ハヤテの追求ブログ

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ユダヤ国家アメリカ(ロックフェラー帝国)デフォルト寸前、気分転換にNHK朝ドラマおひさまを考察

2011-07-28 14:31:49 | Weblog
yahoo番組感想欄よりおひさま批判投稿

この投稿をした本人です。私は生まれも育ちもれっきとした信州人です。だからIDも、NGN****イコールNAGANOの略なのです。表現が多くの方々を示すことになってしまったのは、申し訳ないと思いますが、私はこのドラマは長野県の景観、自然の美しさを利用した、はじめからあまり内容のない普通のドラマだと思っていました。これが本当の感想です。美しく咲いた桜が散っている、そんなときに妻が亡くなった。あの時の「サクラ」のダジャレ、このドラマは一体何なのだと腹立たしく思いました。だいたい昔のあの年頃の子どもたちに「サクラ」の意味がわかるのでしょうか? 本当に興ざめのシーンでした。そして岡田さんは長野を舞台としているのに長野のことをよく取材していらっしゃらない。それにもがっかりさせられました。長野の戦前・戦中・戦後を甘く見ないで欲しい。陽子の初恋の人物は満州に渡りましたが、さらっと流しましたね。日本で満州に渡ったのは長野県人が一番多いのです。どうして人々が満州を目指したのかその描写があっても良かったと思います。とにかく浅いドラマです。私のような感想を持つ方もいらっしゃると思います。


昭和21年の交通事情は劣悪だったと聞きます。ダイヤとおりには動かないし、ぎゅぎゅう詰めだったところへ毎日赤ん坊を連れていけるものでしょうか?
そういえば、おひさまでは列車の描写が有りませんね。身重の身でもよく通えましたね。丸庵と小学校と和成の勤めている工場の距離がまるでわかりません。架空の物語だと言えばそれまでですが。
戦後の混乱期に現代のそこかしこにちりばめられていると感じるから違和感があるのだと思います。それに今は丸庵だけの範囲で話が進められているのでストリーに広がりが感じられないのが残念に思います。

始めて投稿します。前半は毎日夢中になってみていました。多少あれ?と思うことはあっても
それが気にならないくらいに登場人物やストーリーに魅力がありました。ドラマの中の世界が現実に存在して、放送時間にその世界をかいまみている楽しさがありました。
しかし、最近は全く鑑賞に堪えません。ドラマですから、有る程度のご都合主義は許されると思います。でも、妊婦が戦後に汽車通勤をしていた、とか生後二ヶ月の子を授乳のために汽車にのせてつれていくとか、嫁の友達が婚家に遠慮もなしに遊びに行くとか、果ては友達が学校までおしかけて話こんでいくなど、あまりにリアリティがない。放送時間のときだけセットを持ち出してやっているコントのようだ。老陽子が自分の普通のひととしての半生を
語る形でドラマをすすめるのであれば、もう少し、普通の人生としてあったかもしれない、と思わせる展開でなければとおもいます。

原作「ハルカ・エイティ」のキャラ設定が以下のようにスライドしています。まあ、なんて素敵な脚本なのでしょう。脚本家チームの作業風景が目に浮かびます。

主人公の友人「日向子」の名前→陽子の子供
「日向子」の駆け落ち相手→陽子の初恋の人と駆け落ちエピ
「日向子」の身分と従者→陽子のおばあさまと運転手
主人公の友人「由里子」の東京の大学への受験勉強→育子の上京
「由里子」の学業優秀→真知子の学業優秀
国会議員の有力者→安曇野の帝王(真知子の父)
主人公「ハルカ」の落語好き→良一の空想漫才
主人公「ハルカ」の明るさ→育子の明るさ

こんなパズルみたいな操作をしていたら、そこに魂が宿るはずがありません。

脚本家はすでに降板?
私もそんな感じがします。

もうすでに前半を書いていた方は降りてしまったのではないでしょうか。
盗作疑惑うんぬんの話が局内で出始めてしまったときに。
また、放送局からの依頼で「原作に近い作品を」、と依頼されたが
不倫描写のある原作が表現できずに局関係者と衝突らしきことがあったのかと。

内部告発もそんな感じのものが外部に知れ渡ったのでしょうか。


もしかしたら、感動の朝ドラか、と思わせてくれた。

しかし、もうすでにこの頃から、特有の「不具合」が見え隠れしていた。

親友ユキが奉公に出ることを夏子先生から聞かされた陽子が、教室を飛び出す。
「そうだ、陽子。早くユキに会いに行ってやれ」と陽子を応援したい気持ちでいっぱいになった。

