2/13(火) <南寧3> 広西壮族自治区博物館
今日は区の博物館に行った。やっぱり博物館でしょう!私が一番好きな場所かもしれない。
展示内容は自治区内に住む少数民族の紹介で、衣装や生活用品、写真などによるものだった。一階にはこの地方で見つかった銅鑼が展示されいて、古くて大きな銅鑼をたくさん見ることができた。特徴として挙げられるのは、表面に蛙の装飾があることか。この地の人にとって蛙は雨(=農耕に不可欠)の神で、蛙の祭りもあるそうだ。カエルの絵が描かれた大きな幟を掲げ、男達が蛙踊りをしているのがパネルで紹介されていた。
しかし、この博物館、あまり気合いは入っていない。地方で放置状態になっている博物館のよう。入館料も高くはないので、まあこんなところか。
外に出るといくつか住居の野外展示があって、小さな公園になっている。そこで何組ものカップルが結婚写真の撮影をしていた。ドレスを身にまとい、二人寄り添ってパシャ!(カメラの音)、見つめあってパシャ!
そんな光景を目の当たりにして、私は訳のわからぬ息苦しさを感じながら、木陰で一休みしていた。今日もモノスゴイ暑さだ。こんな時期なのに30℃近くあったと思う。
夕方になって、南寧・江南バスターミナルまで切符を買いに行った。次の目的地は東興。春節帰省ラッシュで忙しいからか、窓口のお姉さんが殺気立っていて怖かった。
南寧に来てからヤル気のない私は、今日もデジカメを部屋に置いて出かけてしまった。あーあ。南寧最終日だというのに。
2/12(月) <南寧2> 街ブラ
ホテルが気に入らなすぎたので、午前中に別のホテルへ移った。こちらは価格の割にはなかなか良かった。パソコン付きでインターネット無料。そりゃあ少しは高くなったけど、今日は誕生日だし、最初からこっちに来ればよかった。明日は博物館に行って、それから東興行きの切符を買いに行こうっと。
ホテルのインターネットで調べ物などをしたあとで、また外に出た。広西は思ったよりとても暑かった。寒がりの私は、寒さを恐れて厚めの服ばかりを用意して来てしまったが、ここへ来て耐え切れず、金がないのにTシャツを購入。
それにしてもこの南寧、道もなんだかグニャグニャしてて、なかなか地図どおりに進めない。その上、繁華街と書いてあった新民街も、特にそんな雰囲気は感じられなかった。ガイドブックも地図も当てにならなくて溜息ー。この街、私とは相性が合わなかったみたい。
話は変わるが、この数日、妙に腹が減る。いつもの旅より歩いていない割には食べ過ぎだ。日に日に顔が膨張していってる気がする。なぜなんだ!中国の旅で太るなんて、今までなかったのに!!いや、広東で働くようになってからは、そうかな?なぜなんだ、いろんな事が不調のまま。今年は状況を良くすることができますように。。。
2/11(日) 陽朔 → <南寧1>へ
朝8:30頃ホテルを出、陽朔バスターミナル9時発・南寧行きのバスに乗った。陽朔~南寧まではバスでおよそ6時間である。切符代が高かっただけあってバスはとても快適で、広い座席にミネラルウォーターとパンのサービスもあった。乗った乗客は少なかったが、その中には陽朔から別の地へ向かう欧米人バックパッカーもいた。私の後ろの席に座った人もそうだった。彼は「南寧経由で昆明に行く」とか隣の席の人と話しているのが聞こえてきた。隣の席に座っていたのは欧米人家族で、バックパッカーの青年はその奥さんと世間話をしていたのだった。
奥さん:「あなた中国で中国語を勉強しているの?」
青年 :「いや、ただ旅行で来ただけさ。そちらは?」
奥さん:「私の旦那が中国で英語の教師をしているのよ。」
青年 :「へえ、何年ぐらい?」
奥さん:「15年になるわ。」
青年 :「Oh!クレイジーーー!!」
最後の「クレイジー!」という青年の反応に、思わず吹き出しそうになってしまった。でも、日本をとび出して中国で4年半になる私も相当クレイジーかもしれない。
この欧米人家族は、夫婦と10歳前後の女の子と男の子の4人家族で、とても微笑ましい家族だった。私と通路をはさんで隣の、2人掛けの席に子供2人が座り、本を見たりお菓子を食べたりしていた。かわいらしい。その後ろの席に夫婦が座って、例のバックパッカーと話をしていたのだった。
トイレ休憩から戻ってバスに乗り込んで来るところを見たら、男の子の方はお父さんにそっくり、女の子の方はお母さん似だなあと思った。
乗り物に乗るとすぐに眠くなってしまう私は、それからしばらくウトウトしていた。
目が覚めた時、フと女の子の隣に男の子がいないことに気付いたが、「後ろの方の席がガラガラだったから、きっとそっちで遊んでいるのだろう」と思った。
その時はそう思って、特に気に留めることはなかったのだが、終点についても男の子の姿が見えない。どうしたのだろう?父母娘3人で、何もなかったかのようにバスを降りてサッサと歩いて行く。え?どういうこと?あの家族にくっついていた、あの父親似の男の子は??
