tan君の後期高齢四方八方帖

先輩諸兄が歩んだのと同じ小径を踏みしめながら、その都度感じたことを綴ります。

「 K A O ― 175 」

2011-01-31 09:03:34 | Weblog

§ (横行結腸癌の摘出手術の続きですが…)tan君の入院期間中に、ちょうど病院付属の看護師養成機関の学生の看護実習がありました。我が病室には女子1名の実習生が配属され、tan君の担当となりました。同室の患者はいずれもtan君と同じ担当医なので、どの患者さんの所に配属されてもいいわけですが、いちばん病状の軽いtan君を婦長さんが指名されたのだろうと思いました。
先輩看護師さんが付き添っていろいろの医療行為を実習しながら、だんだんと一人前の看護師さんと同じ医療行為を単独で出来るようになっていかれました。その看護実習の中でtan君が一度だけ悩んだのは、「患者さんの身体をタオルで拭く実習」のときでした。つまり、身体のどこの部分までを拭いてもらうかということが問題でした。加齢を重ねていても、見られるのが恥ずかしい箇所は若い方々と同じなので躊躇しました。しかし、看護実習の目的から考えると、どこも包み隠さず拭いてもらうのがベストだと判断しました。覚悟を決めて(開き直って?)、「お父さんの身体で実習というわけにはいかないから、私でしっかり実習をしてください。」と申したところ、「私は母子家庭育ちです。」との返事が戻ってきたので、「余計なことを言って御免なさい。」と謝るしかありませんでした。(加齢雑学講座第118回)

「 夢 二 ― 66 」

2011-01-29 08:57:00 | Weblog

§ 「夢二描画」の「セノオ楽譜の表紙絵」のジャンルの中から、本日は大正13年に発売された二見孝平訳詞マクダウエル作曲の「わだつみ(別画)」を模写しました。

§ 来週は「KAO」シリーズの投稿を予定しています。

「 夢 二 ― 64 」

2011-01-27 09:04:31 | Weblog

§ 「夢二描画」の「セノオ楽譜の表紙絵」のジャンルの中から、本日は大正8年に発売された竹久夢二作詩澤田柳吉作曲の「雪の扉」を模写しました。なお、「夢二美人」は背が高く、ブログに収めるために上半身だけを描きました。

「 わ ら べ ― 36 」

2011-01-26 08:44:58 | Weblog

§ 日常の生活で、tan君は「ルック」という言葉を使いませんが、ラジオやテレビでは時々耳にします。中学校程度の英語でもその意味はおよそ理解できますが、念のため、手元にある三省堂発行の「現代カタカナ語辞典」で調べてみると「ある特徴や雰囲気をもった服装。」とありました。
「わらべ」の顔の描画に当たっても顔以外に帽子等の「プラス・アルファ」の要素を加えると、見応えが増えるのではないかと考えて試してみました。顔自体には本質的には何の違いもないのに、「ルック」に関わる手立てを施すことによって描画のイメージが変わったように感じるのは不思議なことではあります。

§ 今週は引き続き、明日から「夢二」シリーズの投稿を予定しています。

「 わ ら べ ― 35 」

2011-01-25 09:06:28 | Weblog

§ 近所の「スーパー」へのコースの途中に、フェンスに囲まれた住宅で門柱の陰のところに「白色の物体が一杯詰まったビニル袋」が山のように積み上げた家があります。初めの内は何も気にせずにその家の前を通っていましたが、だんだんビニル袋を意識するようになりました。そして、時には年老いた女性が玄関前を掃除しておられる日もあり、(想像している自分自身が本当に寂しいことなのですが加齢を重ねている身に思い付いたのは)「もしかして、中身は使用済みのオムツ」ではないのかなということでした。
我が市では、「オムツ」は「埋め立てゴミ(燃えないゴミ)」の分類に入りますから、もし月1回の「埋め立てゴミ」を出す日に、「ビニル袋」の山がなくなっていたらtan君の推理が正しかったことが確認出来るので、その家の方々にはたいへん失礼な推理であることは重々自覚しながらその日を待ちました。
結果は、「ビニル袋」の山はいつものように積み上げられたままでしたので、tan君の推理は「外れ」でした。そのときの心境は、「がっかり」というよりは「外れてよかった」という方が強かったです。若い年代の方々はこのような心配は絶対になさらないと思いますが、tan君の立場を冷静に考えてみると、いつの日か想定したような状況が我が家でも起こる可能性は皆無とは断言出来ないわけで、加齢を重ねた者に迫ってくる寂しい現実ではあります。(加齢雑学講座第117回)