しかし、どうもおかしい。
学校から誰も、教室を飛び出した陽子を、追いかけてこないのだ。
こんなことって、現実にはあり得ない。
このドラマは、感動的な場面を描きながら、リアリティが欠如しているのだ。

涙ぐみながらユキを見送る陽子の肩に、追いかけてきた夏子先生の手がそっと置かれる。
こんな場面だけでも入れてくれたら十分納得できた。
そして、成人した教師の陽子をどれだけ期待できただろう。

その後は「下見なしの登山」「葬儀のサクラ発言」「次兄へのキック」と、転がり落ちるように・・・。

あれから、ずっと星1だ。

勉強苦手な脚本家が、たとえ現代史でも歴史に関わる物語を書くと、脚本の粗さとお馬鹿さに耐えられなくなる。

図書館で借りて一読しました。問題の盗作疑惑について、私の感想は「限りなく黒に近い」です。舞台となる土地など、ディテールはもちろんちがいますが物語の骨格は極め類似しています。自転車に乗る女学生の絵もそっくりです。おひさまの脚本家が全くオリジナルと言い切っていますが、無理があります。小説の世界では裁判で盗作が決着することは稀で、大概は、原作者に一言詫びを入れか、原作者あるいは引用として表記することが現実的な解決策です。おひさまがパクリ作品という前提に立ば、おひさまが矛盾だらけで、不自然な展開になっていることが理解出来ます。パクリで書いた物語に細部に渡った構想が脚本家にあるはずが無いからです。万博ソングを当初オリジナルと言い切り、後で盗作を認めた某国のような醜態は見たくないです。

発熱した日向子を町医者に見せたらいきなり「肺炎です・・・非常に危険な状態です。」などと言われるが、これはおかしい。
風邪と症状が似ている肺炎は今でも町医者レベルでは診断がつかない病気です。

私自身肺炎をやりましたが、開業医2軒行って2軒とも「風邪」でした。熱がさがらず咳もひどいままなので病院で精密検査を受けるよう勧められ、病院でX線、ふつうはこれで分かるのですが、これでもわからず、ヘリカルCTを撮って白い影が写り、やっと肺炎と診断されたくらいです。
最終的に痰を培養して肺炎菌が検出されて確定診断となりました。
そんなに簡単にわかる病気ではないのです。

あの名作と言われている「ちゅらさん」も、エリィが小浜島で気を失って目が覚めたら東京にいたということがあったそうです。感動シーンを先に思いついて後でつじつまをあわせようとする(本当はつじつまあわせにもなっていない)のが、この脚本家の特徴です。根っこのテーマやその裏付けをするリアリティとそのための取材が欠落しています。しかも羽振りがいいせいか発想がますます浮世離れしています。この脚本で楽しむには、昨日のことや一分前のことをすっかり忘れて、ただ感動シーンにあわせて感動してやるのが、流儀のようです。

どなたもご指摘にならないが、このドラマに関わっている方々のお名前の妙チクリンさに疑問をお持ちにならないのだろうか?
  いわゆる半島出身の方がお使いになるものばかりですよね。
   改めて演出陣の一覧を見て、本当に驚きました。
  登場人物の姓名、キャスト陣には当初から気づいていましたが、スタッフのお名前を見て絶句。。
 嘘で丸めこんだ視聴者騙しのドラマの謎が解けた気がします。
滅茶苦茶なストーリー展開、パクリ問題、見せかけ取材、いい加減な時代考証、ヤル気の無さ、セリフの下品さ、快挙にいとまがありません。
  お国柄ですね。このエゲツなさは。

陽子先生は結局“軍国教育”を担っただけで終わってしまった。戦後の教育にどう取り組むのか見てみたかった。
そもそも、このドラマは戦争をはさんで日本の社会制度が大きく変わった時代を背景にしていながらその辺の激動が伝わってこない。
校長が教育制度が変わるといったのは1947年の教育基本法制定のことだろうが、これは前年の天皇主権から国民主権へという憲法の大改正に伴うものものであり、こうした時代を画す出来事には触れておくべきだ。

また、戦前コメが配給制になると食堂は自由に営業できなくなり、「外食券食堂」で「外食券」というものを持っている人だけが食事できた。そば屋も然り。
これは戦後まで続くのだが、戦後になると食料事情はさらに深刻化、ヤミの横行に手を焼いた政府は1947年7月には飲食営業緊急措置令というものが出して外食券食堂を除く全国33万軒の飲食店に休業命令 を出し、そば屋も禁止された。
そば屋が営業再開するのは1950年5月になってからである。
「丸庵」も営業禁止になるはずだが、どうするのかな?