……ははは、私きっと寝ぼけていたんだね。深く考えるのはやめておこう。
さて、南寧。いきなり郊外のバスターミナルで降ろされて、困惑してしまった。某ガイドブックによると、駅近くにも3つぐらいバスターミナルがあるようだし、ホテルもそのあたりに集中しているようだったので、とりあえず駅方面へと向かった。
南寧=自治区の区都のわりには寂しい感じのする町だ。桂林で一緒になった子が「南寧は楽しかった」と言っていたけれど、私はちょっと…。
待てよ、そういえばあの子は「僕は男だからかもしれないけど、壮族の女の子ってカワイイんですよねー。」って言ってたような気が…
オーマイガッ!ダッフンダ!!肝心なところを今頃になって思い出すなんて!
街には特に目立った観光地もないみたいだし、店並みも普通。何よりも不便なのは、長距離バスターミナルが郊外に点在していること。某ガイドブックに書いてあったような駅前の長距離バスターミナルなんて無いし(その他諸々も)、この本の南寧のデータはかなり間違いが多かった。ブルーな気分に追い打ちをかけるかの如く、この日に泊まったホテルも悪かった。疲れていたし、もう本当に嫌になってしまった1日であった。
2/10(土) <陽朔4> 散策
朝、また柳州行きの切符を買いに行ったら、またもや売り切れだった。そして「柳州への切符は買いづらいんだよ。」と言われた。
これ以上陽朔にいても仕様がないし、どうしようかと迷って、結局、次は南寧に行くことにした。桂林で会った留学生が「南寧は街を歩いているだけでも楽しかった。」と言っていたし、広西の中心地だから何かと便利だろうと思って。
明日午前9:00発、南寧行きの切符を購入。
そのあとは、陽朔最終日を満喫すべく、ひたすら街をブラブラした。今日は朝方雨が降って、天気は曇り。昨日までは初夏のような暑さだったが、今日は涼しい。川辺の道に出ると、鵜飼が見えた。この辺の地方では、今でも鵜飼漁をやっている。
夕方、西街で台湾人カップルと知り合った。彼女達は絵描きさんで、インターネットなどで自分たちの作品を販売しているのだという。私に会ったのをきっかけに「日本向けにも売り出したいから翻訳を頼む。」と言われた。大した量の翻訳ではないので、快諾。こういうことは自分にとって勉強になるから、やっておいて損はない。あとでメールで連絡を取り合うことになると思う。
この2人は日本のアニメ・小説(もちろんアートも!)などが大好きで、とても友好的な人達だった。
この人達もそうだが、みんな本当に日本のアニメが好きだなあ。日本に関心を持つ海外の若者の中には、「日本のアニメをきっかけに日本に興味を持つようになった」というケースが少なくない。実際、私の学生もアニオタが多いのだが、私は最近のアニメのことを知らないので、あまり上手に話を聞いてあげることができない。
今、このBlogを見ているアニオタ、もとい、アニメマニアまたはアニメファンのあなた、いっそ日本語教師を目指してみる、なんてのはいかがでしょうか?!きっと人気者になれると思いますよ!日本語全般&日本文化などについて、勉強を始めてみては?!
