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匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

ざるそば返し返し

2007年05月10日 | お引っ越し
大須の街の味噌煮込みうどん屋では、僕はまだざるそばを待っていた。僕よりアトに入ってきた客が味噌煮込みうどん定食(味噌煮込みに更にご飯と漬け物が付いてる。炭水化物炭水化物…)を頼んでから約5分、その客の味噌煮込みうどん定食の方が先に出てきたときは正直、軽い嫌がらせか?嫌がらせなのか?と思って少々鬱になった(笑)。なんだ?ウチの名物はあくまで味噌煮込みっっていうアピールかい?おばちゃんよ?

後ろの二人組の会話はテンポよく、次々と話題を変えながら進んでいく。内容よりノリを重視。リズムが心地よい。

「スガキヤ食ったことないんですよね~」
そんな言葉が耳に入る。
「あの~全国のラーメン集めたラーメンフェスタみたいなやつ?のちっこいやつ?がやってたことがあって。そこで食べたことはるんですけどね」
相方の突っ込みが入った。
「じゃあ、食ったことあるんじゃん」
「ですから、ちゃんとしたお店で食ったことないってことですよ」
「変わるもんか?味?」
「変わるんじゃないすか?やっぱり」

ラーメンといえば、あのハート◯ンい◯なかの1階は、二度、ラーメン屋になったことがあった。
『一度目』のラーメン屋は何回かお世話になったことはあったが、『二度目』のラーメン屋にはついに足を運ぶことがなかった。同じところに長年住んでいると、いろんなことがある。


1999年・春、の「ハート◯ンい◯なか」といえば、夜中の1時の非常ベル。
火災報知器が決まった時間に鳴るビルで、その報知器の音を止める大役を仰せつかっていたのは僕だった。誰に頼まれたわけでもないが。でも、誰も止めないのなら誰かが止めなきゃ鳴らないだろう?その誰かになれることを喜ぶ人種が多くの人の中にいて、そういうことはそういう奴が喜んでやってるわけなんだから、そういう奴に任せておけばいい、むしろそういう奴に「やらせてあげなよ」なんて考える奴が僕は大嫌いで、また、そう思っている以上、気付いてしまったんなら、行動しなきゃ仕方がない。何が厄介かって、実際僕の心の中にも「日常の中の非日常」に、「台風が近づくとワクワクするよね」のような感情に憧れ、かつ、「平穏な日常に突如襲い来るクライシス」に抵抗できないか弱き一般市民の前に、突如颯爽と現れて困難を解決し、風のように去っていく、(←もっと簡単に言えよバカ→)ヒーロー願望みたいなものが少なからずあることを否定できないのが厄介なんだ。だからって、火災報知器の音を止めたことでスパイダーマンとかスーパーマンとかバットマンとかナントカレンジャー一連とか仮面ライダーとかウルトラマンコスモスになれるわけでも、辻ちゃんと結婚できるわけでもないので、自分にとってプラスになることなど何もないのだ(辻ちゃんと結婚できることが果たしてプラスなのかはおいといて)。また、だからといって、自分にプラスになることが何もないからといって、それが火災報知器を止めない理由にはならないと思ってしまうし、ほら、そんな無私の奉公みたいな精神なんて今の個人主義万歳の世の中、無視の方向で進んでいるのですよ、なんて言ってる暇があったら、ガタガタ言わずにとっととベルを止めてこいやって話で。要するにそういうわけで、火災報知器のベルを止めるのは僕の役目だ。ああ、ありがたやありがたや。ナミダが止まらない。

なに、簡単な仕事だ。1階の、エレベーターの隣に、火災報知器のシステム回路があるから、そこに三つ並んだはね上げ式のスイッチの、一番右端をまずは上にはね上げて報知器の音を止める。次に、offになった感知器のレバーをもう一度持ち上げてonにしておく。以上。原理は電気のブレーカーと同じやね。なにしろ操作の仕方が回路の左端にシールで貼ってある。簡単で、誰にでも出来る仕事です。未経験者歓迎。不要普免。ただし昇給なし。

