正しい保護者の過ごし方

子供の成長を見るものはいいものです。子供の部活動を見ながら休日を過ごす父親のブログです。

夏到来

2009-07-15 20:18:10 | Weblog
梅雨が明けいよいよ夏到来。柔道部員にとっては飛躍の夏、そして我慢の夏がやってきました。
暑さとの戦いという意味ではインドアに感謝し、汗を吸った重い柔道着の汗臭さは練習の賜物と考えて、毎日洗濯をしてもらう母親に感謝の日々、それが夏でした。子供たちはもっとも伸びる、あるいは差が付くのもこの夏だと思います。
体重を落とさないよう丼飯を無理無理掻き込み出稽古や練習試合。三年生は引退を迎える夏。ことしの夏、娘は黒帯を取れればいよいよ一人前の仲間入りです。果たして飛躍の夏となるでしょうか。
夏に何を覚え会得してくれるか。楽しみです。
夏頑張れば秋には新しい自分の柔道が生まれるはず。負けないで前へ前へ。
ガンバレ!ガンバレ!

市大会

2009-07-14 22:19:53 | Weblog
今週は横浜市の中学校柔道部の大会。毎年7月の第二土日をベースに開かれています通称市大会です。
特に私にとって、いや私と志を一にする奈○中柔道部の保護者OBにとっても、恐らく一生忘れることの出来ない一日だったと今もそう思っています。
2007年7月14日(土)その日は季節はずれの台風が横浜直撃コースで進んでの雨が降り続く中で女子個人戦が催される日でした。
私の娘は当時二年。三年の先輩三名と同級のもう一人の二年生の5名がエントリーしました。しかしながら彼女達は顧問教諭を試合二週間前に奪われるという大きなハンディキャップを強いられていたのです。
顧問を取り上げられた理由についてはあえて申し上げることはいたしませんが、そのダメージは言葉では言い表わせないものであることは容易に理解出来るものと察して頂けるでしょう。
私にとってこの日ほど、多くのことを知り、学び、そして一生の中でもこれだけ充実した一日は後にも先にも無いと思えるくらいの素晴らしい一日でした。
娘の市大会優勝、そしてもう一人、三年生も優勝し二名もの優勝者が出た。もちろんその事がもたらした闇の中の光は我々奈○中柔道部が持っていたもやもやしたものを吹き飛ばしてくれたばかりか、何か世間を見返してくれた様で、まさに皆がどんなもんだい。っとまわりの人に対して胸をはれるくらい意味のある勝利でした。個人的には初めて娘の試合を見て泣きましたし、娘のやる気に感動し、そして娘に感謝した初めての日でもありました。しかし、この日はそれだけでは終わらなかったのです。
不慮の事故の責任問題から顧問教諭を救いたい一心で送られた二人の保護者の一通のメールはこの日、上申の為の署名会へと発展し、最終的にはなんと九千名を超える署名へと繋がっていく原点の日となるのです。しかも台風の大雨の中、かの教師を助けたい一心で、まさに一心で、みなが一つになった。その原点の日がこの7月14日なのです。多くの人の善意、誠意。感謝の気持ちと笑顔、そして何とも言えない充実感はそれまでに味わったことの無いものでした。
私にとって市大会、そして7月14日は一生の真に宝物の様な一日なのです。
多くの人たち、同じ気持ちを抱くものたちが遣り遂げた、真実の一日がそこにあったのです。

親父の誉れ

2009-07-11 19:56:47 | Weblog
我々親父たちの集まりの中でも一際柔道に思いを寄せているのが元祖ガーサスさんです。
ガーサスさんは本人自体が柔道マン。現在もまだ身体をいじめて自らの肉体を衰えさせないどころか、進化を遂げておられる状況には頭が下がります。神奈川ではこれ以上無い柔道畑で育ち知る人ぞ知る存在は県武での挨拶のされ方を見れば分かります。
かの人の一番の魅力はまずポジィティブでいつも明るいこと。まわりに集まった人たちの笑顔をすぐに引き出す能力はまさに天性と呼べるすばらしい才能に他ならないと思います。そして類い稀な行動力でみなをぐいぐい引っ張って行く。柔道をこよなく愛し柔道をする子供たちに別け隔てなく接し、得意の長所をのばすための誉める話術は子供たちにとってはまさに努力のご褒美でした。かの人に誉められたい。強くなったところを見てもらいたい。その一心で多くの子供たちが飛躍するのをまざまざとこの目で見ながら、その中に当然私の子供たちもふくまれて、人格者としてもすばらしい人物として感謝と尊敬の念を誰もが感ぜずにはいられない素晴らしい人です。ウイットに溢れ笑顔の中にもちゃんと一本線の入った生き方は男として憧れさへ抱かせます。
ガーサスさん、お誕生日おめでとうございます。
今年も元気で、そしてこれからもよろしく。

