あなたと初めて出会ったのは、あなたが高校3年生で私が大学1年生の頃。
暑い夏合宿。
能登半島の先の田んぼの真ん中に造られた仮設プール。
周りにさえぎるものが何もなくて、みんな真っ黒でしたね。
朝から晩まで水の中。
疲れ果てて、もうこれ以上動けないと思っているのに、鳴り響く先生の声。
「なんや、まだ動けるやん」
心の中で幾度となくそう思ったことです。
それもこれも、目指すは石川国体優勝。
違う場所で生まれ、違う場所で育ち、本来なら出会うはずのなかったあなと
ただ一つの共通点「水球」でつながり、「石川国体」という導きがあって、出会うことができたのです。
ほんと奇跡。
だけど必然。
そして、あなたたちは苦しい練習を乗り越えて、見事「国体優勝」を果たました。
翌年、あなたは私の後輩になりました。
「国体優勝GK」の看板をひっさげて、日体大の一員になりました。
入学してからの日々は、朝から晩まで練習漬け。
授業もフルである1・2年生のころは、ほんとしんどかったことでしょう。
ある日、あなたは数名の同級生とともにいなくなってしまいました。
そのとき、あなたがどんな思いでいたかなんて私にはわかりません。
「日本一」を目指す常勝軍団にいながら逃げ出すなんて、ほんとにクズだと思っていました。
私も若かったですから、弱くて負けていく人間を理解することができませんでした。
でも、あれから20年以上たった今なら、少しは理解できますよ。
男子と女子の壁はあれ、先輩として弱っているあなたたちを助けてあげられなくでごめんなさい。
しばらくして、あなたは、頭を丸めて戻ってきました。
そのまま帰ってこなかった後輩もいましたが、あなたは帰ってきたのです。
「自分の弱さを知っている人間ほど強いものはない」
今なら、そう思います。
あなたが2年生の時、関東学生リーグ戦で筑波大学と引き分けましたね。
学生会館で祝勝会の準備をしていた私は、この世が終わったくらいの衝撃を受け、
会の終わりの先生の話の時に号泣してしまったことは今でもはっきり覚えています。
それでも、(引き分けを挟む)という注釈付きで連勝記録は続きました。
私たちが4年生になったとき、GKのいない私たちの代を一番後ろで支えてくれたのはあなたでした。
細い目で、くねくねした飛び方で・・・
それでも、ほんとに頼りにしてましたよ。
おかげで、私たちの代は負けることなく連勝記録を続けることができたのです。
ありがとう。
私は卒業して故郷に帰り、それ以来、あなたとは会わずに終わってしまいました。
あなたが4年生の時に負けて、日体大の連勝記録が止まってしまたことは、ニュースで知りました。
今のように、ライブ中継もなければ、インターネットも発達していなかったのでね。
やっぱり悔しかったし、やっぱり腹立たしかったけど、ホッとしたのも事実かもしれません。
あなたたち男子が、先輩たちの積み重ねてきた連勝記録を止めてはいけないというすごいプレッシャーの中で水球をしていたのを知っているからです。
そんなんじゃ、大好きな水球も嫌になってしまいますよね。
これで、これからの後輩たちは、またチャレンジャーに戻って水球を楽しむことができるんじゃないかってね。
その後の後輩たちは、しっかりまた強い日体大を作ってくれました。
あなたは知らないかもしれないけど、アジア予選で優勝して、リオオリンピックにも出場したんですよ。
オリンピックなんて、私たちが現役の頃には、はるか遠いものだと思ってましたが、後輩たちがやってくれました。
いま、日本の水球は確実に世界と戦えるくらい強くなってます。
オリンピックに出るとね、メディアの対応がめちゃめちゃ変わるんです。
かつて、水球ジュニア日本代表だった吉川晃司さんが応援ソングを作ってくれたり。
監督やキャプテンは居酒屋さんで声をかけらるって言ってました。
あ、その曲ね、「over the rainbow」って言うんですが、とってもいい曲ですよ。
4年後は東京オリンピック。
あなたの教え子からもオリンピアン出るといいですね。
大学を卒業したあなたは母校の指導者となり、かつての自分が目指したように日本一を目指して熱血指導していたようですね。
ここ数年は、face book なるものがあり、いろんな情報が入ってくるようになりました。
水球の試合もネット中継があり、会場に行かなくても観戦できるようにもなりました。
あなたのチーム・石川県が去年の国体で準優勝だったことはちゃんと知ってますよ。
その時のあなたの姿を写真で見ることもできました。