それでもこのイベントに最初に出くわしたときはびっくりした。「おお、とうとう火災を経験するのか!」なんて思ったり。でも、火災報知器の(結果的な)誤作動なんてしょっちゅう出くわしているし、でも本当だったら怖いし、で、鳴った原因を追いかけるのにいくらか骨を折った。その結果解ったのは、1階のテナントに設置してある煙の感知器が、そのテナント内のガスコンロのすぐ上にあるらしく、そこで料理などをするとすぐさま感知してしまう、ということだった。つまり、そのテナントに入っていた(1度目の)ラーメン屋が翌日のスープの仕込みのために寸胴鍋をグツグツやっていると、その「湯気」に反応してしまう、ということだったのだよ、ワトソンくん。この結末を引き出す過程で僕は、お隣の40過ぎの女性と、「1度目のラーメン屋」のご主人と、地下一階のbar「key◯ック」のママとお知り合いになることが出来た。なんだ。プラスがあるじゃないか。

その後僕は、お隣の40過ぎの女性に電話番号を教えてくれ、と頼まれたが「いやもうすぐケータイ替えるんで」と、断った。何で教えなかったかって(イヤホントに替えるつもりだったけど。結局キャリアは替えずに機種だけ替えたけど)、そのお隣さんのウチからは、始終
「何であqwsでfrgtひゅじこlp;@なのよ!」
とか
「だからq2w3え4rt56y7う8い9お0p-@^じゃない!」

とかいった声が響いていたからで、それは確実に独りで発している声とも、だからといって仲むつまじい二人が和やかに会話している様子とも思えず、また、その女性が番号を聞いてくる際、
「女の一人暮らしっていろいろ不安なのよ。今回みたいに力貸してくれると嬉しいンだけど」
なんて台詞がついてきたことも相まって、何だか躊躇してしまったからだった。どんなことに力を貸せっていうんだ?

『ベル事件』の後、さらに『パンク少年床踏みならし事件』を経て数ヶ月後。
午後に会社に行くことになっていたある日、玄関を出ると隣の部屋の前に、男性が二人、何度も隣家の呼び鈴を鳴らして、ため息をついていた。僕と目が合うと、

「お隣の方、どうされているかご存知ですか?」

と、聞いてきた。
その当時の僕はとても仕事が忙しく、海を越えて!仕事したりもしていて家を空けることが多く、ほとんど毎日を会社で過ごし、家に帰るのはシャワーを浴びて2・3時間寝るためだけ、という生活だったため、ここ最近の様子はさっぱり解らない、と正直に答えたところ、

「突然連絡がつかなくなってもう1ヶ月なんですよ…」

と、また、ため息をつかれた。

地下一階のbar「key◯ック」には、遂に一度も足を運ぶことがなかった。もともと酒を趣味にしていないこともあったけど、店に初めて入る前に店の人と知りあい、というのは何だか気恥ずかしくて勇気が湧かなかった。

どうやら僕は『あなたの街の親愛なる隣人』にはなれないみたいだ。うらやましいよピーター。


2005年に『ベル事件』は再発する。原因は同じ。もう一度起こった理由は1階のテナントが新しく変わったからだ。それが『二度目のラーメン屋』で、そのときも「key◯ック」のママと解決にあたったのだが、この店の主人は、人付き合いが苦手のお方のようで…。あまり多くを話すことは自粛するよ、ワトソン君。僕だって暇じゃあないんだ。

それにしたってこんなに思い出すほど時間があったっていうのに、ざるそばがまだこないよ。そこんとこ、どうなんだワトソン君?






ざるそば返し

2007年05月07日 | お引っ越し
大須の商店街を一通り回って、くたくたになった僕は、万松寺通りを抜けた先の交差点にある、やや年季の入った定食屋に入ることにした。そこで「季節限定メニュー」と銘打ってあったので、ここはひとつ、と、ざるそばを一枚注文した。そこは味噌煮込みうどんがメニューの中心だったのだが。
 
四人掛けのテーブルに席を見つけて座る。別のテーブルに既についていたお客と背中合わせの形になった。後ろの客は二人組らしく、何やら大声で話している。聞くつもりもない、興味もないがこっちは一人だし、定食屋に入ってまでイヤフォンを耳に突っ込んでおこうとも思わないので、イヤでも会話が耳に入ってくる。