これからの楽しみ

2009-07-08 21:42:53 | Weblog
息子が引退。と成ればこれからの楽しみは娘の活躍に掛かるわけです。
先月、初めての試合を経験して中学と高校の差について、その違いの大きさをまざまざと知ることになったわけですが、本人いわくまず怪我しなくて良かった、が第一の感想の様です。というのも中学では無かった荒々しさが高校の試合ではモロに表れ、結果身体の何処かを痛めてしまう試合が結構あることです。特に関節技による肘や膝の負傷が目立っていました。
それと組み手、寝技と中学に比べかなりしつこい、ねちっこい。待ったが掛かるまではオンプレイには違いないのですが、寝技にしても諦めないというか執念すら感じる場合があります。果たして娘はこんな中でやっていけるのか、中学の様に輝いてくれるのか。
最初の壁、自分のブライドや自信が揺らぎ壊された中で本人がどう立ち向かいまた輝くのか、それともただの石で終わるのか。
この夏、答えのヒントがそこにあります。
がんばれ、がんばれ。まだ恩返しする人はいっぱいいるよ。始まったばかり、娘の日々一挙手一投足が私の部類の楽しみと成りそうです。
お父さんも負けないでガンバロ。

自分の柔道

2009-07-07 22:21:25 | Weblog
よく試合の応援に行って自分の柔道をしろっ!と無責任に応援している事が儘あります。でも実際自分の柔道とはそもそも何ぞや、と考えて見ると実際はかなり奥の深い話に成ってきます。例えばこれは技術、テクニックの部分を指しているだけでなく精神面、ハートの部分をも強く意識している事に気付きます。
技術とはつまり自分の得意技を屈指し自分の勝パターンを作り上げて行く事。精神面とは平常心、落ち着きの部分で、無闇に入れ込んだり逆に相手に呑まれたりしない事。これらを総合したものが自分の柔道となるわけです。
人間は常に考えています。それは得てして考えなくても良い事まで考えてしまうものです。良いときは先を読む、あるいは呑んで掛かると言うように極めて優位な精神状態を生み出します。しかしながら一歩間違うと自ら呑まれる。結果を読んでしまうにより大きくマイナスを生み出してしまう事をえてして招いてしまいます。そう考えるなかで考える事は銀ではあるが金ではない。自分の柔道の本質はむしろ考えない事、言い換えれば無、あるいは無心に成ること、ということにたどり着くわけです。
自分の柔道の本質は無心。つまり外野の声も気にならない集中力を意味することから、本来自分の柔道をしている人には応援の声など聞こえない?ということになるのでしょうか。
応援の声はそう考えると以外と無責任ですが、ちょっと浮かばれた気がするのは私だけでしょうか。

先手必勝

2009-07-06 21:13:16 | Weblog
柔道の試合時間4分間をどう戦うかというなかで、私が考える戦い方を言葉で表すならやはり一番は先手必勝だと思います。4分とはいえ持った瞬間で決まることもままあることで、最初の技で決まってしまったらそれまでの努力や作戦などが木っ端微塵に吹き飛ぶ訳で、だから先に掛ける事で相手の技をまず防げると考えて先に仕掛ける方が良いと考えるという理論なのです。ただ不用意な技は実力差のある相手にとっては待ってましたと返し技や寝技に持ち込まれてOUTとなるパターンも以外とあるので要注意です。とは言うもののやはり責め続けているとまったくの偶然、技がはまる事も実は結構ある事で、相手の勢いや反動がはまるとスパッと投げれたりして自分でもびっくりなんて経験も過去には何度かあるのも確かなのです。
やはり結局先に掛ける、掛けることで新たな展開、活路が間違いなく開くのです。たぶんですが。
今思うと、柔道ってまさに人生そのものに感じるのは私だけ?
柔道、とても奥の深ーい競技です。