このドラマには当時茶の間でも話題になったはずの歴史的な出来事がほとんど出てこない。庶民の生活を直撃したハイパー・インフレ、新憲法についても学校では副読本まで用意して教えたのに憲法のケの字も出てこなかった。みんないつもお腹を空かせて必死に生きていた大変な時代であったのに、そうした空気が伝わってこない。
これからの見どころは、食料事情の深刻化に伴い昭和22年に出た飲食店の営業を禁止する「飲食営業緊急措置令」にどう対応するかだ。これは当時の食堂経営者にとって死活問題の大事件であった。このいわゆる「料飲政令」は飲食店従業員の大量失業という新たな問題も生み、国会でも論戦となった。昭和23年3月の国会議事録わ見ると「そば屋」の営業再開が大問題になっている。野党質問「そば屋というものはどういう方針でやるのか。・・再開させるのか・・。」、政府側委員「・・料飲政令が出たときからそば屋というものは、これを禁止するという建前がとられてきておりましたので、現在の料飲政令の解釈の範囲ではそば屋は再開が困難である。・・。」
 結局、そば屋の解禁は昭和25年になるのだが、はたして丸庵は如何に?

とにかく、この当時は何もかもが困難な時代だった。就職がまた困難だった。
経済は戦争で疲弊、戦地から復員して仕事がない男性があふれかえっていた。、そんな時代、女性の就職はさらに厳しかった。戦争未亡人など困窮した多くの女性が夜の街に立つようになっていったのも自然な成り行きだった。
 ところがドラマでは陽子はいつの間にか民間会社の経理に再就職が決まっている。しかも子連れで・・・。
 働く女性の応援という現代的意義を意図したのであれば、戦後最悪の就職氷河期にある今、戦後の就職難のなかで苦労して働き口を見つける過程を描くこともまた現代的意義のあることだと思うのだが・・。

 ついでに言えば、経理というのは専門知識を要する仕事であり、元教師がすぐにできるような仕事ではない。簿記などを勉強し、実務には指導担当者がついて決算まで最低1年は見習いといったところであろう。

本質ねえ・・・・・・

前半は、お手本となった他のひとの作品に酷似した設定で、なんとか「名作の予感」などと油断しまくることが出来ていたが、これが外れてしまってからはすっかり化けの皮が剥がれ迷走、きちんとした筋のあるドラマを構成できていない。

全体的に人物の描き方が設定含め薄っぺら。ヒロインの父親役でさえ役者として役作りを投げてかかっている旨、HPで語ってしまってるほど。

さらにとってつけたようなニッポン応援を震災後の思いつきで無理やり盛り込もうとした結果細部まで破綻、もはや手のつけようのない混乱状態に陥っている。無茶な応援エピみたいな付け焼刃みたいなことしないで、震災にも屈せず淡々と通常営業のドラマ作りを貫くスタンスのほうが良かったろうに・・・

ヒロインそのものの心理の深まりも、葛藤も描けず、ただただストーリーのなすがままに流されてテキトーな言葉を発しているだけ。脚本家、この作品を手に余して疲れ果ててる??

見るも惨憺たる状況になってきてるね。これが現在の画面からやすやすと読み取れる「本質」です。


先日の、コーラ初体験のシーン・・・・・・・・

瓶の文字、NHKらしく削ってたけど、紙やすりで手荒く仕事した、ガッサガサの跡が画面にくっきり。

ていねいに瓶をきれいに戻すとか、他の文字をそれらしく入れるとか、そういう細かいやる気が製作現場から失われていることの何よりの証拠。

悲しいね。すでに現場のみんなは、もう完全にやる気をなくしてる。

・頭が悪い上に勉強(調査等)が大嫌いである。(大河「江」の脚本屋とそっく り)
・歴史を全く知らない。(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・普通 この職業の方は控え目が通常であるが、出しゃばりである。(またまた 「江」の脚本屋とそっくり)
・自分自身を褒めるのが大好きである。(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・他人の原作を盗作しても涼しい顔をしている。(お前はパクリが常識な大陸人 か)
・視聴者をイライラさせる術は天下一品(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・男はへなちょこで、目付きは悪いが女が強いドラマが大好き。
・こんなストーリーで主婦に受けようとするバカ。
・自分で満足するシャレだが、視聴者にバカにされる台詞を役者に言わせる。
・行き当たりばったりなので、ドラマに整合性が無い。
・ベテラン女優(徳子)におかしな衣装、化粧について何にも言えない。
・書き出したらきりが無くなったワ。

