Truth Diary

津波で唯一残ったモノ

  Kさんとしておこう、会社員時代の先輩格同僚は、無類の魚釣り好きで、凝りにこって釣竿を自作するようになったのは25年ぐらい前だった。
  度々釣に同行したが自作の釣竿を大事そうに握って、まさに恵比須顔で楽しんでいた。その後、彼にとっては痛いあるエピソードがある。仙台湾沖の大型漁礁にカレイ釣りに出かけ、帰りに海が荒れて船が大波に海面持ち上げられ、急にストーンと落下した時、甲板で波を被りながら腰を下ろしていた彼は、もんどりうって転がってしまった。
  その時右足首を骨折し、すぐ病院に運ばれ患部にギブスを施され、松葉杖が手ばなせなくたった。当然会社の方もしばらく休んだ。その釣に同行した上司2人が心配して自宅に見舞いに行った時、間の悪いもので、釣り好きの彼は、暇をもてあまし、釣竿作りに余念がなかった。口の悪い上司は「Kさんは会社を休んで家で釣竿作りをしていた」と戻って報告したものだから皆は安心すると共に、いかにもKさんらしいと顔を見合わせて笑ったものだ。釣キチに一層箔をつけた彼は2ヶ月ほど休んで、頭を掻き々照れ笑いで「イヤー失敗した」と出社した。
  釣りがいつでもすぐに出来ると、若林区の荒浜に家を建てたと聴き、さすがと羨ましく思ったものだ。ご自宅を拝見に行ってみると、生垣の代わりに布袋竹を植え、「釣竿の材料さ」と自慢げであった。釣りと同様に腕を上げた彼は、漆塗りの見事な和竿(わざお)を展示会などで披露するようになった。
  魚釣りに凝りに凝った人間が作るだけにそれは見事な芸術品と言えるまでに完成度を高めていた。
  住んでいた処が被害の大きかった荒浜だけに、震災後、Kさんは津波で亡くなったろうと皆で話していた。
  風の便りに、偶然に入院した奥さんを見舞いに宮城野区の病院に行っていて無事だったとのうわさを聞いて、住所を確認しようとしたが、個人情報云々で避難先を確認することが出来なかった。生きていたとの情報でホットさせられ、頭のスミに常につきまとったがそれきりになっていた。
  先月「 T市にひっこした、大丈夫なのでご安心を」と挨拶状が届き、早速行ってみた、手入の行き届いた綺麗な中古住宅に奥さんと二人ひっそり暮らしていた。津波に全部持っていかれ残ったのはこれだけと、竿袋に入った見事な和竿を見せてくれた。
  竿に銘(めい)を入れていたので、近所の人が「これは貴方のものでしょう」とガレキの中から見つけて届けてくれたとのこと。竿袋は奥さんのお手製だとか微笑ましい夫婦仲である。海水にしばらく浸かった竹材を根気よく手入れして、剥げた漆も塗りなおし復元させた「釣りキチ」の執念の品は復興のシンボルか、いかにも彼らしい。
 二度と海釣りには行かないと(奥さんの前では)言っていたが、その竿は、古希を目前の彼の心の支えになるだろう。

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