いつか

2009-07-03 21:37:09 | Weblog
先週の試合の日、息子の首筋や手首に発症していた発疹も試合が終わり嘘のようにみるみる治っていきました。考えてみると息子は息子なりに最後の試合というプレッシャーを感じていたのかもしれません。唯一の最上級生としてのプライドや先生や応援してくれた人の手前、不様な負け方だけは出来ないというプレッシャーに身体が反応したのかもしれません。
試合が済んだあとの屈託のない笑顔。最高に素敵な笑顔でカッコイイとさへ思えたのはやはり親馬鹿でしょうね。
あいつが何故女の子にもてないのか、不思議でなりません。やはり学校ではお宅、なのでしょうか。
いつか息子が酒を飲むようになり、結婚して子供が出来た時、何といって自らの柔道部での6年間を話すのでしょうか。
いつか自分の子供に私が撮り貯めた試合の写真やビデオを見せながら昔を懐かしんでくれるでしょうか。
いつか柔道をやって良かったと感じてくれて、また若いころの血が騒いでくれるでしょうか。
私の息子、とても良い奴だと私は思います。
いつか私を越える日が来ると感じていましたが、もうその日が来たのかも知れませんね。
私にとって最高の、自慢の息子です。

真実

2009-07-02 21:22:22 | Weblog
真実が知りたい。本当の事が知りたい。一番それを知っているのは本人自身ではないのでしょうか?
柔道でいったい何を子供たちが学んでいたのでしょうか。精力善用自他共栄。すばらしい言葉です。まず人の痛みを知る受け身。自分を鍛える手助けをしてくれる相手への感謝の礼。自分の練習が出来る事への感謝の気持ち。道場、先生、そして仲間たち。自分を支えてくれるものへの感謝の心。心身を鍛え、自分を研き合う。柔道のすばらしい精神。
真実は常に一つです。決していつも都合の良いものばかりとは限りません。
例えば自分は女の子がほしかった夫婦に生まれたのは男の子だったとしても、夫婦はその子が可愛いはずです。何故ならそれが真実だから。男の子だとしても自分達の子供として真実を受けとめるからその子が可愛い、可愛くて仕方なくなるのです。
真実は一つです。
彼がやがて両親と死別したとき、一人になったとき、どう生きていけば良いと親として説くのでしょう。
手を差し伸べてくれる友達、仲間が相手からやってくるとでもお考えなのでしょうか。それとも自分から殻を破って「やぁ、元気?」と微笑み合う事まで否定されるおつもりなのでしょうか。人はやがて老い次の時代へとバトンを渡す時が必ずやってきます。そして気が付いたとき自分を支えてくれるものは何なのか。
真実は一つしかありません。例えうがった見方やとらまえかたの相違はあるにしても生まれた男の子は男の子として受け入れてあげるから可愛いのです。そしてその子も幸せになれる。
今からでも決して遅くは無いはずです。一緒に汗をした仲間たちに「やぁ、元気?」と呼び合う事の喜びがいかに大事か。子を思う気持ちは親なら皆同じです。そして先に往くのも道理なのです。
真実は常に一つしかないのです。
真実は受けとめるしかないのです。

丸二年

2009-07-01 20:51:36 | Weblog
私を含め奈○中柔道部の卒業生、そしてその保護者にとって、7月の第一月曜は一生忘れられない一日です。楽しかったマルちゃん杯の翌日、まさか谷底へ突き落とされるとは誰も思いもよらなかったはずです。
自分の息子は嘘などついていません。誰もかばってなどいないし、脅かされて口をつぐんでなどいないのです。息子が巻き込まれた以上、親として黙ってなどいられません。息子の為、そして多くの真実を知る子供たちの為、親として、そして大人として責任を果たすため、我々素人の親たちが立ち上がったきっかけの日、それが今日でした。
翌日の新聞やテレビの報道で味わった悲しさ、虚しさ。この思いは決して忘れません。自分の息子は目撃者であって、息子を嘘つき呼ばわりしたマスコミには必ず必ず、いつか必ず絶対謝って頂きたい。当時高校一年の息子を含め十数名の名誉を回復する使命が自分にはある、大げさかもしれませんがそう思っています。時が立ち風化されてしまいそうですが現実は何も変わっていないのです。インターネットでは今でも当時の記事が踊り、テレビの映像は変わることなく流れ続けているのです。
もうあれから二年。事故からは四年半が過ぎました。余りにも長い歳月。
七月三日、駅て買った夕刊紙を見て余りの悔しさに涙があふれた事。
私は決して忘れません。
決して。