たまたま今日一緒に見ていた父(昭和13年生)が「昭和25年頃はまだ白米が食べれなかったし、あんな綺麗な服着た人もいなかった。靴もないから高校に上がるまで、ずっと下駄だった」とポツリ。昭和9年生の義母も「高校入学に初めて革靴を買ってもらって履いていったら、その日に盗まれた」と周囲がどれほど貧しかったかを言っていました。ドラマだからフィクション有なのはわかりますが、浅田次郎さんの「虚構の小説だからこそ、時代考証や歴史にはきっちり責任を持つ」のが小説家としての心得と語っていましたが、このドラマは嘘すぎて共感できません。

(丸庵が焼けるのは、往年のアメリカの映画「我が道を往く」のパクリでしょうか。
(ビング・クロスビーが若い牧師をやっていた。淀川長治さんご推薦の映画))

いくらフィクションドラマとはいえ、時代を設定してしまうとそれなりの時代考証が必要となります。
一流の脚本家は衣装、小道具等がその当時に存在したか、
法律等はどうだったか、その地域の歴史は?
言葉使い、方言はどうだったか、
このような事柄を文献等で調査し、脚本されると思います。
その上で作られる作品は、ドラマを盛り上げるために、多少有り得ないと思っていても視聴者は納得するのです。
一方、この作品は脚本家の思いつき、自分の感覚で役者に言わせる寒~いダジャレ、今日が良ければ後は無かった事に~、
こんな考えで作るものだからクレームが花盛り。

本日の鳥肌が立った場面
和成と陽子が雨も降らんのに雨傘(あの時代にあんな傘あった?)でアイアイ傘
この時代、結婚5年も経った夫婦が子供をほったらかしてこんな事するかぁ?
いい年こいた、お花畑状態頭の脚本家が考えそうなストーリー。
今年の暑さで熱中症にでもかかったか?

予想はしてたけど、育子の言葉は今までで一番酷い。
「順調に落ち続け・・」って言葉は冗談で成立するのか? 茂樹の受験てそんなに軽いものなのか? 春樹の遺志を継いだのではないのか? こんな酷い言葉に全員が笑顔なんて本当に「おひさま」は別世界だ。私が茂樹の親だったらこんな娘とは付き合わせない。

名作と言われていた前半だって今思えばどうなのか。多くの人に不評だった房子の存在も脚本家にとっては勝算有りだったのだろうから、もともとそういうセンスの人なのじゃないか
そんなKYさが毎度のからかい場面だったり、常識外れの台詞になっているのではないか。普通の人を描こうにも、作家に常識が無いから無理なのだ。意外性ばかり狙うから実の無い薄っぺらな物になってしまう。
名作だと自画自賛しているようだが、実は最初から穴だらけだったのではないかと思う。
視聴者が良心的に見て見ぬフリをしてきただけなのだ。


ドラマはすべて虚構と言えなくもない。確かに創作であるから当然である。
しかし、そこには一定のルールをもってリアリティーの追求と社会常識に反しないことが前提となっている。
スーパーマンやスパイダーマンに於いてさえ、これは守られる。かれらの超人的な能力のみSFだが、善悪の基準、人間の感情、生命と糧、距離や時間等のリアリティー・常識が通用する。でないと話が滅茶苦茶になってしまうから。

ところが「おひさま」の世界ではこれが通用しないのである。
・首もすわらぬ乳飲み子を毎日汽車に乗せて仕事場へ
・授乳は一回だけ
・子育て未経験者の他人に子を託す
・老幼の序も無視