2/9(
昨日約束したとおり朝10時にオバチャンと待ち合わせて、桃源郷に連れて行ってもらった。まずホテル付近の発券所で入場チケットを買い、バスターミナルから普通の(楊堤行きだったか?)バスに乗った。
5分位して途中下車すると、“世外桃源”と書かれた入口が見えた。ここはいわゆる桃源郷のテーマパークであり、ボートに乗って桃源郷を再現したとされる景色を見る。しかし実際ボートに乗りながら見たのは、ほとんど少数民族の家や踊りなど。「やっと桃の木が出てきた!」と思ったら、次の瞬間、いきなり昨日のようなワ族(→6-④図騰古道参照)が出てきて、太鼓ドンドコ&奇声を上げながらのヘッドバンギング踊り!!
ええっ??これは何とも奇抜なイメージ違いであった。
しばらくしてボートを降りると、陶淵明の生涯や作品などを紹介した復元故居があり、民芸品売り場を兼ねた展示になっていた。私としては土産物より陶淵明について書いてある部分をゆっくり見たかったのだが、そういう箇所は若い女の子ガイド、早口で説明してサッサと通り過ぎてしまう…。
1時間半ぐらいで全てを見終わっただろうか。昨日行った所が良すぎたため、このテーマパークはちょっと退屈に感じた。
午後、昨日からいろいろな所に連れて行ってくれたオバチャンとお別れ。某ガイドブックには載っていない、一人ではとても行けなかった所を案内してもらえて、この2日間はとても楽しかった。本当にありがとう!!私が感謝の言葉を述べると、オバチャンは「アンタが楽しんでくれたなら、アタシも嬉しいよ。ありがとう。」と言って名刺をくれた。「また陽朔に来ることがあったら連絡ちょうだい。」って。名刺には名前と住所、電話番号のほかに「ここで会ったのも何かの縁。あなたの喜びこそが私の願い。」と書いてあった。そんな言葉が、何故か心に沁みた。
部屋に戻って来たら、何だか疲れがどっと出て、そのまま昼寝をしてしまった。
目が覚めてから、次の目的地・柳州行きの切符を買いに行ったら「明日の分は売り切れ。明後日のは明日また来い。」と言われた。
そうか…じゃあ明日は休憩の日にしよう。
それから町の中をブラブラ歩いた。
2/8(木) <陽朔2-④>
④ 図騰古道
帰路、また風景を楽しみつつ、またオバチャンの話に耳を傾けつつ自転車を漕いでいると、“図騰古道” なるものが見えてきた。“図騰”とは、トーテムポールのことである。そこは1万年前の桂林先住民のテーマパークだった。入場券の表示価格120元がオバチャンの口利きで55元になると言われ、つい入ってしまった。
中に入ると、原始人の格好をした人達が大勢で客を出迎えてくれた。この人達は、本当にボサボサ頭で裸足、入れ墨まであって、引いてしまうぐらいリアル。なおかつ、妙に人懐っこいのも少し怖かった。
踊りや楽器、生活様式などは以前雲南に行った時に見たワ族のものと同じ、というか、この人達はワ族でしょう。顔立ちもミャンマーとか、あちらの方々に近い。
園内の家屋や儀式などを一通り見て、最後に民族舞踊のショーがあった。民族舞踊だけにしておけばいいのに、サービス心旺盛なのか、後半は口から火を吹いたり、割れガラスを裸足で踏んだり、焼け鉄板を踏んでも大丈夫!みたいな電撃ネット○ーク的展開になってしまったのには「?」だった。
この図騰古道を見終わって、本日の観光は終了。ホテルへ帰るわけだが、オバチャンが「夕飯は、地元民の行く料理屋に連れて行ってやる。安くてウマイところがあるんだよ!」というので、ホテルで30分くらい休憩した後、一緒に夕飯に出掛けた。
