私は昭和40年に早稲田大学に入学しました。
元来、歌うことやコーラスが好きでしたから、すぐにグリークラブ(男声合唱団)に入部しました。
浦和高校時代には学校祭でたまに助っ人で歌うことはあっても、本格的に発声練習や譜読みなどをするのは初めてのことであり、グリークラブでの活動がとても新鮮に感じられ、すぐに地を這うような男声合唱のとりこになりました。
春と夏には合宿があり、そこは男同士、今では赤面するようなこともありましたが、すべて楽しくも懐かしい思い出です。
また、春夏には演奏旅行もあり、北海道から九州まで主として地方の稲門会組織を頼りに全国各地で演奏会を開催し、万雷の拍手を受けました。
当時は、『地方へも音楽文化を伝えてゆこう』といきがっていましたが、果たして実態はいかがだったでしょうか?
私の4年間の学生生活は、まさにグリークラブ一筋で、大学卒業後ずいぶんと時の経過はありますが、現在でも付き合いを続けている友人は当時の仲間達であり、今では多少怪しくなった発声や音程ながら、時折会っては楽しく飲み、にぎやかに歌っています。
元来、歌うことやコーラスが好きでしたから、すぐにグリークラブ(男声合唱団)に入部しました。
浦和高校時代には学校祭でたまに助っ人で歌うことはあっても、本格的に発声練習や譜読みなどをするのは初めてのことであり、グリークラブでの活動がとても新鮮に感じられ、すぐに地を這うような男声合唱のとりこになりました。
春と夏には合宿があり、そこは男同士、今では赤面するようなこともありましたが、すべて楽しくも懐かしい思い出です。
また、春夏には演奏旅行もあり、北海道から九州まで主として地方の稲門会組織を頼りに全国各地で演奏会を開催し、万雷の拍手を受けました。
当時は、『地方へも音楽文化を伝えてゆこう』といきがっていましたが、果たして実態はいかがだったでしょうか?
私の4年間の学生生活は、まさにグリークラブ一筋で、大学卒業後ずいぶんと時の経過はありますが、現在でも付き合いを続けている友人は当時の仲間達であり、今では多少怪しくなった発声や音程ながら、時折会っては楽しく飲み、にぎやかに歌っています。