ハヤテの追求ブログ

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NHK連続小説朝ドラマ おひさまはB層女性(主婦層)の受け狙いを狙った駄作2 

2011-07-26 18:02:21 | Weblog
セットや大道具、小道具、服装などはハード面は昭和21年秋になってはいるものの、
脚本や演出、役者の演技などソフト面はまるで現代、せいぜい平成といった感じです。
陽子の「産んできます」のネタふりに、茂子と安子が気づかないボケは吉本新喜劇か?。

その前にハードも実はボロボロで、あるはずのないテーブルや椅子、食器などが使われていたり、
11月2日の丸庵も産院も安曇野も外は緑緑で、窓を閉めていたとはいえ服装はシャツ1枚とか、
とにかく何とか役者の演技に集中しようと思っても、アラだけが先先に見えてしまいます。

しかし、陣痛が始まってあっという間に生まれちゃったんですね。
初産の場合、普通は半日はかかると聞いていましたが、観光からのお帰りにも間に合った。
すべてにおいて合目的的脚本です。


うるさすぎやしませんか?子供産むのに「おかぁさん助けて」は無いでしょ…日向子って使うあたりも「ハルカ・エイティ」のパクリですね。
「ヒロインを意地悪という人が意地悪」って理論はもはや嫌味でしかありませんね。私は井上真央の演技も若尾文子の演技も意地悪そうだと思います。井上真央は最近の節々の表情が気になります。まぁ、ぶりっ子にだまされる人、気づく人実際もいろいろいるから気がつかない人もいるのかもしれませんね。
ちなみに、みんなから、妊娠して「おめでとう」と言われて、みんなの希望の子なんだワ~と思うのは少し傲慢ですよね。「おめでとう」と言うのは当たり前ですし、みんなに祝って~といわんばかりに手紙出したじゃないですか。
あらすじ見ましたが、和成との喧嘩ヒドイですね。学校まで乳飲み子連れて行くって…赤ちゃん弱りますよ。和成の仕事、そんなに甘い職場なんですかね。あの時代に。

初めの頃と比べると、雰囲気も映像も、同じ作品とは思えないほど違いがあります。
盗りたいトコだけ盗って好評得た後は、面倒なことにならないよう、つまらないオリジナル部分をくっつけたのですかね。

単なる推測に過ぎないが・・・・
本来の筋書きでは、春樹が無事に帰還し、茂樹は名誉の戦死
という事だったのではないのかな? 理由は、陽子の結婚の知らせを
茂樹が「受け取ったかどうか解らない」と言っていた。

真知子と結婚し「須藤医院」を開業して、丸山家と医院を描くはずが
何らかの理由で、茂樹君が帰還する事に「変更命令」が出て
脚本家は全く筋書きが混乱してしまった。

だから何だか皆へらへら笑って、どうでも良い話題に間延びした演技に
なってしまっている。タケオ君達が自作農になり豊かになって行く過程や
製糸業の過酷な背景など、須藤医院を訪れる患者達との話も
用意されていたとか?

そうでも思わないと、余りにも結婚までのどらまと、今のドラマが
違い過ぎて受け入れられない。

急に脚本がおかしくなった理由は、前半は姫野カオルコさんの小説のパクリで後半は策がないからですよね。前半、他にも色々と真似てできたた作品だったようですが、独自の勝負となったらこうなってしまったのですね。もう、おかしなことをして隠しておくことはできない時代ですね~。

虎の威を借る狐みたいなことを天の上から言うよりも、底辺で感想をぐだぐだと述べたほうが性に合っているので、ぐだぐだ書くだけですよ。

脚本家は朝ドラでは一度ちゅらさんで一山当てた人ですよね。そして続編も作って自分のラジオ番組も持っているらしいし。テーマ曲に歌詞もつけて、歌っている人も別の動物番組で歌い上げていますよね。そういう過去の実績があっても、これは変だと感じる人は明らかに多くなっているでしょ。権威主義とは関係ない素朴な疑問は大事にしたいですね。疑問を押さえてほめあげても何も見返り無いし。

いつの時代にも、大物女優の扱いには手を焼く。それなりの出番と存在感を演出するために、脚本家は、ストーリーの変更さえ余儀なくされことがある。さもなければ、大物女優はへそを曲げ、他者の演技者にもプレッシャーが及んでくる。舞台が丸庵に移った頃から、もっとも頻繁に顔をだし、多くのセリフを口走ったのは、他でもない樋口可南子だ。毎回、必ずといってよいほど、彼女の出番が創られている。彼女を際立たせるために、独特のセリフ回し(ザマアミロ、ババア等)が繰り込まれている。まるで、主人公が入れ替わったみたいだ。おひさまに影を落としているのは、この大物女優のような気がしてならない。