赤の他人が自分たちの会話を聞いていることがあると、話の最中、ふっとでも想像したことがこの二人にはあるのだろうか。


8年前、◯中商店街(といえるほど店が建ち並んでいる訳でもないのだが街灯の胴体に「お買い物ならい◯なか商店街で」と書いてあるんだからしょうがない)の一角にある、日◯ショールームと中古車工場に挟まれた5階建てのマンションに住むことを決めたのは、ある先輩のアドバイスからだった。自称引っ越しのプロ、同じ場所に2年住めないという、その人からは、僕が引っ越しを決めたことを報告した際、

「あんたにしては、随分フットワークが軽かったじゃない」

とのお言葉を頂いた。
全くこの人は、ときどきものすごく残る言葉をさらっと言いのける。とてもかっこいいのだ。
(でも、この人の発言で一番印象に残っているのは「アタシSadeめっちゃスキなんだが~ん」だ。こんなにも対象に愛が注がれているのを感じる台詞は、僕の浅い人生ではなかなか聞けない。とても素敵な言葉だ。ちなみにボーカリストSade Aduは確かナイジェリア人だ。元気か?アガシ?)


新社会人になって初めての年の瀬に不動産屋を訪れ、先輩に教えてもらっていたビルを指定し、一応部屋を観るために担当者の車に乗せられて訪れたのが、あの部屋に入った最初の瞬間だった。その担当者は新人だったらしく、部屋の内見には先輩らしき人がついてきていて、合計3人での訪問となった。
その車中、担当者の先輩は、後部座席に座る僕に助手席から首だけひねって、こう言ったのを今でも覚えている。

「イヤね、なんだかんだ言って実家が一番ですよ。何でもやってくれるし、いくらかお金入れときゃそれでいいし、ちょっと小言がうるさいことを我慢しとけば天国天国。」

今から一人暮らしを始めようとする人間に言う台詞じゃあない。何が目的なんだ?担当の人も大変だなと思った。

ここ以外の場所を選ぶつもりが毛頭なかったので、内見は数分で済み、30分後には契約を結んで頭金を納め、店舗を出て30秒、担当の人が走って追いかけてきた。

「やっぱり頭金足りませンでしたぁ~」

だから「この金額でいいんですか」って聞いたのに。でも冬の冷たい空気を切り裂いて猛ダッシュするその人の上気した顔が何だかとてもほほ笑ましくて、何だか応援したくなってしまったのを、今でも時々思い出す。一生懸命を表に出せる人は幸せだ。


その日の夜、夕食の支度をしている母親に一人暮らしを始めることを「一応」のつもりで報告しておいた。ゆーても社会人やねん、当然の行為だし、と思っていた。

絶句した母親を見たのは何年ぶりだったか。高校1年の冬、ある日曜の昼下がり、《スーパージョッキー》がテレビで垂れ流されてるときに、さらっと(ざらっと)僕がバイトをクビになったことを伝えたとき以来か。僕はこの瞬間まで、母親がいかにこの、自分が作り上げた家庭という名の時間と空間に誇りを抱いていたか、気付けなかった。
母親がやっとひねり出した言葉は

「お父さんにちゃんと言っておきなさいよ」

だった。感情を素直に表に出せない人は不幸だ。


年が明けて少し忙しい時期を乗りきった、2月18日。僕は引っ越した。友達からバンを一台提供してしてもらって、その友達の運転でい◯なか商店街まで。荷物の積み込みはその友達と、たまたま休みだった(と聞いている)姉に手伝ってもらった。

「ま、金がすぐに足りんくなるだろから、とっとと戻ってこいや」

姉が僕たちの車を送り出すときに言った言葉だ。僕が14の時、この人に「ハタチ過ぎてまで親の世話になってんじゃねーよ!」と吐き捨てたことを思い出した。激しく後悔した。

全部荷物を運び終わって、当然メシでもおごらねばと再びバンに乗り込んだときケータイが鳴った。会社からだった。先方から契約内容のことで確認したいとのこと。今日明日と休みをとっていても、こんな電話がかかってくることに苛立った。うまいこと言ってくれやいいのに。とはいえ平日に休む自分も悪いのか、と思いを巡らせていると友達は既に僕の会社の方へと進路を変更していた。

「ま、いつでもいいから。そのかわり遠慮せんから」

持つべきものは友達だ。


休日に呼び出されるまでもない用事を会社で済ませたころには既に外は真っ暗で、その中を小走りに地下鉄の駅に向かった。階段を降りて改札口を抜け、いつもの、昨日まで使っていたホームの反対側に向かう。昨日までのウチから遠ざかる地下鉄に乗ってい◯なか駅で下車した。