行った先はアヒルの鍋料理の店。お通しとして出てきたのは、定番の瓜子(=種:たね。もちろん殻付き!)。ヒマワリやカボチャの種など、いろいろあるけれど、今回の店ではスイカの種だった。中国人は本当に器用にこの瓜子を歯で割って食べるが、私にはうまくできない。オバチャンにも「食べろ、食べろ。」とすすめられたけれど、私は「上手に食べられないの。」と答えた。すると「ゆっくりでいいから学習しろ。」と言われたので、ゆっくり食べることにした。
そうこうしているうちに鍋が運ばれてきて、肉ばかりをすすめられるままに、たらふく食べた。肉の他に野菜もあったのに、ほとんど肉だけでお腹いっぱいになってしまった。
食べ終えて、二人でホテルまで歩いている途中、「アンタに沙田柚(ザボンやブンタンの類)をあげるから、私の部屋に来て。」と言われ、オバチャンの部屋を見せてもらった。
今日は朝から晩まで、充実した有意義な1日を送ることができた。楽しかった分、出費もすごかったわけだが…。(オバチャンのガイド代は朝から晩までお世話になって20元だったが、見どころ各地の入場券代で。もちろんオバチャンは全て顔パス。私1人の入場料金のみ。)
別れ際にオバチャンが「明日は桃源郷に連れて行こうか。」と言うので、また明朝10時に会う約束をした。
桃源郷か、 魅力的な響きだな。ああ、こうして私はどんどん浮世離れしていくのか・・・戻れなくなりそうで怖いな。
③ 水岩洞
食事を終え、また自転車に乗って向かった先は水岩洞。内心「また鍾乳洞か…。」と思ったけれど、ここの鍾乳洞は他のものとは一味違った。
まず、民家の一部が窓口になっているような売り場で入場券を買い、適当な人数が集まるのを待って水岩洞の現地まで車で送ってもらう。車は舗装していない田舎の悪路を、土煙を上げながら進んで行った。
しかし、まったくシャレにならないほどの田舎である。到る所で牛やその他の家畜と遭遇し、そのたびに車は徐行せざるを得なかった。みかん畑と家畜と農家……それ以外には何もない、ひなびた田舎道。
車は私達を乗せ、「四駆じゃないとツライだろ!」というような道をガンガン進む。ああ、ここも地元ガイドに案内してもらわなかったら来られなかった場所だな、と思った。
そしてやっと水岩洞に到着。ここでヘルメットをかぶり、小舟に乗って洞窟へと入って行った。鍾乳石の天井が低く、身をかがめながら注意深く進む。もしヘルメットをかぶっていなかったら、流血していただろう。嗚呼!まるで探検隊みたいだ!!幼い頃、川○浩を見て育った私でなくとも、これは大興奮に違いない!
洞窟の中がある程度広くなってきたところで小舟を降り、鍾乳洞内をガイドのオジサンの後について進む。ここの鍾乳洞はあまり人の手が加えられていなくて、最小限の照明と足場があるだけだった。今まで聚龍潭や蘆笛山などの鍾乳洞を見てきたが、どこも赤・黄色・緑・青・紫と、色とりどりの照明でライトアップされていた。しかし、ここは普通の乳白色の照明のみ。しかも照明が少ないので、ガイドのオジサンが懐中電灯で照らさなければ見えない部分も多かった。この事はとても新鮮に感じられた。こういった自然を生かした形の方が、鍾乳洞の本来の姿を見ることができて良いと思う。
しかしながら、ガイドの内容は「ほら、トウモロコシに見えるでしょ?横のは昆布に似てるでしょ?」って、もう!ええっちゅーねん!!
……解説は、どこも一緒なのであった。それに加え今回は、普通の地元のオジサンが、鍾乳石の解説を始めた途端に妙に艶っぽい口調になったのも可笑しくてたまらなかった!