おひさまが始まる前に番組宣伝がありましたが、そこで使われた映像は茂樹の出征の時まででした。つまり、2ヶ月分は放映前の3月末までには収録を終えていたわけです。

視聴者の「房子うるさい」の苦情に応じて房子がおとなしくなったのは6月以降です。ロケがなくなってきたのもそんな頃です。今では収録が1ヶ月先までは進んでいる(通常クランクアップは終了の月はじめ)はずです。

そうなると、大震災でロケが少なくなった影響はあったとはいえ、大震災が原因で7月以降の脚本が変わってしまったというのはつじつまが合いません。脚本が別人のようになったのは、実際には5月以降です。

予定通り半分は書いていたものの、なんらかの事情で残りを書き換えた、にしてはあまりにも作風が違います。むしろ、今の方が従来の脚本家の作風です。それでは前半は何だったのか?前半がしっかりしていたのは原案みたいなものがあったのではないか。後半はその原案が使えないから脚本家自らが書いている。そういう考えもなくはないだろう。この謎はもっと注目されるべきであります。

何人かの方が書いておられる姫野カオルコ「ハルカ・エイティ」が原作である、ということで、現代の陽子の年齢にやっと納得できました。たしか、陽子は昭和7年の時に10歳のはずでした。私の母は昭和6年生まれで現在80歳です。母より11歳年上の陽子の現在が若尾文子であることに、???でした。現在ならば、陽子は91歳のはずです。若尾文子が登場する場面が、今より10年前のことなのかと思いきや、斉藤由貴が乗るマーチは現在のものです。「ハルカ・エイティ」は2005年のノベルで主人公の生年は1920年とあります。これで納得。そのままの年齢で展開しているので、若尾文子の年齢がおかしいわけです。どう見ても90歳には見えません。無理がある。原作とかけ離れていく後半の展開は、どうするのでしょう。

リアルタイムの電報。
あのころの電信、電報の状況をイメージするとありえない。
松本から安曇野のネットワーク、ホットラインなどなく
上位階層の逓信局からの伝達になるでしょう。
配達もリアルタイムではない。そんなことしていたら人間何人いても回せない。

学校は週6日制のはずなのに、陽子はいつも家にいる。
家で宿題添削や教材作成などをしている場面は皆無。

結婚したら仕事をやめるのが常識だった時代に、
わざわざ教師を続けさせる不自然な設定にした理由が、何も見えてこない・・・。

学校ほったらかして空襲直後の東京に行く時wですら、
放り出す職務責任のことを気にするそぶり一切なかった・・・
「週に一コマ国語を教えにいってる非常勤講師」くらいが妥当。

教師はもとより、嫁として家事はしてるのか?
洗濯機すらない時代のはずなのに、オール電化されてるような世界だよな・・・。
「仕事と家事を両立する嫁」の姿が、さーーーーーっぱりみえない。

戦中から戦後は、農家に着物もって頭さげて野菜もらたり、闇市行
かないとなかなか食糧手にはいらなかったと思うけど。
そういう食糧難も、食事シーンの台詞だけで説明してるから全く伝わらない。
タケオに対してもあんなに上から目線なんてできないよ。農家の知り合いなんて食糧貰う
有難い存在なはず

松本という土地でも、農家や農家に親戚にない家は
やはり竹の子生で家財を売り払ってでも食糧と交換していたり、
闇市に買い出しに行ったり・・・
その苦労して入手した食糧も移動の列車内で押収されたり
かなり苦しいはずだよね。
餓死者や栄養不良で病気になる人もいた時代。

ドラマ内では若尾・陽子の妄想ナレでその辺をもっともらしく
「ほんとうに大変な時代だったワ」って説明するけど、単にそれだけ。

子どもたちにはノミやシラミが湧いてDDTかけてたりもしたのに
まあみんな身綺麗にしていることだ。
「朝からそんな辛そうな場面は」・・・とか、
「朝ドラはそういうことを映像化しないよ」
って擁護派は居るのだろうけど、
やはり相変わらず超甘甘の世相設定だとしか言えない。

先週の回の野菜持ってくる回、大根の葉が綺麗にカットしてるの見て
うちのばーちゃん実家が農家だったから「大根の葉切るわけないだろ!」ってすげー文句言ってたw
つかそんな時代検証も小道具も用意できないほどレベルが落ちてんだな連ドラ


ゲゲゲは、あのオタクの中のオタクである漫画オタや比較的高齢の朝ドラスレ
の同時代住人達を一応満足させていたな。
戦前後みたいな古い時代をやってるのにこんな調子じゃなあ。
混乱期に子爵のばあさんが松本に居座るなんて検証的に言えばキチガイ沙汰だよw

昭和21年なら、多くの華族も生活に困ってた時期だよなぁ。
宮家の夫人たちでもお屋敷の庭でカボチャやサツマイモ育てたり、
旧徳川御三家の夫人がモンペ着て働きに出てたり。
子爵家のくせにいい御身分すぎるお祖母さま。

