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ジャズやクラシックが難解だと言われる理由

2004-10-11 01:31:57 | ジャズの話題
はい、昨日は職場の旅行から帰ってきて、疲れきって投稿する余裕がありませんでした。
一晩明けて、聴いたアルバムの照会でもサラッとやろうかと思ったんだけど、以前から書きたいと思ったいた事を思い出したので、それを書こうと思います。
テーマは『クラシックやジャズがなぜ難解と言われるか』。

ジャズの歴史は100年そこそこ、大して長いものじゃないけども、それでも発展の速度と密度は他に類を見ないほど積み重ねの深い音楽だと思う。
さらにクラシック音楽は、グレゴリオ聖歌などの教会音楽を含めるとすればその歴史は1000年を越す。
ジャズやクラシックに限定せずとも、歴史を重ねた音楽に確立してくるものってなんだかかわかりますか?。
その答えは「様式」。
様式って辞書で引いてみると、・やり方の様子。・一定の形式。・芸術上の、独自の表現形態・・・・・だって。
イメージ湧かないですよね(笑)。
ええと、音楽における「様式」という言葉を簡略に説明するのは難しいな・・・・・それは例えば楽器の編成だったり広義な意味での楽典の知識や作曲における禁則みたいなものだったり、さらには生み出されてきた演奏における無数のテクニックだったり、演奏が行なわれるに適した環境の創造(音響効果を考えたオペラハウスとかコンサートホールだったり、はたまた室内楽だったり)であったりもする・・・・・長い歴史の中で、より良い音楽表現を求めていく上での試行錯誤や研鑚によって「形式に則った演奏の定型」とでもいったものが出来上がってくる。
それって感覚的なものではなくて「これはこうするもの」とか「こうしなきゃいけない」といった、言ってみればなかば強制的な「音楽を行なう上での決まり事」なのね。
現代の音楽、例えばロックやポップスなんかにも様式は存在するとは思う。ただ、ジャズやクラシックは歴史が長い分だけ試行錯誤の積み重ねが膨大で、古い時代に確立された様式も定型として受け継いできているという事なんだよね。
古い様式って、現代の音楽を聴き慣れている人からすれば当然耳慣れないし、聴いてみて感覚的に「良い」とは受け取りにくい。
その様式が生み出された時代の世情に関する知識、その様式が定着するに至った経緯の知識、そういったものを踏まえた上でないと・・・・・なんていうかな・・・・・感じ方が判らないんだよね。感覚的に理解できないというか・・・・・。
例えばフォルクローレを聴いても、そこからペルーやボリビアの雰囲気を連想できるかというと、ペルーやボリビアの風俗や国情をまったく知らない人には無理だよね。「綺麗な曲だね」とか「素朴な雰囲気だね」で終わっちゃう。また、僕の友人でボサノバを聴かせたら「フランスっぽいね」と言った人がいたのね。
こういった事にちょっと似てるかな・・・・・国ごとの風俗に例えると曲解されてしまうかもしれないけど、ともあれ予備知識があれば音楽の世界はグンと広がるって言う事。
で、ジャズやクラシックを解する上で必要な様式に関する予備知識は、一般にはあまり流布していないという事。
感覚的に受け付けにくい様式が膨大にあって成立している音楽だという事。ジャズやクラシックが一般的に難解だと捉えられがちな理由はここだと思う。
確かに難解なんだよ。
様式は音楽を難解にすると思うけれども、決して理由がなくて存在しているものではないのね。
それはより込み入った繊細な表現をするために考え出されてきたものであって、歴史を重ねた様式にはさらに「様式美」が生まれてくる。
だから「様式が存在していてこその表現である」という事を前提として(ある程度の知識を持って)耳を傾ければ、そこには膨大な量の表現、情報量がある事が見えてくる。様式を理解する(知識をつける)意義はそこにある。
耳だけで感覚的に理解する事ができない側面も音楽にはあるという事です。

ジャズの書籍や入門者向けの啓蒙書なんかでも最近はくだけてきて、「名盤を聴く必要はない」とか「音楽は聴いて楽しめればそれでいいので、その歴史を知る事に意味はない」なんていう記述を良く見かける。
書籍だけの話じゃなくて、ネット上でも音楽ファンが集まるサイトなんかでよく見かけるね。
これは歴史やその音楽の成立の経緯だけでなく、込み入った楽典の知識は必要ないとか・・・・・そういう主張にも通じるかな。
「音楽に理屈は必要ない」知識否定派の主張の要旨はこんなところに集約されるでしょう。
これ間違い。
いや、間違いというか的外れ。
念を押しておくと、音楽の楽しみ方は人それぞれだし、歴史にせよ楽典にせよ楽器の演奏法にせよ、どこまで知ろうとするかはその人の興味の度合いによって異なる。
知識を持って音楽に接する聴き方が高尚であるとも思わないし、知識をつける事は良い事でも悪い事でもない。
これは間違いではないと思います。
でね、あちこちのサイトの掲示板などで頻々と目にするのは、知識に基づいた発言をした人に対して、知識否定派が「音楽に理屈は必要ない」と躍起になって否定しにかかっている場面。
このブログでも1度そういった趣旨のコメントがきた事があります。
思うのが「知識をつける事に本当に興味がない人は、知識を持ってなる発言に対してわざわざ口をはさむ事はない」って事なのね。興味がなければ反応すらしないだろうし、フーンって見向きもしないでしょう。
異見をわざわざ述べる、わざわざ書き込むという事は、やっぱりどこかに「知識をひけらかすヤツは気に食わない」という思いがあって、それはひとえにコンプレックスなんだよね。
そういう人は、本当は知識に興味があるんだよ。
「様式」を理解してがっているリスナーって、潜在的には結構いるんじゃないかと思う。
実は僕もその1人だったりします。
もっと勉強しよ(笑)。

いやぁ、今回は読み辛い文章になったなぁ・・・・・もうちょっとまとめてから書けばよかったかな?。
ちょっと掲げたテーマが僕には難しすぎました(笑)。
まぁいいや、書きたくなったらまた書きます。

本日の安眠盤、Roland Hanna(ローランド・ハナ、p)の「Dream」
ではでは。