tan君の後期高齢四方八方帖

先輩諸兄が歩んだのと同じ小径を踏みしめながら、その都度感じたことを綴ります。

「 老人日記 か ら (61) 」

2017-07-18 07:32:12 | Weblog
前々回は、同じ職場で勤めたことのある後輩から「あんた、何という名前だったかな?」という質問で愕然としたことについてコメントしました。そして、悲しいことですが、この年齢になると残念ながら愕然とさされることは続くものです。

それはお寺さんからの通知で、常々、御先祖の供養でお世話になっているお寺さんの、毎年「お盆」の定例行事である、仏前にお経を上げて下さっておられた僧侶のお方が、今年4月に遷化(高僧の死去の意)されたことに伴う「お盆参り日程変更のお願い」という個所を読んで、今までずっと懇意にしていたお方の旅立ちを知った時のことでした。(檀家が多い関係か、檀家を三班に分けて、三人の僧侶が担当するシステムで、或る年には、何故か、大僧正がお出ましになられたり、続く二年間は「正座が出来ないので椅子で勝手させていただきます。」と言われたりしたことから、今にして思えば、その当時から既に病状がかなり悪化しておられたのではないかと推測されます。)

長い期間のお付き合いでしたが、初めて来られたときは自動二輪でさっそうと御来訪下さり、お寺にもしゃれた僧侶のお方が居られることを認識したことや、両親の何回目の法要だったか忘れましたが、御詠歌が挿入されためずらしいお経を上げていただいたとき(昨年の両親の三十三回忌までにお越し下さった、確か5人(?)の僧侶のお方の内、ただ、お一人だけ)には感激さされたことなど、尽きせぬ思い出の数々が頭を過ぎりました。

今までは無意識の内に僧侶のお方は「不死身」だということを前提にして物事を考えていたのだという現実を再認識さされましたし、その誤解のために、衝撃が大きかったことにも気づかされました。それまで、tan君が三途の川を渡らないといけないときには、お経を上げていただいて無事に渡れるように導いていただくことを心づもりにしていたので、享年61歳の若さで先立たれて、何とも言えない複雑な心境に襲われました。

「 老人日記 か ら (60) 」

2017-07-04 07:22:54 | Weblog
老々夫婦が生活するための生活必需品の内、①重量のある品目 ②距離的に遠いスーパーで販売している品目等は、tan君の担当です。運転免許証を返納するまでは、必要に応じて、マイカーを利用していましたが、現在は風の強い日でも全て自転車なので、たいへん不便を感じています。

或る日、遠くのスーパーに行ったときのことです。一人の男性が近づいて来るので、意識して顔を確かめてみると、部署は違うが同じ職場に在籍していた期間が4年間だった後輩でした。親しげに「体調はどう?」とか「何処のお医者さんに掛かっているの?」と尋ねて来ました。ところが、次の質問で愕然としてしまいました。その質問は「あんた、何という名前だったかな?」でした。その瞬間、いろいろなことが頭を過ぎりました。

更に続けて、「お金を千円貸してもらえないだろうか。実は、財布を忘れて困っている。」と言うので、tan君が【もしその後輩と同じ立場】だったら諦めて帰路につくところだろうなと思いながらズボンの後ろポケットからお札を出していたら、それを見て更に続けて、「二千円貸してもらえないだろうか。」と金額を増額して来ました。

ところが、彼の住所も知らないし、多分、彼もtan君の住所を知らない筈です。このような条件の下で、どのような方法で返却するのかなと思いながら、「御期待に添えないけれど、千円にしてくれ。ただし、貸すのではなく、進呈するから返却しないといけないなどの心配は不要だから。」と言って、その場を離れました。