燃料不足の時代なのに松本までの車の燃料を調達できたのも超理解不能。
実はGHQとつながっているとしか思えん裕福さ

本当に時代が描けない脚本家だねえ。ため息が出る。

「コクリコ坂から」は,見事にオリンピック前年の横浜の雰囲気を醸し出していたぞ。

脚本家さん、参考になさったら。

あの桐野夫人は最初の時も車で登場したし(あの時代に車で東京から
松本まで来るというのはおかしい、せいぜい都内か近郊まで)この度
の登場もとても戦後混乱期に長距離移動をして来たようには見えない
当時の中央東線は甲府まで電化されていたとはいえ山岳区間が多くて
甲府以遠はSLで煤煙も厳しかったろうし、普通しかないので時間も
掛かる、当時は二等車といっても戦中の酷使で荒れ果てていた。陽
子が育子を救いに東京行った時みたいな感じになっても良いのになん
であんなにパリッとした服着てるのか。

ドラマだから、で許される部分とそれではいけない部分があると思う
戦後の苦しさを表現できないようでは敢えてこの時代を描く意味がない
苦しい時代をできるだけ明るく乗り切ろうって、
台詞で説明してるだけで役者の演技や小道具に説得力が全く無い
あの時代に生き本当に苦労した人たちを冒涜するようなもの

出席簿以前に、戦前の尋常小学校や国民学校では
小3になると男子組と女子組に分かれていた。ソースは79歳の母。
大人の事情で男女混合クラスにしたんだろう。

岡田と同年代だけど、昭和ひとケタ生まれより年齢が上の女性の先生は
男子生徒のことも「○○さん」とサンを付けて呼んでいた。
戦前に教育を受けた女性の先生はそうだった。

嫁のお祖母さんなんだよな。陽子を娘として扱うというなら、
ばあさんは徳子の義理の母。
このドラマの一番問題なのは、そういう基本的な部分が抜けてるところ。
だから、戦前から戦後初期の雰囲気を全く感じさせないんだよ。

終戦から1年ちょっとの東京に若い娘が行くのは無謀なのに、社会状況が頭に無いね。
進駐軍がいるし、戦勝国側のアジア人が跋扈するし、混沌としていたと思う。
普通の家庭の娘が娼婦に身を落とす事もあるのに
(歌謡曲「星の流れに」や清張の「ゼロの焦点」にもある)
当てもなく東京へ行って何するんだ?

自分も「東京にきたら吃驚するわよ」には吃驚した。
Pや岡田、どこまで馬鹿なんだろうか。

防空壕の穴で暮らしてた『君の名は」の真知子さんや、
都心の駅には空襲で家や親を亡くした子どもがさまよい
生きるために「夜の女」に泣く泣く身を落とした女性たちが
必死で生きてた時代なんだけど
「なんちゃって華族」の目には復興した東京に見えたのだろうか。

華族の家屋敷で空襲の焼亡から逃れた家の多くは
米軍に接収されてた頃だよね。
「加賀百万石のお姫様」の酒井ミーコ様みたいに、
屋敷を米軍向けの倶楽部にして稼いでしまいました・・・
みたいな強者は少ないはず

育子はどこで赤い服に着替えたのか。
東京からあの格好で来たのか。

陽子の結婚が即村中に広がるほどなのに、
丸山母がもんぺではない着物のまま須藤家に来たことを
あげつらううわさがおこらなかったもんだ。

私服に戻った後に床屋のおばちゃんとはじめましてと挨拶してたけど、
一体誰が婚礼時の陽子の髪のセットをしたのか。

結婚式で陽子の旦那が国民服で真知子はもんぺなのに、
他の人たちの衣装は一体・・・

本当に不思議な物語だ。

憲兵にしょっぴかれないんだろうか?
「この御時世に花嫁は贅沢な白無垢を着ているしお友達は敵性品を着ているし
丸山さんのとこの嫁は非国民でないかね?」
と松本じゅうの噂になっていることだろう。

去年のゲゲゲでは姉ユキエの結婚式のとき
源兵衛「娘の祝言に紋付きも着れんとはな」
ミヤコ「派手な事はいけんて町会からのお達しですけん」
という会話があった(源兵衛は国民服)
実話が元になってるのだから本当だったのだろう
島根の安来でそうなのに安曇野ときたら・・

自分も含めてだけど、今までの不満が噴出してきたって感じだねw
おひさまはいいところもあるから多少のことは脳内変換したりして正当化してきたけど
最近はそれもね。
例えば、一人で家事は大変だ。お手伝いがいないのはおかしいっていうレスがたくさんあったけど、
自分の場合、近所の人などをやとって洗濯や掃除の手伝いをしてもらってたことにしていた。
でも、最近の見合いの話みたいにありえないエピソードばかりで擁護のしようがなくなると
脚本家や制作陣は実は何も考えてなかったんだろうなって思うようになった。
時代などを無視した見合いなのか恋愛なのかわからない感じは、某○河ドラマを彷彿とさせるよ

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