そして、今年こそは・・・とさらに熱く指導していたことでしょう。
そんな矢先、あなたは突然、私たちの前からいなくなってしまいました。
「なんで」
みんなそう思いました。
「早すぎるやろ」
そして、
「残された子たちはどうなるんや」
「あまりにも無責任やろ」
と怒りに似た感情に変化しました。
残された子たち。
もちろん、我が子。
そして、水球の子どもたち。
どちらも大切な家族やったはず。
そして、どちらも大切に育んできたはず。
でも、取りかえしなんてつかないですね。
よく「死ぬ気でやれ」なんて言いますが、
死んでしまったらもう終わりなんですよ。
平気で「死ね」とか「死にたい」とか言いますが、
死んでしまったらもう終わりなんですよ。
「死ぬ」なんて簡単に言ったらダメですね。
それから、一年弱。
あなたの子どもたちは、みごと栄冠を手にしました。
あなたがいなくなってから、どうしたらいいのかわからないことが沢山あったでしょう。
あなたがいなくなってから、あなたの存在の大きさを知らされたことでしょう。
あなたがいなくなってから、何度となくあなたがいてくれたらと思ったことでしょう。
あなたがいなくなってから、あなたがいなくなってから、あなたがいなくなってから、、、
私には想像できないことが、彼らにはあったと思います。
でも、見事に乗り越えて、日本一になりましたよ。
8月のインターハイでも常勝軍団を破り、そして、9月の国体でもね。
2冠です。
すごいです。
国体はライブ中継見てたんだけど、3Pまでは負けてたんです。
でもね、最後まであきらめないで、逆転したんです。
25年ぶりの2度目の優勝だって言ってました。
そう、あなたが高校生の時に優勝して以来の優勝だったんですね。
やっぱり、弱い自分を知ってるあなたの子どもたちは強かった。
そして、あなたの後を引き継いだ指揮官も強かった。
空の上からみてましたか?
感動してくれましたか?
私は感動しました。
そして、もっともっとしっかりやらなきゃ。
もっともっとしっかり生きなきゃ。
って思いました。
あなたの思いや魂は、しっかりと石川水球に根づいてますよ。
きっと、多くの後輩や教え子がそれを引き継いでくれることでしょう。
だから、安心して。
ゆっくりとやすんでください。
石川に行くことがあれば、あなたに会いに行きますね。
暑い夏合宿。
能登半島の先の田んぼの真ん中に造られた仮設プール。
周りにさえぎるものが何もなくて、みんな真っ黒でしたね。
朝から晩まで水の中。
疲れ果てて、もうこれ以上動けないと思っているのに、鳴り響く先生の声。
「なんや、まだ動けるやん」
心の中で幾度となくそう思ったことです。
それもこれも、目指すは石川国体優勝。
違う場所で生まれ、違う場所で育ち、本来なら出会うはずのなかったあなと
ただ一つの共通点「水球」でつながり、「石川国体」という導きがあって、出会うことができたのです。
ほんと奇跡。
だけど必然。
そして、あなたたちは苦しい練習を乗り越えて、見事「国体優勝」を果たました。
翌年、あなたは私の後輩になりました。
「国体優勝GK」の看板をひっさげて、日体大の一員になりました。
入学してからの日々は、朝から晩まで練習漬け。
授業もフルである1・2年生のころは、ほんとしんどかったことでしょう。
ある日、あなたは数名の同級生とともにいなくなってしまいました。
そのとき、あなたがどんな思いでいたかなんて私にはわかりません。
「日本一」を目指す常勝軍団にいながら逃げ出すなんて、ほんとにクズだと思っていました。
私も若かったですから、弱くて負けていく人間を理解することができませんでした。
でも、あれから20年以上たった今なら、少しは理解できますよ。
男子と女子の壁はあれ、先輩として弱っているあなたたちを助けてあげられなくでごめんなさい。
しばらくして、あなたは、頭を丸めて戻ってきました。
そのまま帰ってこなかった後輩もいましたが、あなたは帰ってきたのです。
「自分の弱さを知っている人間ほど強いものはない」
今なら、そう思います。
あなたが2年生の時、関東学生リーグ戦で筑波大学と引き分けましたね。
学生会館で祝勝会の準備をしていた私は、この世が終わったくらいの衝撃を受け、
会の終わりの先生の話の時に号泣してしまったことは今でもはっきり覚えています。
それでも、(引き分けを挟む)という注釈付きで連勝記録は続きました。
私たちが4年生になったとき、GKのいない私たちの代を一番後ろで支えてくれたのはあなたでした。
細い目で、くねくねした飛び方で・・・