語ってる自分に酔ってますかー?いや、きっとこれがオジサンのガイド魂なのだ。プロ意識の表れなのだ!(笑)
洞内を更に進むと、泥浴(?)できる場所があった。鍾乳石でできた自然のプールというか大きめの水たまりのような所があって、水着でそこに入って水浴び、いや泥浴びすることができるのだ。ここの泥はとてもきめが細かく、美容にもいいらしい。夏には大勢の観光客が、ここで泥浴びをするんだそうだ。私達が行った時は2組の夫婦が、「寒い!」などと言いながらもキャーキャーと体に泥を塗りたくって遊んでいた。
ここでもハナ肇のオバチャンにたくさん写真を撮ってもらった。
そして2時間ばかりで、この楽しい鍾乳洞探検は終わってしまったのであった。
それからまた元の入場券売り場まで車で送ってもらい、自転車移動を再開するわけだが、先にも書いたとおり、売場の後方部は一般の民家になっていて、普通に人が暮らしている。その民家でオバチャンが「疲れたから茶でも一杯飲んでいこう。」と言って、勝手にズンズン屋内へ入って行き、“勝手知ったる他人の家”といった感じで私にも白湯を差し出してくれた。
…ガイドで何度もここへ来ていて、ここの家の人とも友達なんだろうな。でも普通の旅行者はこんなことできないよな…他人の家の台所で、ご飯茶碗に注いだお湯を手渡されながら、私はそんなことを考えていた。
2/8(木)<陽朔2-②>
② 大榕樹景区
今回は、桂林でツアーに参加した時とは別ルートで来たので土地勘のない私は気がつかなかったが、実はここは一昨日来たガジュマルの大木がある所だった。切符を切られて中に入ってから「ああ~、しくじった!」と思ったけれど、オバチャンにたくさん写真を撮ってもらえたし、地元の伝説の歌姫“劉三姐”についての話も聞けた。それに、おとといは時間の都合で見られなかった部分まで余裕をもって見ることができたので、良しとした。
桂林でもそうだったが、広西に来てから到る所で劉三姐という名前を目にした。そして地元の人達は決まって、この人物について誇らしげに語るのだった。
「昔々、この地方に歌が上手で美人聡明な壮族の娘がいた。彼女はいつも山の歌を通して、人々を励まし自然を讃えていた。そして悪い役人から庶民を救った」というのが劉三姐の伝説であるらしい。この伝説を基にした歌舞劇のポスターを街でよく見かけた。
さて、大榕樹景区を後にした私達は、また自転車に乗り、近所の農村家庭料理の店で昼食にした。ここで、前々から気になっていたビール魚を注文。これは魚をビールで蒸した上で、野菜と共に味付けしたもの。私は鯉を頼んだので骨だらけだった。鱗も取ってなくて少しビックリしたけど、味は普通だった。食事をしながらオバチャンは、いろいろと地元の話をしてくれた。私は100%聞き取れているわけではないけれど、いい中国語の勉強だ。それに、日本人にとっては珍しい話ばかりなので、とても興味深かった。
2/8(木) <陽朔2-①>
朝9時に現地ガイドのオバチャン(ハナ肇似!)がホテルまで迎えに来てくれて、レンタサイクルで観光地巡り。
① 遇竜河いかだ下り
まず、町の中心地から自転車で10分くらい行った所に遇竜河という川があって、そこで“イカダ下り”をすることになった。自転車を漕ぎながら、周りの風景に目をやる。それにしても陽朔の景色はすばらしい。桂林も良いと思ったけれど、こちらの方が格段に良い。目前にニョキニョキとそびえる岩山の波。この辺の景色はよく山水画にたとえられるが、実際目の当たりにしてみると、筆舌に尽くしがたき迫力に圧倒される。
私 :「日本ではこんな風景見られないッスよ!本当にすばらしい!」
オバチャン:「え?日本には山がないの?」
私 :「いや、あるけど、ウチの近所の山はこういう岩の山ではなくて、土の上に木がたくさん生えている感じ。」
オバチャン:「それは山とは言わない。土の丘だ。」
私 :「!!」
こっちの人にしてみたら、日本の山なんて土の丘なんだ!さすが大陸、スケールが違う!
……と、こんな風におしゃべりしつつ自転車を漕いでいると、イカダ下りの渡し場に到着。川岸に掘立小屋みたいな切符売り場がある。その周りで、花を摘んで作った花輪や靴を入れるためのビニール袋(?)を持った子供が数人、からみ付いてきた。口々に「買ってよー。買ってよー。旅の記念に。道中ご無事でありますように!」と言いながら。中には花輪を頭に載せてイカダに乗っている女性もいたが、ちょっと…私にはできなかった。ゴメン、私はいそいそと乗り込んだのだった。
イカダには二人分の椅子が据え付けてあって、後ろで船頭さんが櫓をこぐ形。1mぐらいの高さの所から、川に下りる際のザッバーン!という感じ(いかだを船頭さんが岸から蹴落とすのだ!)、足を高く上げていないと水しぶきで濡れてしまうスリル感は、大自然を背にして、遊園地の比ではない興奮を覚える。そして、周りの風景を堪能しながら、ゆっくりゆっくり川を下って行く。嗚呼!なんて素敵なこの眺め!!こんな所、一人じゃ来られなかったな。オバチャンありがとう!その上、私達の担当になった船頭さんは歌好きときていて、地元の民謡をいろいろと歌ってくれた。どうやら他の船頭さん達は歌わないようだったから、この事も運がよかった。船頭さんの歌に耳を傾けつつ、たとえ様のないすばらしい景色の間で、いかだに身を任せて……。本当に本当に、陽朔最高だ!陽朔万歳!!
