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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

プロメテウス エイリアン:コヴェナント

2023年09月20日 | ネタバレなし批評篇

「1作目を製作した時、なぜこのクリーチャーが誕生したのか、そして、卵を乗せた宇宙船みたいなものがなぜ旅をするのかを考えていた。この宇宙船や卵の目的は何なのか? それが問題なのだ。“誰が、なぜ、何の目的で”が次のアイデアだ」プロメテウスシリーズ3作目のシナリオ執筆が既に報じられている監督のリドリー・スコットは、自身の肝入り企画に対するインタビューにそう答えている。

エイリアンvs人類のバトルにばかり焦点を合わせて見ると、この新シリーズの真意を理解することは難しい。一応興行成績のことも考えて、『プロメテウス』『コベナント』共にエイリアンとバトルする(リプリーを彷彿とさせる)女性キャラを登場させているが、シリーズ全体の主人公は間違いなくマイケル・ファスベンダー演じるAIデヴィッドであろう。このデヴィッドこそが神であるエンジニアから火=エイリアン(大量破壊兵器)の元になる黒い粒々を盗み出した張本人“プロメテウス”だからだ。

『プロメテウス』冒頭の人類新起源説については、なんとも舌たらずで説明不足な気がしないでもないが、シリーズ全体の物語の主旨からは少々外れるので、マジになって突っ込む必要もないだろう。創造主であるエンジニアの怒りをかって八つ裂きにされたデヴィッドは、まさにゼウスの怒りをかったプロメテウスの姿そのまま。破壊されたデヴィッドを救出するエリザベス・ショウ博士は、プロメテウスを解放したヘラクレスといったところだろうか。

この新シリーズ1作目は、タイトルが示す通り古代ギリシャ神話によって(突っ込みどころは散見されるものの)観客にある程度の納得感を与えている気がする。じゃあ、神(創造主)と人類(創造物)の契約を意味する『コベナント』がモチーフとしている物語とは一体何なのだろう。もう一人?のAIウォルター(ファスベンダー一人二役)との会話に、私はヒントが隠されているように思えたのである。

「我が名はオジマンディアス 王の中の王
全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」
バイロンの詩の一説と勘違いしているデヴィッドに、それはシェリーの詩だよと誤りを正すウォルター。実は、このバイロンと友人関係にあるシェリーの奥さんメリーは『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』という怪奇小説の作者でもあるのだ。探検家ウォルトンが救出した瀕死のフランケンシュタイン博士から聞き取った話という形式になっているのだそう。

孤独のあまりもう一体女性の怪物を作るよう博士にせまった怪物だが、博士がそれを拒否したため復讐を開始する、といったお話らしい。最終的に怪物の処理をウォルトンに依頼し博士は息を引き取ってしまう。本作のエイリアン(怪物)、その創造主であるデヴィッド(フランケンシュタイン博士)、生命を操作する野心にとりつかれたデヴィッドと対峙するウォルター(ウォルトン)の関係性に相似しているように思われる。人間による創造物でもあるデヴィッドは、フランケンシュタイン博士(創造主)と怪物(創造物)の両性を兼ねた存在であり、自分を救ってくれたショウに疑似恋愛感情をいだいたりする。しかしそれは〈創造してはならない〉とする神との“コベナント”に反する行いなのだ。

新しく創造するためには、既存の創造物を絶滅させなければならない。その既存の創造物の中には当然創造主=神も含まれるわけで、人類を創造しそれを破壊しようとしたエンジニア同様、エイリアンを創造したデヴィッドはそれを使って人類の創造主すら絶滅せしめてしまうのだ。古の神々を倒しヴァルハラへと自信満々で入場するデヴィッド一向は、人類の新しい入植地オリエガ-6へと進路をとる。だがデヴィッドはまだ気づいていない。プロメテウスが予言したように、創造主ゼウス自身がその子供によって追われる身になることを。

プロメテウス(2012年)
エイリアン:コヴェナント(2017年)
監督 リドリー・スコット
オススメ度[]


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