それでも、ほんとに頼りにしてましたよ。
おかげで、私たちの代は負けることなく連勝記録を続けることができたのです。
ありがとう。
私は卒業して故郷に帰り、それ以来、あなたとは会わずに終わってしまいました。
あなたが4年生の時に負けて、日体大の連勝記録が止まってしまたことは、ニュースで知りました。
今のように、ライブ中継もなければ、インターネットも発達していなかったのでね。
やっぱり悔しかったし、やっぱり腹立たしかったけど、ホッとしたのも事実かもしれません。
あなたたち男子が、先輩たちの積み重ねてきた連勝記録を止めてはいけないというすごいプレッシャーの中で水球をしていたのを知っているからです。
そんなんじゃ、大好きな水球も嫌になってしまいますよね。
これで、これからの後輩たちは、またチャレンジャーに戻って水球を楽しむことができるんじゃないかってね。
その後の後輩たちは、しっかりまた強い日体大を作ってくれました。
あなたは知らないかもしれないけど、アジア予選で優勝して、リオオリンピックにも出場したんですよ。
オリンピックなんて、私たちが現役の頃には、はるか遠いものだと思ってましたが、後輩たちがやってくれました。
いま、日本の水球は確実に世界と戦えるくらい強くなってます。
オリンピックに出るとね、メディアの対応がめちゃめちゃ変わるんです。
かつて、水球ジュニア日本代表だった吉川晃司さんが応援ソングを作ってくれたり。
監督やキャプテンは居酒屋さんで声をかけらるって言ってました。
あ、その曲ね、「over the rainbow」って言うんですが、とってもいい曲ですよ。
4年後は東京オリンピック。
あなたの教え子からもオリンピアン出るといいですね。
大学を卒業したあなたは母校の指導者となり、かつての自分が目指したように日本一を目指して熱血指導していたようですね。
ここ数年は、face book なるものがあり、いろんな情報が入ってくるようになりました。
水球の試合もネット中継があり、会場に行かなくても観戦できるようにもなりました。
あなたのチーム・石川県が去年の国体で準優勝だったことはちゃんと知ってますよ。
その時のあなたの姿を写真で見ることもできました。
そして、今年こそは・・・とさらに熱く指導していたことでしょう。
そんな矢先、あなたは突然、私たちの前からいなくなってしまいました。
「なんで」
みんなそう思いました。
「早すぎるやろ」
そして、
「残された子たちはどうなるんや」
「あまりにも無責任やろ」
と怒りに似た感情に変化しました。
残された子たち。
もちろん、我が子。
そして、水球の子どもたち。
どちらも大切な家族やったはず。
そして、どちらも大切に育んできたはず。
でも、取りかえしなんてつかないですね。
よく「死ぬ気でやれ」なんて言いますが、
死んでしまったらもう終わりなんですよ。
平気で「死ね」とか「死にたい」とか言いますが、
死んでしまったらもう終わりなんですよ。
「死ぬ」なんて簡単に言ったらダメですね。
それから、一年弱。
あなたの子どもたちは、みごと栄冠を手にしました。
あなたがいなくなってから、どうしたらいいのかわからないことが沢山あったでしょう。
あなたがいなくなってから、あなたの存在の大きさを知らされたことでしょう。
あなたがいなくなってから、何度となくあなたがいてくれたらと思ったことでしょう。
あなたがいなくなってから、あなたがいなくなってから、あなたがいなくなってから、、、
私には想像できないことが、彼らにはあったと思います。
でも、見事に乗り越えて、日本一になりましたよ。
8月のインターハイでも常勝軍団を破り、そして、9月の国体でもね。
2冠です。
すごいです。
国体はライブ中継見てたんだけど、3Pまでは負けてたんです。
でもね、最後まであきらめないで、逆転したんです。
25年ぶりの2度目の優勝だって言ってました。
そう、あなたが高校生の時に優勝して以来の優勝だったんですね。
やっぱり、弱い自分を知ってるあなたの子どもたちは強かった。
そして、あなたの後を引き継いだ指揮官も強かった。
空の上からみてましたか?
感動してくれましたか?
私は感動しました。
そして、もっともっとしっかりやらなきゃ。
もっともっとしっかり生きなきゃ。
って思いました。
あなたの思いや魂は、しっかりと石川水球に根づいてますよ。
きっと、多くの後輩や教え子がそれを引き継いでくれることでしょう。
だから、安心して。
ゆっくりとやすんでください。
石川に行くことがあれば、あなたに会いに行きますね。