夢見心地で2時間ぐらいイカダに乗っていただろうか・・・それでも名残惜しいくらい・・・終着点についてしまった。そこで、イカダに積んできた自転車を下ろし、再びサイクリング開始。次に連れて行かれたのは大榕樹景区だ。
2/7(水) <桂林4> 蘆笛山公園 → <陽朔1>へ
今日は桂林→陽朔への移動日。隣町で近いため、夕方のバスで行くことにした。
ホテルをチェック・アウトして荷物を預け、蘆笛山公園へ。観光地・桂林の路線バスには旅行路線というのがあって、乗車料金はタダだった。終点・蘆笛山公園で降りると、入園券売り場まで案内する係のオジサンがいて、「あんた日本人かい?」などと言いながら、入口を教えてくれた。
入園券を買って公園内に入って行くと、桂林地区最大級と言われる鍾乳洞がある。この辺りにはたくさんの鍾乳洞があるらしく、昨日も陽朔で見たばかりだ。中に進むと、ガイドさんが鍾乳石について解説しながら案内してくれるのだが、「あの鍾乳石は白菜で、あれはニンジン。あそこに下がっているのはインゲン豆に見えるでしょう。」とか、「皆さん、上をご覧ください。あれは老人がおしゃべりしているところです。隣には孫も見えますよ。」とか、「あれはライオン、あれは猿。」などなど、こじつけのような主観的ガイド内容に思わず吹き出してしまった。まぁ、そう見れば見えなくもないのかもしれないけど!
鍾乳洞を見終わってから園内の山を歩いたりして、一通りの所は見たので、また市内に帰ることにした。市内に戻るバスの最終が15:30なので、15時頃バス停に行って一休みしていた。今日も暑い。広州いや、それ以上に暑いような気がする。バス停であまりにヒマだったので、持ってきたお菓子をほおばっていると、さっきの案内係のオジサンがやってきた。それから二人でバスを待ちながら、世間話などをした。
オジサンはここで何人もの日本人客と話したことがあるという。みんな「中国で働く方が楽だから、日本に帰りたくない。」と言ったとか。また、知り合いに日本人女性と結婚した人がいて、それはそれは幸せな生活を送っているのだという。オジサンの中で日本人女性の印象は大変良いらしく、「中国人男性と日本人女性の相性は非常に良い!」と力説していた(笑)。そして締めくくりは、いつものパターン⇒「あんたも中国人の男と結婚して、ずっと中国で働けばいい!」…このセリフ、今まで何人の中国人に言われたことか!
しばらくしてバスが来たので、オジサンと別れ市内へ。ホテルに預けておいた荷物を受け取り、バスターミナルへと向かった。陽朔行きの切符を買いに行くと「次のバスがすぐ出るから急げ!」と言われた。バスに飛び乗り、1時間あまりで陽朔に到着。バスを降りるとまた斡旋オバチャンにつかまって、そのままホテルへ。今回もすぐに適当なホテルが見つかってよかった。
それからオバチャンにツアーをすすめられたが、旅行社を通さない個人ガイドなので自由かつ廉価と聞き、さっそく明日連れて行ってもらうことにした。明日9時に待ち合わせて、レンタサイクルで観光する。
それから少しホテルで休憩したのち、近所の繁華街・西街などを見て回った。
陽朔は小さな町ではあるが、各国のバックパッカー達の憩いの場となっている。物価も安いし、土産物店や欧米人向けのレストラン・カフェも多い。それゆえ、欧米系バックパッカーのあまりの多さに驚いた。ここ、なんだか楽しい。こじんまりした町だけど、とっても居心地がいい。来てすぐに気に入ってしまった!
