れたり、亭主の浮気現場を望遠鏡でのぞいたクリスチーネも浮気相手の女と陽気に余興の打合せをしたり、女房を寝とろうとしたアンドレと殴り合いになりながらあっさりと和解する侯爵などなど…明日のことにやたらと気をもむダウントン・アビーに出てくるギスギスした英国貴族とは違って、考え方や振るまいにフランス貴族ならではの“余裕”を感じさせるのだ。

狩猟場荒らし大いに結構、女房や亭主の浮気だってOKOK、駆け落ちしたって本人同士が幸せだったらそれでいいじゃない、殺人事件はちとまずいけど邸宅内の発砲騒動なんて滅多に見られないハプニング。余興としてこの場にいる人々に楽しんでもらえれば、ホストとしてこんなに光栄なことは他にない。眉間にシワを寄せてムキになったりするから、場が白けて戦争なんか起こったりするのさ。ゲストに危害がおよびさえしなければ楽しむにしくはなし、それが恋という名のゲームのルールである。

真面目な日本人の方がこの映画を見ると、どんな不道徳な行いであっても物事にはルールがあるてなことになるのだけれど、ワイン片手に昼食にたっぷり時間をとり、夏の間はまるまる1ヶ月バカンスをとってしっかり休む国民性のフランス人が、規則をきっちり守りたがるとはとても思えないのである。快楽主義のイタリア人ほどではないけれど、みんなが各々恋をしながら楽しく生きていくこと、但し人を悲しませることなしに。それがラテン系フランス人の人生における唯一の規則なのかもしれない。

ゲームの規則
監督 ジャン・ルノワール(1939年)
[オススメ度 ]


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