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伊藤桂一 氏追悼 (師走の晦日:後れ馳せながら)

2016-12-30 10:00:50 | 文学・芸術

「悼 天に星 地に草の露 はるかに故国を恋いつつ ここに兵士らの御魂眠る ただ虫の声のみ その勇武のあわれを悼むなり 
*伊藤桂一」

*伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 2016年10月29日)は、日本の小説家、詩人。
享年九十九歳であり、2017年で生誕100年になる。
機会をみて、是非とも著作を読み返したいものだ。

師走の晦日(30日)の読売新聞の朝刊の一面の編集手帳に、伊藤桂一さんのこと(『微風』という詩について)も触れられていた。

伊藤桂一『微風』

掌(て)に受ける 
早春の
陽ざしほどの生きがいでも
ひとは生きられる

素朴な
微風のように
私は生きたいと願う
あなたを失う日がきたとしても
誰をうらみもすまい

微風となって渡ってゆける樹木の岸を
さよなら
さよなら
と こっそり泣いて行くだけだ

伊藤桂一さんには、1996年の群馬県前橋市での世界詩人会議でお会いしたことがある。伊藤氏の戦記である『*静かなノモンハン』なども読んで、1999年のアジア詩人会議(ウランバートル・モンゴル)にも参加した。

『*静かなノモンハン』
昭和十四年五月、満蒙国境で始まった小競り合いは、関東軍、ソ蒙軍間の四ヵ月に亘る凄絶な戦闘に発展した。襲いかかる大戦車群に、徒手空拳の軽装備で対し、水さえない砂また砂の戦場に斃れた死者八千余。生還した三人の体験談(鈴木上等兵、小野寺伍長、鳥居少尉)をもとに戦場の実状と兵士たちの生理と心理を克明に記録

子供の頃から『スーホーの白い馬』を愛読していて、以前からモンゴル人の友人もいた。また、現地(モンゴル)で複数の新たな知人もでき、確か新潟の僧侶の紹介のもとにして、念願のノモンハンへの慰霊の旅もできた。ウランバートルから通訳とドライバーを雇い、ノモンハンまで慰霊の旅をした。

旧ソ連がひいたという電線の残骸の一部目安に、見渡す限り360度のパノラマ大草原を走り続けた。『いったい全体何のために、兵士たちは戦ったのかのだろうか』なとど思いつつ、その当時1999年はノモンハン事件(戦争1939年)終結のちょうど60年の節目であった、モンゴルの東端にあるスンベル村では祭り、祭りにいた日本人は私1人だけであった。

事前に、伊藤桂一氏をはじめ、ノモンハン関連の書籍をそれなりに読んだ。幕末の攘夷の時代ならまだしも、戦時下では日本人は外国人には苛烈な対応をした。また、戦中は、日本人は日本人に対しても苛烈な対応(命令など)もあった。

話が変わる(内容は関連している)が、タイ国の「クンユアム星露院」という建物があり、そこには仏像も設置されている。
その入り口に「タイ・ビルマに眠る日本兵士に捧ぐ」という日本語の看板があり「建立者 倉敷、陸軍通訳・*長瀬隆、妻・藤原佳子」と書かれてある。

詳しくは、満田康弘(著/文 他)
発行:梨の木舎『クワイ河に虹をかけた男 元陸軍通訳 永瀬隆の戦後』がとても参考になります。

●紹介
たった一人の戦後処理
枕木1本、人1人といわれた「死の鉄道」(タイメン鉄道)の贖罪に人生を捧げた男の物語。いつも傍らに妻佳子さんがいた。

*永瀬隆
1918年生まれ。陸軍憲兵隊の通訳としてタイ―ビルマ間を結ぶ泰緬鉄道に関わる。復員後、倉敷市で英語塾経営の傍ら、連合国捕虜1万3千人、アジア人労務者推定数万人の犠牲を出した「死の鉄道」の贖罪に人生を捧げる。タイ訪問は135回に及ぶ。本書はその長い道のりを20年にわたって取材してきた地元放送局記者の記録である。

私自身、長瀬夫妻とも、エリザベス女王やウィリアム王子も訪れた横浜市保土ヶ谷にある「英連邦戦死者墓地」で何度かお会いしたことがある。

タイ国のクンユアム星露院には、伊藤桂一氏(元陸軍通訳の長瀬隆氏から直接親しい友人だと聞いていた)が書いた『悼』の石碑がある。

「悼 天に星 地に草の露 はるかに故国を恋いつつ ここに兵士らの御魂眠る ただ虫の声のみ その勇武のあわれを悼むなり 伊藤桂一」


土曜美術社の『新編・伊藤桂一詩集』の伊藤桂一さんの紹介は、以下のようなものである。

1917年生まれ東京在住

主要詩集
『定本竹の思想』『伊藤桂一詩集(五月書房)』『黄砂の刻』『伊藤桂一詩集(土曜美術社)』『連翹の帯』『
創作集『蛍の河』『溯り鮒』『源流へ』『雨の中の犬』『犬と戦友』

戦記
『水と微風の世界』『悲しき戦記・正・続』『かかる軍人ありき』『静かなノモンハン』『遥かなインパール』他多数

時代小説
『淵の底』『椿の散るとき』『藤の咲く頃』『あの橋を渡るとき』『桃花洞葛飾ごよみ』『秘剣・飛蝶斬り』『月下の剣法者』『伊藤桂一時代小説自選集』他多数
紀行・エッセイ集『峠を歩く』『草の海』『戦旗の手帳』『私の戦旅歌とその周辺』

悼 天に星 地に草の露 はるかに故国を恋いつつ ここに兵士らの御魂眠る ただ虫の声のみ その勇武のあわれを悼むなり 伊藤桂一

追伸

慌ただしく大晦日に向かう中、『文藝の大先輩を思い出し、また偲ぶ』ことができることを、『読売新聞の編集手帳の編集者』に、ここに感謝したい。

『微風』伊藤桂一

掌(て)に受ける 
早春の
陽ざしほどの生きがいでも
ひとは生きられる

素朴な
微風のように
私は生きたいと願う
あなたを失う日がきたとしても
誰をうらみもすまい

微風となって渡ってゆける樹木の岸を
さよなら
さよなら
と こっそり泣いて行くだけだ

『陽ざしの絶えぬ世に。戦火のない世に。』

『戦果』を求むるのではなく、
『戦火のない』日本や世界を求めて‼

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