2/6(火) <桂林3> 漓江下りツアー参加
朝8時、ツアーガイドがホテルまで迎えに来て、漓江下りに参加。バスに乗り込み、近くのホテルをいくつか巡って客を20人ぐらい集め、出発。
市内から埠頭までは結構距離がある。途中で、お決まりのトイレ休憩を兼ねた土産物売り場に寄らされた。売場には数々の玉製品が並んでいたが、別にこんな所で買う気はない。一通り見て、トイレに寄った。
そこで思いがけず驚愕の光景を目にしてしまう。多くのツアー客がここに寄らされるので、確かにトイレは混んでいた。女子用ともなれば、なおさらである。とはいえ、少し時間をおいて行ったので、5~6人待てば済む程度だった。なのに!トイレの個室外にある排水溝で用をたしている親子がいるではないか!!小学生の子供がしているだけでも充分ショッキングであるが、母親までも!!ごく普通の、いやこのようなツアーに参加するのだから、少々金持ちであるだろう中国人親子である。どうしても間に合わないほどの事態でもなさそうだったが・・・その後、何もなかったかのように自然にトイレを出て行った。絶句!
さて、トイレ休憩が終わった私達を乗せ、バスはどんどん山に近づいてゆく。まるで山水画に吸い込まれていくかのように。音に聞く桂林の絶景。確かにすばらしい景色だ。不思議な形の岩山の間を縫って流れる漓江。これを見れば、誰しも「この先に桃源郷があるのではないか・・・」との幻想を抱かずにはいられないだろう。
楊堤埠頭に到着した私達は、遊覧船に乗り込んだ。ここから画山という所まで行って、また引き返してくるという予定。船に乗り込むまでの道で(これもお決まりの)物売りが大勢ついて来る。船に乗ってからも器用にいかだを漕ぎながら、ピーナッツだのみかんだの、はたまた置き場に困るような置物など、いろんなものを積んで、船の窓に向って営業している。船が動き出してからも、船にロープでいかだをくくり付け、ついて来る強者も少なくない。
船はゆっくりと漓江を進んでゆく。私は室内ではなく、2階の甲板に上がって風景を満喫した。両岸に広がる壮大な景色。文句なし!しかしながら、船内で出された昼食は「これ人の食べ物?」というくらいヒドイものだった。台湾人のオジサンも怒っていた。それともう一つ、印象的だったのは虫取り網みたいなのを持って追いかけて来る子供たち。船に向かって叫んでいる。客がお金を投げると、ジャブジャブ川に入って行って、それをすくうのだ。そんな光景を複雑な気分で眺めつつ、船は元来た楊堤埠頭へ。
ここからバスは陽朔へと向かう。バスへ戻ると隣に座った男の子が、やや緊張気味に声をかけてきた。「日本人ですよね?(と、中国語で!)」彼もまた一人でこのツアーに参加していた日本人だった。去年の4月から北京に留学し、もうすぐ帰国するのだという。大学3年生(留学のため1年休学)と言っていたから、21~2歳であろう。
陽朔では、まず鑑山寺→穿岩古榕(ガジュマル大木)→バスの窓から月亮山を眺めつつ→聚龍潭(鍾乳洞)という順で観光地を回った。(もちろん途中で土産物センターに寄って!)陽朔の主要観光地はすべて今日ザッと見てしまった。
ガジュマルの大木がある所では、壮族の結婚風習を簡単に紹介していたが、新郎役として指名された観光客のオジサンのやる気のなさがウケた。聚龍潭では途中ボートに乗ったりしながら、ガイドさんの説明を聞きつつ鍾乳洞内を巡った。
さて前述した北京の留学生であるが、彼は久しぶりに日本語が話せて相当うれしかったらしく、夕食も一緒に食べに行くことになった。「もう10日ぐらい日本語をしゃべってなかった」と、今まで回ってきた中国の街の印象などを話しまくった。明日は最終地点、彼女の待つ大連へ向かうのだと。向こうの両親にも会うというから、きっと緊張してたんだろう。いろんなことを話し続けた。そして、食事を終え、彼は航空券売場方面へ、私はホテルへと戻った。
私はこの夜、ずっと日本語を話さなくても平気になってしまった自分が怖かった。<o:p></o:p>
