『半落ち』について【※ネタバレあります※】
データ:2003年 日本 122min
・監督・脚本 佐々部清
・原作 横山秀夫
・キャスト 寺尾聡、原田美枝子、柴田恭兵、吉岡秀隆、樹木希林、鶴田真由、伊原剛志、國村隼 他
評価:★★★★☆(4点/5点)
・2005/3/23 TBS
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内容紹介:
元捜査一課の警部で現在は警察学校の教職に就く梶聡一郎が、妻を殺害したとして自首してきた。聴取を担当するのは捜査一課のエース・志木刑事。梶の自供によれば、アルツハイマー病に苦しむ妻・啓子の「殺して欲しい」という嘆願に、止むに止まれず首を絞めたという。だが謎が残った。梶が出頭したのは事件の3日後だったのだ。空白の2日間に何があったのか。梶の人柄を信じる志木は粘り強く尋ねるが、梶は頑なに黙秘を続ける。やがてマスコミが騒ぎ始めると、事態の収拾に焦る県警幹部は、供述の偽装を画策する…。
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非常に完成度の高い映画だった。
劇場公開中にCMをよく見かけ、おおむね評価も高かったようなので、感動する作品なのだろうなとは思っていた。しかし、いかんせんタイトルが意味のわからない言葉で、興味をそそられることもなく、劇場には足を運ばなかった。今日、TBSのTV放送をすることを知り、まあ見てみようかと思って試したのだが、これが完成度の高い作品でまいった。
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半落ち【はんおち】警察用語。容疑者が容疑を一部自供するも完全に自供してはいない状態を指す。
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公式ページには上記のようにある。劇中でも「カンオチ」とかわけのわからないセリフが出るなか、サイトを見てやっと了解できた。
豪華キャストがそろえられる中、それが充分生かされていた。パターンとして、梶とマンツーマンで誰かが関わり、心の交流を深めていくものと思ったが、そうではなかった。梶の謎と関わる中で、そのクローズアップされる脇役がどんどんバトンタッチしていくという展開が新しく思えたし、よい効果をもたらしていたと思う。
刑事が、検事が、記者が、弁護士が、裁判官が、梶の謎を解こうとし、そして彼の奥深くへと迫っていこうとする。この展開がスリリングに展開していく。
たとえば、『逃亡者』のように、主人公である犯人の心に迫る相手役は刑事だけという展開が、観ている側もストレスがなくてすむのだと思う。刑事の人となりを知り、握られる犯人の情報も一箇所に集められたほうが物語を理解しやすいものだ。「謎解きの主人公」は一人がよいということである。
『半落ち』は、次々とうつる「謎解きの主人公」にもかかわらず、感情移入が可能だった。それぞれの「謎解きの主人公」の人となりを示すことに成功したし、「犯人の情報」の移動もスムーズだった。こうした展開は、「犯人の理解者」を最後の場面で多数存在することに成功し、カタルシスを感じる部分が増幅されると思う。こういう意味で、完成度が高かったと思うのだ。
こうした犯人とその理解者を描く中で、個人の権力構造とか職場状況、家庭状況をうまく描き出すところが、サスペンス性やドラマ性を出していて、楽しめた。原作ではサイドストーリーがもっと詳しいだろうから、もっと楽しめるのだろうと思う。
物語の中心となるのは、生命の尊厳である。アルツハイマーにおちいったとして、それを殺してよいものか。答えは永遠に出ない。「魂が壊れるのを見ていられなかった」と梶は言っていた。僕などは、どんなに記憶をなくそうが、魂だけは残るんじゃないかなという気がする。魂って人間としての根本的なところで、どんなにめちゃくちゃな行為をしようとも、純粋な魂はときおり顔をのぞかせるんじゃないかなと思う。ちょうど『ギルバート・グレイプ』のアーニーのように。周りに迷惑をかけこそすれ、あれこそ何も覆い隠さない素直な気持ちなのだと、抑圧されない生のままの魂なのかと思うのだ。
まあ、解釈は人それぞれ。梶の考え方は否定しようもないから、これで興ざめするということもなかった。それよりも、梶の周りの人の気持ちへの配慮というものが好感をもてたからか。自分を犯罪者と認識し、ひたすら少年との接点を持つまいとするところなどは、心うたれる。
ところで『半落ち』は原作の小説があり、直木賞の候補にもなっていたらしい。
この選考で賞に漏れてしまったのは、実際にはありえないことだと言われたことかららしいのだが、それが不当な物言いということは明らか。
(※参照)
完成度が高く、よい映画だった。悔やまれるのはエンディングテーマを「歌」にしてしまったことか。ピアノやバイオリンのみの「音」で余韻を味わいたかった。あと、梶の妻の日記を発見するシーン。それ以外はマイナスは特にないかな。
樹木希林は圧巻。他のキャストもいい演技。あ、吉岡秀隆はがんばりましょう。
■ここにトラバ打ちました
30歳独身男Kazuakiの映画日記: 半落ち
Martin古池の 『街角の歌芸人』: 「半落ち」 司法は人の心まで裁けるのだろうか?
