蒲公英の絮

四季折々の花や空の写真と、自己流俳句で日々を綴ります。

新日本風土記「東京 日本橋人形町」

2024-07-12 20:19:00 | 日記










(NHKのWebより)









       子らの声 弾む路地裏 夕端居





少し前の、NHK 新日本風土記「東京日本橋人形町」を昨夜やっと観た。
録画して、安心してその後なかなか観る機会もなく、木曜、お役目解放の夜、ようやく堪能。

懐かしい…人形町。
私が知ってる人形町は、昔々。
ほぼ半世紀〜20年前くらいのこと。
いや、ほんとはもっと昔。
人形町の隣町、蛎殻町に、母、伯母の生家、おじいちゃんの家があった頃。
小2の夏休みまで、おじいちゃんの家の2階に、父、母、私たち兄弟は居候していた。
その後、千葉県に家を建て引越しをするのだが、学校が休みの度、おじいちゃんの家(私たちは何故か、おばちゃんち。と呼んでいた。)へ遊びに行っていたものだった。

蛎殻町は大好きな町だった。
街の風情、人情も下町そのもの。

子どもの足でも、5分もしない場所に人形町があり、水天宮や商店街は、勝手知ったる場所。
心地よい街。

テレビに映る人形町は、その頃の面影は、ほぼなし。
だけど、豆腐屋さん、刃物やさん、人形焼きの重盛!…
そしてなにより、路地裏が健在なところ。そこで遊ぶ子どもたちの明るい声。

脳裏に浮かぶのは、やはり蛎殻町になってしまうのだが。
おばちゃんちの、路地がよみがえる。
まだ小学生にもなっていない私は、みっつ上の兄のあとを、ついて回っていた。
兄は活発で、当時、ヘリコプターからビラがまかれる(きっと広告だったかと。)と、何処までも追いかけ走って行った。
私は多分、途中で諦め、一人とぼとぼ帰路に(しかしそんなに遠くは、あの頃の私には考えられないので、結構早めに諦めたんだと思う。)

それから、その路地には、左に曲がってすぐの場所に、紙の工場があり、そこの職人さんが、夏の夕方ともなると、近所の子どもたちを集め、怪談ばなしを始める。
兄や多分その友達が多いなか、私も、やはりそこに混じる。

そのおじさんの語り口の、怖いこと。子どもながらに、リアルな内容に、もう震え上がった。

その夜は、恐ろしくて眠れなかった。

そんなことまで思い出して、あの頃にタイムスリップした。

人形町の事じゃなく蛎殻町に…(笑)

いつも元気に動き回り、私たちを心底大事にしてくれた伯母。
美味しいものを食べさせようと、あちこち買い物へ出かけ、時に高価な和菓子や魚、お肉も…,
伯母は、東京の至る所を知っていて、大抵は徒歩で出かけていたと思う。

そして寡黙だけれど、常に穏やかで優しいオーラを放つ(笑)祖父。晩年は、籐の座椅子に日がな座っていたイメージがある。

(イラストは、少し前、我が弟がブログに載せていたもの、無断で拝借。すごく似ている!)



















       籐寝椅子 寡黙な祖父の 遠眼差し










       きびきびと 下町育ちの 伯母 涼し




   
       迫真の 幽霊話 路地の漢






幽霊は、夏の季語ではない、というのが定説だが、歳時記により、夏の季語としているものもある。
私の電子辞書の歳時記も、幽霊は夏の季語としている。
今日は、こちらを採用。

人形町の話が少なすぎだけど🙇‍♀️

ひとつだけ。有名刃物屋さん「うぶけや」の立ち鋏と、糸切り鋏。
伯母から、結婚祝いに買って貰い、今でも健在。 
特に糸切り鋏の切れ味の良い事。

裁縫もあまりしなくなった最近ではあるけど、孫たちのほつれた裾やボタン付けなどには、重宝するもの。鋏はよく切れなくちゃね。

人形町の録画は、まだ削除しないで、又観るつもり。

伯母、母、祖父が、私と一緒に、今の人形町を「変わっちゃったねぇ。」なんて言いながら観ている気がするから。



コメント
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