あり得ないし、倫理性すらない。

初めて投稿します。朝ドラはおもしろいものは録画してでも毎日見るファンです。
今回も、前半は昨年のゲゲゲの女房と同じくらい楽しみにして見ていましたが、戦後はあまりにも時代考証がひどすぎて見るのをやめてしまいました。
私の両親は四国出身で終戦の時に父が13歳、母が10歳でした。戦中戦後の物不足の話はいやというほど聞かされていて、特に配給すら無くなった戦後の方がひどかったということです。
父は17歳(昭和24年)の時、製鉄所に就職するために福岡の独身寮に入りましたが、昼食は黒パン1つだったそうです。60倍の倍率でせっかく入社したのに、あまりのひもじさに同期の方は次々と辞めて国に帰って行ったそうです。
母が18歳で就職した時(昭和28年)は初任給でブラウス一枚しか買えなかったそうです。

延々と続くお土産配り、茂樹くん・さんのドタバタ、受験生へのからかい、ひやかし。つまらないと言うより、怒りを覚える。
丸山一族が卓に座り、面白くもない事柄で笑うのは不快だ。

このドラマは現代のバラエティー番組の制作手法と同種の臭いがする。
視聴者は面白いと感じないのに、笑い声を無理やり聞かされて、ほら笑いなさいとばかり強要する。ある種の思想統制に近い。
バラエティー番組も然りだが、こんなドラマが続くと、かつてテレビ草創期に言われた「一億総白痴化」を危惧しない訳にはゆかない。

出演した俳優達が、脚本家大先生を気味が悪いくらい持ち上げていた。どこかの国の将軍様のようだ。撮影現場で脚本がおかしいと誰も指摘出来ない雰囲気が良く分かる。
俳優やNHKは気をつかう相手を間違えている。
脚本家ではなく視聴者に気をつかって質の高いドラマを作るべきだ。

おひさまの製作陣は汗の描写が嫌いらしい。
汗を流して必死にお金を稼ぐとか、
汗を流して必死に類焼を止めようとするとか、
汗を流して必死に子供を守ろうとするとか。
皆一切汗をかかずして涼しい顔の演技ばかりじゃないか。

ゲゲゲや仁を比較に出して申し訳ないが、
役者さんの必死な姿を参考にしてほしい。
みんな汗だくでやってるじゃないか。

役者さんも苦労しているな、
下手かもしれないけど一所懸命演じてるな、
っていう感じがないから全然訴求力がない。
胸に響かないのだ。
飯田小太郎とオクトパスなどとおちゃらけている場合じゃない。

結局は駄作でしたね。
期待を持たせられた分さらに腹立たしい。
原案あった前半は取り繕えたが、なくなった後半とたんに馬脚を現わし地金がでた。
書きやすい場面は長々だらだらと執念をもって引き延ばすが、構成推敲に少しでも面倒な場面は必要有無に関係なく極力飛ばしに飛ばす。
仕事への情熱はほんとうにあるの。
力量の全く感じられない、やっつけ仕事を見せられて非難ごうごうとなるのは当たり前です。

・この脚本家の得意なせりふ
 「怒るよ!…」
・この脚本家の得意な場面
  からかい、真似っこ、おふざけ、お芝居
・この脚本家の不得意な場面
  真摯な会話、丁寧な描写、ウィット、状況の整合性
・この脚本家の特技
  自己賞賛、独尊

やれやれ……
表面視聴率では品質が表されない典型例ですね。

江戸両国橋西詰の 芝居小屋では 春先から
半年の長興行の芝居が掛かっていた。 演目は「おてんとうさま」
 入り口での口上や派手な幟旗、瓦版のせいもあって、初めのうちは
江戸町民の評判は上々で、入り込みは良さそうだったよ。口コミで
新たに出かけた人もいたそうな。

 芝居の中身は続き物で、段々変ってゆくんだが、どういうわけか、
途中からおかしくなっちまった。筋書きがちっとも面白くねぇし、役者も
観客を無視して悪ふざけはするわ、特定の役者をいびるわで芝居がハチャ
メチャなのよ。

 木戸銭がたんまり入った(視聴率はとれた)興行主は芝居がウケてると
勘違いしているらしいが、現実の舞台に向かってまばらに拍手があるだけで、
殆どの客は、帰りゃしねぇが舞台を観るのを止めておしゃべりしてるみてぇ
だぜ。 客席のあちこちで居眠りが始まったり、不満の野次(Booing)
が盛んに飛んでたな。『木戸銭(受信料)を返せ!』ってね。