「 わ ら べ ― 34 」

2011-01-24 07:53:02 | Weblog

§ tan君の家族構成は家内との二人暮らしですが、加齢に伴って残念ながら二人とも半人前以下の仕事しか出来ないので、自ずと日常生活の諸行事は分担して処理するようになり、生鮮食料品の仕入れは主にtan君が担当しています。そして、その道中で目にした事例をコメントします。
多くの地方公共団体では「ゴミ収集の有料化」が大きな流れとなっており、tan君の所でも昨年から市指定のゴミ袋で出さないといけないことになりました。或る日、買い物の途中で年配の女性が市指定の黄色のゴミ袋ではない透明な袋でゴミ・ステーション目指して歩いておられたので、どうなさるのかなという興味(?)に駆られて適当な距離を保ちながら後について行きました。
すると、上部に隙間のあるゴミ袋を選んで、手にした透明な袋をその中に入れておられました。性善説的(?)な見方をすれば、一旦ゴミ袋は出したが、帰宅してみるとまだゴミが残っていたので自分の袋に入れておられたということになります。
また、別の日に他の場所で目にした光景は、自転車に乗っておられた(どちらかと言えば外出着風の)女性がゴミ・ステーションのところで自転車から降りて、前者と全く同じ行動を執られたときは(残念ながら)首を傾げてしまいました。tan君の状況判断からすると、「みみっちい。」という表現を遣いたくなりましたが、果たしてこのコメントに「みみっちい」という言葉を遣ってもいいのか、つまり、標準語なのか自信がなくて「広辞苑」で調べてみました。すると、「けち臭い・しみったれている」とあり、辞書での確認作業で学習効果は実感できました。なお、上記2例とも、正確な状況は把握しているわけではありませんので、お二人の行為は表面的には「みみっちい」ようには見えますが、別に誰にも迷惑を掛けている訳でもないので「いいじゃないの。」と言われれば、「その通りです。」いうことになります。また、tan君が上記のように出したいゴミを出し忘れた節は、次回のゴミ出しのときに出すようにすることも間違いありません。(加齢雑学講座第116回)

「 デッサン ― 65 」

2011-01-19 08:51:20 | Weblog

§ 「手榴弾」(※「てりゅうだん」・「しゅりゅうだん」のいずれで入力しても結果は同じ)についてコメントしましょう。沖縄戦で民間人の自決用に軍隊から配られた云々と報ぜられたことのある「手榴弾」ですが、これの投擲の仕方も「軍事教練」の教材の中にはありました。何回も指導を受けたという記憶はありませんが、「安全ピン」を抜いたら何秒(残念ながら具体的な数値は忘れましたが)で爆発するから抜いて直ぐ投擲したら敵兵に拾われて投げ返されて味方が損害を被るということの指導を受け、また逆に、「安全ピン」を抜いた後いつまでも保持していたら同じく、自分を初めとして味方が危険に曝されることを懇々と指導され、「安全ピンを抜いてから投擲するまでの時間」を叩き込まれました。
続いて、1人ずつ実習を行なうわけですが、「配属将校」から「今のは成功。」と褒められたり「今のは敵方に拾われて投げ返される。」などと叱られたりしました。鉄製なので重くて、あまり遠くまで投げることが出来なかったことを今も印象強く覚えています。繰り返しになりますが、指導の重点は「投擲の距離」よりも「安全ピンを抜いた後の投擲のタイミング」でした。(加齢雑学講座第115回)

§ 来週は「わらべ」シリーズの投稿を予定しています。

「 デッサン ― 64 」

2011-01-18 08:36:16 | Weblog

§ 「白兵戦」という言葉を耳にしたら、どのようなイメージが描けますか。多分、テレビに登場する戦国時代の敵味方入り乱れての地上戦かと思いますが、広辞苑には「白兵を用いてする肉薄戦。」とあります。では、「白兵」の意味とは一体何だろうかいうことになりますが、「白兵」の項目には「白刃。敵を斬りまたは突き刺す兵器。」とありました。そして、「軍事教練」の学習内容にもその「白兵」に当たる「38式歩兵銃」の先に「銃剣」を装着して突撃する訓練もありました。
校庭の周囲には、何箇所かに地面に埋めた2本の柱の間に藁で作った米俵風の物を括り付けて作った敵兵に見立てた人体模型が何体もあり、教官の号令でその目標に向かって意味不明の「ワアー。」という叫び声を挙げながら突進し、それぞれ手にした「38式歩兵銃」の先に装着した「銃剣」、つまり、「白兵」を何回も突き刺す訓練を指導されました。「配属将校」からは、「銃剣」を人体模型に突き刺すときの「エイッ。」という声が小さいと当然のことながらお叱りを受けました。なお、一般の大人や子供達は竹の先を斜めに切った「竹やり」で訓練をしていたことを知っておられる方々は多いのではないでしょうか。(加齢雑学講座第114回)

「 デッサン ― 63 」

2011-01-17 09:15:59 | Weblog

§ 敬意を表現する方法として、「集団の行進」では儀式用の行進がありますが、足を棒のように真っ直ぐ伸ばして歩く外国の軍隊の勇姿(?)をテレビで視聴されたことがおありだと思います。我が国の軍隊でも(あのように異様に感じる程ではありませんが)「歩調、取れ!」という号令が掛かると腿をしっかり上げて靴音高く行進することがありました。
指揮官の前を通過するときだけ、しばらく「儀式的な行進」をします。そして、通常の行進に戻るときは微かな記憶しかありませんが、確か「直れ!(歩調、直れ!だったかも…)」という号令だったように思います。このような行進の仕方も「軍事教練」の教材の1つでした。(加齢雑学講座第113回)