久喜市長 田中 暄二(たなか けんじ) ~久喜市の発展のために~

職員一丸となって日々公務に励んでいます。

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一枚の写真から

2015年07月16日 | 日記
倉庫を整理していましたら、古びた額縁に納まったセピア色の写真が一枚、出てきました。

写真には、「久喜町議会議員 昭和29年1月1日記念撮影」と記されています。

前列中央には、当時の橋本 亮 町長。また、その後、県議会議員となった方や県の薬剤師会で活躍された方がいます。

そして、後列ほぼ中央に、私の父親がいます。当時40歳で、町議会議員の一期目です。

現在、この写真の方は、全員が既に故人です。約60年前の写真ですから、仕方ありませんね。

さて、この写真の撮影後の昭和29年7月1日に、久喜町、太田村、江面村、清久村の1町3村が合併して、久喜町が誕生します。

この写真を撮った頃は、合併について議会で盛んに議論していた時期であったことでしょう。また、お正月、元旦に記念撮影をしている事にも、驚かされます。当時は、正月の恒例行事で、新年初顔合せの行事があったのでしょうか?
あるいは、合併が7月1日に実施されることがわかっていて、最後の議会議員の集合写真を撮ったのでしょうか?

また、この3年後、栗橋町が、栗橋町、静村、豊田村の1町2村で合併して、誕生します。昭和の大合併の時代です。

私の祖母の実家は、現在の久喜市島川(栗橋地区)でありまして、祖母の弟の松永東禹が、合併後の初代栗橋町長を務めています。

平成22年3月に、新しい久喜市が誕生し、私が久喜市の初代市長に就任させていただきましたが、まさか、子どもの頃、夏休み等にカバンに下着や勉強道具を詰め込んで遊びに行ったあの島川のおじさんが務めた栗橋町(久喜市)の市長に、私がなるとは、夢のまた夢のことでありました。時の流れの速さと、不思議さに驚くばかりです。

一枚のセピア色の写真が、様々なことを、思い起こさせてくれます。








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