R's Bar:映画【半落ち】 2003年
Kenji's cafe:『半落ち』
雨でもいいじゃん:半落ち
soramove:完落ちでも良かったんじゃないか
shimoの音楽&映画鑑賞日記:半落ち
■関連リンク
映画「半落ち」公式サイト:TOP
半落ち - goo 映画
■関連エントリー
2005-03-12 21:44 映画と私(8) 『ローレライ』参考ブログ
2005-03-12 21:33 映画と私(7) 『ローレライ』をもうちょっと考察
2005-03-08 02:02 映画と私(6) 『ローレライ』
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データ:2003年 日本 122min
・監督・脚本 佐々部清
・原作 横山秀夫
・キャスト 寺尾聡、原田美枝子、柴田恭兵、吉岡秀隆、樹木希林、鶴田真由、伊原剛志、國村隼 他
評価:★★★★☆(4点/5点)
・2005/3/23 TBS
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内容紹介:
元捜査一課の警部で現在は警察学校の教職に就く梶聡一郎が、妻を殺害したとして自首してきた。聴取を担当するのは捜査一課のエース・志木刑事。梶の自供によれば、アルツハイマー病に苦しむ妻・啓子の「殺して欲しい」という嘆願に、止むに止まれず首を絞めたという。だが謎が残った。梶が出頭したのは事件の3日後だったのだ。空白の2日間に何があったのか。梶の人柄を信じる志木は粘り強く尋ねるが、梶は頑なに黙秘を続ける。やがてマスコミが騒ぎ始めると、事態の収拾に焦る県警幹部は、供述の偽装を画策する…。
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非常に完成度の高い映画だった。
劇場公開中にCMをよく見かけ、おおむね評価も高かったようなので、感動する作品なのだろうなとは思っていた。しかし、いかんせんタイトルが意味のわからない言葉で、興味をそそられることもなく、劇場には足を運ばなかった。今日、TBSのTV放送をすることを知り、まあ見てみようかと思って試したのだが、これが完成度の高い作品でまいった。
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半落ち【はんおち】警察用語。容疑者が容疑を一部自供するも完全に自供してはいない状態を指す。
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公式ページには上記のようにある。劇中でも「カンオチ」とかわけのわからないセリフが出るなか、サイトを見てやっと了解できた。
豪華キャストがそろえられる中、それが充分生かされていた。パターンとして、梶とマンツーマンで誰かが関わり、心の交流を深めていくものと思ったが、そうではなかった。梶の謎と関わる中で、そのクローズアップされる脇役がどんどんバトンタッチしていくという展開が新しく思えたし、よい効果をもたらしていたと思う。
刑事が、検事が、記者が、弁護士が、裁判官が、梶の謎を解こうとし、そして彼の奥深くへと迫っていこうとする。この展開がスリリングに展開していく。
たとえば、『逃亡者』のように、主人公である犯人の心に迫る相手役は刑事だけという展開が、観ている側もストレスがなくてすむのだと思う。刑事の人となりを知り、握られる犯人の情報も一箇所に集められたほうが物語を理解しやすいものだ。「謎解きの主人公」は一人がよいということである。
『半落ち』は、次々とうつる「謎解きの主人公」にもかかわらず、感情移入が可能だった。それぞれの「謎解きの主人公」の人となりを示すことに成功したし、「犯人の情報」の移動もスムーズだった。こうした展開は、「犯人の理解者」を最後の場面で多数存在することに成功し、カタルシスを感じる部分が増幅されると思う。こういう意味で、完成度が高かったと思うのだ。