そういえば和成が出征するときに上等兵の軍服を来ていたので(襟に星が三つ付いていた)
母が「上等兵?」と驚いていました。
二回目の出征でも、普通は一等兵(星二つ)だそうです。
NHKに問い合わせたら、和成は優秀だからだそうです。
(そんな話聞いたことない。あの頃から、このドラマは結構いい加減だったのでしょう)


私のコメント

B層脱却テレビ洗脳を解く基本としてNHK連続テレビ小説朝ドラマおひさまを視ていた人の投稿をYahooの番組感想欄からすぐれた批判投稿を引用した。
2006年作品のNHK連続テレビ小説純情きらりをレンタルDVDでたまたま借りてみて多少の欠点はあるにせよ戦前、戦中、戦後と昭和激動期を忠実に
再現していたと思う、原案を参考にしてドラマ化していたのでより良かったのではと思う。おひさまが昭和初期の戦前、戦中、戦後の長野が舞台になるとの事で
純情きらりの再現、面白さを期待していたが脚本が岡田惠和ではどうかなといやな不安があった。10年前に放映されたちゅらさんでヒットしドラマ利権の象徴とも
いえる存在になった岡田だがちゃらさんの時から脚本の矛盾、これはありえないだろうというシーンはいくつかあった。
矛盾無茶苦茶の代表的な例が小浜島でヒロインの恵理(国仲涼子)がガジャマロの木の前で倒れ息子の和也が島民に助けを求めるが
いつのまにか舞台は東京の病院になっていて恵理(国仲涼子)はそこで気づく、いったいどうやって東京まで恵理を搬送したのか、その過程が
無視されてしまっているのである。離島で病人が出た場合は小浜島だと自衛隊、海上保安庁のレスキューヘリが設備が整っている石垣島の病院へ運ぶか
沖縄本島まで搬送するのが常識だと思うが、その過程を無視していきなり東京の病院からでは視聴者も?と思っただろう。
ちゅらさん4でも小浜島から何も準備なしに恵理(国仲涼子)がいきなり東京へ行きいつのまにかいきなり東京のシーンになっている。
航空券の手配はすぐできるものなのか?石垣島からも東京直行便は出ているがその過程は無視、視聴者も?になっただろう。
平気で一般常識過程を無視した脚本、演出をする岡田だから私のいやな予感は的中した。私もおひさまは終戦シーンまで見ていたが、
ヒロインの井上真央が国民学校の教師になったあたりから面白くなくなり視るのも苦痛になって視るのはやめた。
純情きらりの再現を期待していたがまったく裏切られた。
他人の作品を盗用、参考にして作ったのが今回のおひさま、当然原作から盗用できなくなると脚本、演出、時代考証の矛盾が出てくるのはは必然である。
NHKブランドと過剰な宣伝によってB層視聴者(主婦層)向けに制作しているから視聴率はそこそこいいだけである。
ドラマ利権にどっぷりと浸かっている岡田だから視聴者は何も分からないし視ればすぐ忘れるからだと見下し馬鹿にしているのだろう。
CIA支配下NHKも視聴者を馬鹿にしてきたがネットによって作品の矛盾、時代考証のいい加減さが暴かれてきた。
NHKにもおひそまの盗用問題苦情は来ているようである。
ヒロイン役の井上真央は在日朝鮮人のようだ。もっともNHK朝ドラマに出ている俳優には帰化者も含めて在日朝鮮人が多い。
B層脱却の基本としてドラマ脚本の矛盾、時代考証のいい加減さを指摘、ネットで調べる、
興味がもてば裏社会の一員であるマスゴミ報道情報の矛盾、在日朝鮮人が多い芸能界のタブー部分に興味が沸いて
そして世界の闇構造の真相までたどり着きリチャード・コシミズ氏の言説に触れ覚醒する私はそう期待したい。


ユダヤ国家アメリカはデフォルト寸前、3.11人工地震テロ、原発偽装事故テロ、インチキ放射能パニックで日本の評価を下げ何とか溺死寸前の
ユダヤ国家アメリカを延命させてきたが連中の思惑通りにならずリチャード・コシミズ氏を初めとするネット有志の情報拡散によって
何とか3.11人工地震テロの再発を阻止できたと思う。しかしまだ油断はできない悪魔以上の連中は何をするか分からない、
引き続き人工地震テロ、偽放射能パニック扇動等の警戒、監視は怠らない事である。

次回の更新には芸能界は裏社会シリーズをやります。松浦亜弥(李亜弥)つまり在日朝鮮人等お楽しみに!!






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