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関東甲信越居合道大会で上京した機会に今回も靖国神社を参拝し、遊就館を見学してまいりました。
折しもこの日はバシー海峡戦没者追悼慰霊祭があり、制服姿の防衛大学校の学生さんがたくさん参列されていました。
遊就館は以前も訪れたことがありますがそのときは1階の特別展だけでしたので、今回初めて2階の展示室を約6時間に渡って拝見いたしました。
サイパンで米軍にめった撃ちにされ玉砕した九七式中戦車(チハ車)が大展示室に展示してあり、その側面を貫いた大きな砲弾の穴を何気なく見てその穴に目の焦点が合ったときに、中を見てはいけないと弾かれるように直感する強烈な気配を感じて激しい動悸を覚え、すぐその場を離れました。
よくよく考えれば、多くの兵士が戦死した地は遥か遠くで、ここ(遊就館)ではありません。しかしこの戦車の搭乗員4名に限っては、無数の弾痕と砲弾による大きな穴の開いたその装甲板を隔てた向こう側、まさにこの戦車の中で実際に亡くなっているのだと思えば、おかしくないと思える出来事です。
散華された多くの方が出撃に際し書き遺した、国の繁栄と家族の無事や幸せを願った遺書や絶筆は胸に迫るものでした。
故郷に残してきた幼い我が子の幸せを祈りつつ別れを告げる遺書、結婚したばかりの妻に宛てた遺書、落ちた涙なのか筆跡が滲んだ遺書もあり、遺影の方々は一兵士である前に誰かの大事な息子であって、誰かの夫だったり、父だったり、兄だったのだと痛感するものでもありました。そしてこれらの遺書を残したのち予定通りに出撃して散ってしまったのだと思うと何とも言えない気持ちになりました。
靖国神社についてはいろいろ意見があるところでしょうが、国に殉じた方々を祀る場所に参拝することについて「他国に配慮が」と言い出す政治家、至近距離にお住まいでありながらも諸々の事情で靖国神社には長らくご親拝なさらなくなった天皇陛下。
展示されているこの九七式中戦車は陸軍戦車第9連隊第5中隊所属の「みたて(御楯)号」だと判明しています。玉砕後にサイパンの海岸に埋められていたのを掘り出され靖国神社に還ってきたのが、よりにもよって楯となり天皇陛下をお守りするという意味の 「御楯」という名をつけられた車両であるとは皮肉な話です。
今上陛下がお出ましになったら、当時の皇太子殿下が今は天皇陛下になられている=日本は守れたのだと、名前のとおり御楯になったのだとあの戦車も搭乗員も浮かばれるだろうにと残念に思うところです。
遊就館の展示物を「戦争美化」「軍国主義礼賛」と批判する方もおられますが……生きて戻ることはないと覚悟して出撃前に書いたたくさんの遺書や遺品、壁いっぱいのご遺影、撃ち抜かれた弾痕が生々しい錆びた鉄兜を見て「戦争っていいなぁ」「自分もやりたい!」と思う人っているのだろうか。人間魚雷「回天」を見て「自分も乗りたい!」と思う人っているのだろうか。成功ならもちろん、失敗でも自爆、乗った以上は戦死しかない狭く閉ざされた空間で、たった独りで最期を迎える恐怖は察するに余りあります。搭乗員もろとも木っ端微塵になるこんなものに乗れと今は命じられない世の中で良かったとしみじみ感じる方が大半ではないでしょうか。
故郷に残してきた家族やこの国を守ろうと戦った人々の死を悼み、改めて感謝し冥福を祈ることは戦争賛美とは違います。
もう二度と特攻なんてさせないでほしいと散華した特攻隊員は靖国神社で思っているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
パール判事顕彰碑
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人間魚雷 回天1型改1
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艦上爆撃機「彗星一一型」
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上から吊られているのはロケット式推進機「桜花」模型
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三菱零式艦上戦闘機五二型
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海軍の徴用船金剛山丸乗組員として勤務している最中、アメリカの潜水艦による雷撃で撃沈され戦死し、今は靖国神社の英霊として祀られております。
まだ三十一~二歳で戦死してしまったため、曾祖母は祖父と祖父の弟を女手一つで育てる事になり、大変な苦労をしたということは、想像に難く無いです。
ましてや職業軍人ではなく、紺屋を営む民間人だったため、二度の上海事変でも生還した曾祖父がまさか戦死してしまうとは、曾祖母も覚悟はしていても、さほど思っていなかったでしょう。
靖国神社にお祀りされている英霊も、こうした大切な家庭、家族がいながらにしての死であったことが殆どで、こうした大切なものがありながらも国の為に戦の庭へ征き、散華された勇ましさ、無念さには感謝と哀悼の意を感じざるを得ないものです。
今上陛下がかつての戦地へ赴くに留まり、宮城のすぐ近くに鎮座する靖国神社へ御親拝なさらないのは非常に残念ですし、参詣しない政治家は政治家失格です。
若くして徴兵され、家族もこの先の人生も置いてきてしまった人たちの心境は察するに余りあるところですが、遺書によって思いを託された家族もその後を生き抜くためにどれだけ大変だったのだろうとそちらも考えさせられるものでした。
残してきた家族への言葉の他に、多くの遺書には「大日本帝国万歳」「天皇陛下万歳」の言葉があふれていましたが…若き兵士たちの死に際し万歳の言葉を向けられた天皇陛下、彼らが英霊として祀られている靖国神社に足を向けないのは残念なことですね。
天皇陛下万歳と遺して命を捧げた対象は先代の昭和天皇であって自分ではないと今上陛下は思し召しなのかもしれません。過去にはサイパンやパラオ、今後は沖縄にも慰霊に出向かれるということで、そうなれば至近距離の靖国神社はということもクローズアップされてしまいます。
そこにはいろいろ事情があるのでしょうけど…過去の激戦地に積極的に慰霊に行くほど、靖国神社は完全スルーであることに違和感が出てきてしまうのはいかがなものでしょうね。
あの時代があって、今がある。その礎になった人たちを悼むことについて外国がとやかく口を出すもおかしいし、その「外国」とやらに「忖度」する政治家もおかしい。
遊就館には機会があればまた時間をかけてじっくり拝見したいところです。
最後に、曾祖父さまのご冥福を改めてお祈り申し上げます。