こうした犯人とその理解者を描く中で、個人の権力構造とか職場状況、家庭状況をうまく描き出すところが、サスペンス性やドラマ性を出していて、楽しめた。原作ではサイドストーリーがもっと詳しいだろうから、もっと楽しめるのだろうと思う。
物語の中心となるのは、生命の尊厳である。アルツハイマーにおちいったとして、それを殺してよいものか。答えは永遠に出ない。「魂が壊れるのを見ていられなかった」と梶は言っていた。僕などは、どんなに記憶をなくそうが、魂だけは残るんじゃないかなという気がする。魂って人間としての根本的なところで、どんなにめちゃくちゃな行為をしようとも、純粋な魂はときおり顔をのぞかせるんじゃないかなと思う。ちょうど『ギルバート・グレイプ』のアーニーのように。周りに迷惑をかけこそすれ、あれこそ何も覆い隠さない素直な気持ちなのだと、抑圧されない生のままの魂なのかと思うのだ。
まあ、解釈は人それぞれ。梶の考え方は否定しようもないから、これで興ざめするということもなかった。それよりも、梶の周りの人の気持ちへの配慮というものが好感をもてたからか。自分を犯罪者と認識し、ひたすら少年との接点を持つまいとするところなどは、心うたれる。
ところで『半落ち』は原作の小説があり、直木賞の候補にもなっていたらしい。
この選考で賞に漏れてしまったのは、実際にはありえないことだと言われたことかららしいのだが、それが不当な物言いということは明らか。
(※参照)
完成度が高く、よい映画だった。悔やまれるのはエンディングテーマを「歌」にしてしまったことか。ピアノやバイオリンのみの「音」で余韻を味わいたかった。あと、梶の妻の日記を発見するシーン。それ以外はマイナスは特にないかな。
樹木希林は圧巻。他のキャストもいい演技。あ、吉岡秀隆はがんばりましょう。
■ここにトラバ打ちました
30歳独身男Kazuakiの映画日記: 半落ち
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夏の渋谷、羽田・成田、北海道、横浜。
乗り物は飛行機、バイク、トラック、へり。
出てくる道具も携帯電話、義手、手錠、ライフル、ナイフ。
同時代性とスピード感とR&BとBluesなどの音楽が盛り上げた「逃亡者」。
「半落ち」は、映画というより、舞台向きの脚本かもな、と思ってしまいました。
公判をメインに描くと、弁護士・検事・裁判官・聴衆・被告などが際立つし、梶の妻の日記を発見する回想シーンも不要になりますし。
出演者が豪華すぎた感もありました。
原作を読んでなかったこともあり、理解できないところも
多かったのですが、ここの解説を読んでかなり納得しました。
よかったら、拙いブログですが覗いてみて下さい。
http://blog.livedoor.jp/reni009/
僕が思い浮かべた『逃亡者』はTBSじゃなくて米国のハリソン・フォードとかの方だったんですけどねw
僕としては、映画化の意味はあったと思いますよ。寺尾聡の目の演技とかはやはりアップでスクリーンで見る価値はあると思うんですよ。ただ、おっしゃる通り脚本段階では確かに舞台向きかもしれませんね。
今後ともよろしくお願いします。
特に解説をほどこすこともなく、感想で終始したエントリーのような気がするのですが、リンク先の解説が参考になったということでしょうかね。
梶が終始黙秘していたのは、マスコミにさらさないため、自分という犯罪者を知られないため、他にも誰かのためと、いろいろ解釈の余地はある気がしますね。
TBありがとうございます。
原作も以前に読みましたが、原作では“バトンタッチ”していく形式にかえって“物足りなさ”を感じた覚えがあります…。
映画の方が全体の流れが一貫していたかな?と思います。
たしかにいい映画ですけどね。
原作は読んでいないですけど、社会的なしがらみの部分がもっと丁寧に描かれているのかなあと期待できます。なんだか僕は、本末転倒なところを気に入っているようです(笑)。