今週は終戦記念日に関連した新聞記事を多く眼にしたが図書館で先週は大岡昌平の捕虜記を読み感慨深いものが有った。今度は以前ベストセラーになった話題作、百田尚樹の永遠のOを読んでみたいと思った。これも先祖の何らかの導きかと考えた。
永遠の0の執筆者百田は別の週刊誌HNADAに載せた記事などから少し右かかった人かと思い込んでいたが、そうとばかり言えないもっと深いものがあることが作品から読み取れた。
作者によれば、国の戦時体制は一握りの海軍の超エリート軍人、海軍大学出の成績優秀な者の卒業席次によってその人事が決まるそうで。それらエリートと言われる元帥級幹部等の誤った判断で戦局を悪化させたにも関わらずその責任は部下に押し付け取らず自らは取らず知らぬふり。エリートに良くある事で現在の官僚体制にも引き継がれているという。
ますます悪化する戦局にそれまで失敗した経験のないエリート幹部たちは重大な戦局の判断ミスを繰り返し、取り返しのつかない泥沼へと追いやり、前途有望な学生らを予備学生(士官)として、にわか戦闘機乗りに促成した、”十死ゼロ生”の死ぬことだけしかない無駄な特攻を敢行させたのみでなく、全国民を戦禍に陥れ未曾有の戦死者並びに民間人の死者を出した。
このことは失敗を知らずに優秀だと育った環境も影響しておりマニュアルにはめっぽう強いがアクシデントには対処できないエリートの脆弱だを露呈したもの。だがその代償はあまりにも莫大だ。
戦死にも特攻のように華々しく散華する死に方と、かたや敗戦色濃くなって母国からの輸送船が撃沈され弾薬食料が戦地に届かなくなって食料が無く飢餓状態になり栄養失調から戦病死する兵も多かったと聞く。
全戦死者の6割以上はそうした方々で占められ、弾に当たって亡くなった兵士を多く上回るようだ。そうした飢餓の状態にあり生きながらえるには要領の良さや上役への阿諛の上手さなど狡猾さも必要だったのだろう、そうしたしたたかさを併せ持たない純朴な人は食料にありつけずに衰弱したのかもしれない。
私の父と叔父は中国大陸でそうしたあげくに野戦病院で戦病死した。いずれも田舎育ちの実直な人間だったからさもありなんと思う。極限の醜い生存競争で人としての良心を貫きとおした無念の死だったのではないかと考える。
死と隣り合わせにありながら故郷に残した親兄弟、妻や子等の将来を案じ何を思ったのか知る術を持たないが、ただ運命に流されてゆく己自身の不運を嘆き、自分が居なくなった後の家族の事を考えどうすることも出来ない我が身にジレンマを感じたであろう。
唯一神仏にすがるしか術ない無力感に煩悶したであろうことは想像に難くない。昨年暮れ故郷の墓地に父と叔父の兄弟慰霊像を建立したいくばくかの慰霊になってくれればと願い。
墓地に建つ慰霊像碑には平和の象徴白鳩と亡き父の辞世 人生三十有余年春宵の盃で見る夢のごとし
これに私が 跡に残さん戦禍無き世を と結んだ。