久喜市長 田中 暄二(たなか けんじ) ~久喜市の発展のために~

職員一丸となって日々公務に励んでいます。

日々の公務や生活を通じ、感じたり考えたりしたことを発信していきます。

鬼瓦

2017年01月31日 | 日記
 一昨年、新潟県を小旅行する機会があり、阿賀野市を訪ねました。

 阿賀野川沿いの安田瓦が面白いと聞き、村秀鬼瓦工房を予約無しで訪問いたしました。

 10月末にしては肌寒い日でしたが、幸いにも工房の方が親切に工房内を案内して下さいました。

 今の社長で4代目とのこと。

 安田瓦は、江戸時代天保年間(1830~1844)頃から土質のよさ、快適性、経済性から生産されたと伝えられ、一般商品として生産されたのは、弘化4年(1847年)頃からとのこと。

 明治時代になり、各地師団の増設に伴う兵舎の増改築が活発となり、弘前・旭川師団、新発田兵営の屋根工事に用いられるなど、安田瓦の真価が各地で認められるようになり、官庁、学校等の公共物の需要もあり、広く普及してきたとのことです。

 大正時代には、北蒲原郡役所が発行した「新潟県北蒲原郡是」には、安田村の瓦製造戸数22、産出数量13,000坪、23,400円と見える、との記録があるとのこと。

 昭和初期には、安田地区に30件ほどの瓦工場がありました。

 平成の時代となり、合併・協業化により、瓦窯元は3社となっています。

 私は、安田瓦の美しさについ見とれ、その場で注文しました。

 何と「出来上がりは1年後」とのお話でした。

 そして待つこと1年。

 昨年12月上旬に、ついに村秀鬼瓦工房より見事な置物としての鬼瓦が、自宅に送られて来ました。

 鬼瓦は、もともと厄や魔を払い、家代々の繫栄を願うものであり、その威風堂々たる姿とともに人々の願いや想いが込められ、主に家(家族)を守る役瓦として用いられているとの説明です。

 現在では、あの弥彦神社の瓦をも請負っているとのことでした。

 鬼瓦は、もともと様々な表情があり、喜怒哀楽はその代表的な表情ですが、我が家は写真のとおり、ちょっとおどけた、明るい鬼瓦です。





 きっと我が家の平穏を守ってくれるでしょう。

 以来私は、毎日、手を合わせています。


背中側には、作者の記名があります



村秀鬼瓦工房より制作中の写真を頂きました











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