年つまる思いもよらぬ落とし穴
予兆だったと思う昨夜(よべ)の虎落笛
月冴ゆるあすを模索す影ひとつ
昼過ぎから、知らない番号からの着信が三つ。
全く心当たりもないし、冬休みの孫の、用事で行ったり来たり、雑用に追われ、時間に追われの日、(なので、無視、そのまま忘れて…。)
年が押し詰まると、気持ちも身体も余裕がない。
そして、心の片隅にいつも、何かしらの不安があって落ち着かない。
夕方、孫たちの夕飯を届け、ちょっと一休みの、お茶でも飲もうかな、という時、また知らない番号の着信があった。
恐る恐る出る。
もしもし…
「すみません。○○さん、いつもの電話からじゃなくて…」
義母の施設の主任さんの声。
あっなんだ、そうだったのか。
だが、次の瞬間又、嫌な記憶が蘇る。
年末、去年は無事に済んだが、一昨年、先一昨年と続けて、義母は転倒して骨折している。
最初の骨折は、大腿部。
手術、リハビリ…。
あの年は、まだコロナ禍前。
毎日、病院へ面会に。
義弟たちも、よく面会に来ていた。
そして、良くも悪くも、認知症故、本人は骨折の事実を全く理解出来ず、自覚がない。
リハビリの前から、動き回ろうとする。危険この上ない。誰かが必ず監視していないとならない。
けれど、それゆえにリハビリが始まると順調に進み、普通では考えられないほどの、早期退院の運びとなった。
その裏には、病院の都合(認知症患者には手がかかる事など。)
施設側は、少しでも早く、通常に近い状態にさせたい。できる限り、車椅子生活を避けたい。認知症をこれ以上進ませない為にも、入院を長引かせたくない。
そして、さかんに私達家族に、詫びる施設長さんの責任の取り方…かと、感じたものだった。
私自身は、おそらくそれほど大仕事などしていないのだが、精神的には本当に疲れ果てた毎日であった。
そして、翌年も。
左鎖骨の骨折は、手術もしない、ギプスを二週間ほど、装着しての自然治癒。
入院もなし、二か月後には何事もなかったような、出来事ではあったけど。
そして、今回またも、職員さんがほんの少し目を離した隙の転倒
、検査の結果どうやら骨折はしていない。とのことだった。
しかし足首が、捻挫で腫れているので、しばらく様子をみる。
車椅子になりますので、ご承知ください。との主任さんの謝罪の言葉。
骨折はしていないとのことで、まずは胸を撫でおろしたけれど。
明日、とにかく施設へ行ってみるという私に、夫は至って平気な顔。呑気というか太平楽。
明日は、朝から村のどこそこのなんちゃら、明後日は、最後の忘年会で忙しい〜。
(深いため息 ) 義母は、九月で95歳になった。
(いつも、真摯で温かいコメントを寄せてくださるまかろんさんへ。しばらくコメント欄を閉じます。悪しからずよろしくお願いします。)