『い◯なか商店街』(意地でつかっちゃる!)をわざとゆっくり歩くと、一件のそば屋が目に入ったのでそこで夕食をとることにした。ざるそばがまだあったので一枚頼むことにした。天ざるにしようと思ったがやめておいた。もう今までとは違うお金の使い方をしないと、それこそ生きていけないのだ!、と過剰に考えていた。それも一人暮らしイベントのひとつ(笑)。

でてきたざるそばをつるつるっと流し込んで、あっと言う間に食べ尽くした。いやだって『ざるは瞬間が命』。ちろちろ食ってちゃいかんのだ。そして心の中で「うんっ!」っとうなづいた。

何が「うんっ!」だか。きっと店も場所も食うものも何でも良かった。ただこれから自分が住んでいく、新しい場所として、ここを選んだ自分の判断に、納得したかっただけなんだろう。だってこんなにそばがうまい。きっと実際はそれほどでもない。


それから8年が過ぎて、あのい◯なか商店街で今でも残っている店はこのそば屋を含めて3件しかない。通い詰めた2件の漫画喫茶は、一つは個人指導用の塾教室に変わり、もう一つは更地になって、その上に高層マンションが乗っかるのを待っている。ラ◯ォック◯はデ◯スと名を変え扱う商品も変わり、Z-クラ◯トは美容院から更にリフォーム店へと姿を変えた。80年代のプラモデルから90年代アイドル雑誌まで取りそろえた怪しい古本屋はこれまた個人指導塾へと変わり、その個人指導塾もついこの間、看板が変わっていた。変わったといえば、僕が住むことになったビルの一階はテナントになっていて、8年の間に4回も店が変わった。その度に…と、これはまた別の話。


最初に立ち寄ったそば屋で最後の夜メシを食おうと、「オイラの最後の晩餐はやっぱりざるそばでした。ラスト・サパーだからこれくらい質素がちょうどよかよね」なんてブログにでも書こうかなんて、独りで粋な気分に浸ることにして、い◯なかを出る最後の夜にそのそば屋へ立ち寄ろうとしたところ、ちょうどオヤジがのれんをしまうところだった。相変わらずのバッド・タインミングぶりに思わず苦笑…いやこれでいいのかも知れない、イヤこうじゃなきゃダメよね、と粋な気分にまだまだ乗っかることにして、自転車ごと踵を返して再びサドルにケツを乗っけた。これから僕はほんのすこし、地下鉄の駅で言えばたった4駅離れた街に住むことになる。

そば屋から新しいわが家へ向かう方向、ほんの数メートル先に過去のわが家が見える。中古車工場を横切って、その過去のわが家の前を、そのままスピードを緩めずに通り過ぎた。こうして僕は過去のわが家、「ハート◯ンい◯なか」をアトにした。


っていうか、ハート◯ンて。変な名前。



お引越し

2007年04月12日 | お引っ越し
っていう曲がね。
あるんです。
誰の曲か書いてもおそらく誰も知らないだろうから書かない(笑)

まぁこれでもかってくらいのトラブルがあって思わずすく~るらんぶるなんつって笹路正徳フィルオーケストラつーことで、一日二日じゃ終わらないくらいの出来事があったりしてさすが俺様のバッドタイミングぶりは異常だと改めて日本球界デビュー時の松坂なみに確信したのですが、それはまた、別の話。


そんなわけで、さあ~て来週の匠三刻しゃーぷはぁ

1 おっさんには気持ちのよい挨拶をしておけ。そうすれば思わぬ情報が手に入る。

2 宅配業者は千差万別。命の続く限りできるだけ時間指定を。

3 思い出に包まれて感傷に浸る暇があったら、契約時の内容を思い出せ

の3本で~す。



中耳炎が左やって右やって左やって右やって今、3回目の左です。
僕の中だけで〔瑞穂区の海のリハク〕と呼んで敬愛している方に相談したところ

「免疫力が落ちてる。」

そうです。で、どうすれば?自分で考えろ。さすが海のリハク。さーせん。


(トリオおよびTAKUMI情報しばしお待ちを。
もう少ししたら何かご報告できるかも。)