2/5(月) <桂林2> 西山公園、象山公園
朝8時すぎ、昨日のホテル斡旋オバチャンからの電話で起こされた。漓江下りツアーの勧誘だ。「何時集合?」と訊いたら「8時20分」と言う。「今、起きたばかりだから…」と言ったら、「すぐ来れば大丈夫」だって。いや、私は10分で支度はできないから!絶対、無理!!ということで、明日参加することにした。
それから午前10時にホテルを出て路線バスに乗り、西山公園に向かった。
西山公園内には博物館があると聞いていたが、実際入口は別だった。私はよくわからないまま公園の入場券を買ってしまったので、しばらく公園内をぶらぶらした。中心部には岩山があって、暇なので登ってみたら周りの景色が一望できて面白かった。そのまま公園内を歩き回って、それから博物館へ行こうとしたら警備員に呼び止められた。
警備員:「何の用だ?」
私 :「(何の用だ?って!)博物館を見に来たんですけど。」
警備員:「今、昼休み中だから入れない。午後は2時半からだ。」
私 :「……。ああ、そうですか。」
運悪くその時は、ちょうど正午を過ぎたばかりだった。あーあ。博物館の入場券を切るだけなら、昼休み中だってできなくは無かろうに。客なんて全然いないじゃん。
西山公園付近には他になにもなく、ここで時間をつぶすことはできないと思ったので、再び路線バスに乗って風情園という少数民族のテーマパークに行ってみることにした。バスを途中で降り、川沿いをしばらく歩くと風情園にたどりついたが、何とすでに閉鎖になった模様。う~ん、今日はなんてツイてないんだ。
でも、「気ままな旅だもの、こんな日もあるさ」と気を取り直して、その足で象山公園へ。ここはその名の通り、像の形をした岩山がある。結構、可愛かった。
今日も一日、よく歩いた。
2/4(日) <桂林1> 独秀峰(広西師範大学)
広州から桂林までは約9時間と聞いていたが、朝6時には到着した。外はまだ真っ暗だった。いつものようにホテル斡旋オバチャンについて行って、近くのホテルを安く紹介してもらった。ここは有名な観光地であるので、案の定ホテルに着くなりいろんなツアーを紹介されたが、とにかく疲れていたし眠くて思考回路凍結。「とりあえず今日は休みたい。」と言って部屋に逃げた。
午後から外に出て、街を歩いた。思ったより暑い。某有名ガイドブックによれば、桂林はこの時期結構寒いようなことが書いてあったので、冬支度で来てしまった。
水辺の遊歩道や歩行者天国を歩いているうちに、広西師範大学に行きついた。キャンパス内には独秀峰という観光ポイントがあって、入場料を払わなければならない、のか?と思ったが、普通に校門から入り、独秀峰に登らなければタダだった。
広い広西師範大学キャンパスを歩きながら、ボンヤリと自分の留学生時代のことを考えていた。私が語学留学していたのは、河南省の某師範大学なんだけどね!
やはり今日は疲れている。いったんホテルに戻り休憩して、夕方また買い物がてら散歩。日月双塔がライトアップされていた。
2007年2/3(土) 『広西壮族自治区の旅』スタート!
いよいよ出発の日。出発直前まで学生から質問を受けたりしていたが、準備は万端。旅に向けて、昨日からテンションが高い。3週間後、私はまた一回り大きくなって帰ってくるぞ!
夕方になって学校を出、広州市内へ向かう。広州駅の近くには長距離バスターミナルなどの交通機関が密集しているが、冬休み・春節の帰省の時期で、この辺りは大変な込みようだった。私は省バスターミナルへ行き、22:30発の桂林行きの切符を買った。発車時間まで時間があったので、近所をブラブラしようと思ったが、どこもかしこも人多すぎ!歩くのすら面倒になって、ベンチに座って人間観察をしていた。焼き芋を食べながら。全く、誰もかれも家に帰るんだな。
20:10頃から桂林行きの改札が始まり、乗車すると私は一番後ろの席だった。余裕で買えたと思った切符だったが実は売り切れ寸前、ギリギリだったんだ。バスは寝台じゃなかったので、足がむくんでツラかった。