大須の街の味噌煮込みうどん屋では、僕はまだざるそばを待っていた。僕よりアトに入ってきた客が味噌煮込みうどん定食(味噌煮込みに更にご飯と漬け物が付いてる。炭水化物炭水化物…)を頼んでから約5分、その客の味噌煮込みうどん定食の方が先に出てきたときは正直、軽い嫌がらせか?嫌がらせなのか?と思って少々鬱になった(笑)。なんだ?ウチの名物はあくまで味噌煮込みっっていうアピールかい?おばちゃんよ?
後ろの二人組の会話はテンポよく、次々と話題を変えながら進んでいく。内容よりノリを重視。リズムが心地よい。
「スガキヤ食ったことないんですよね~」
そんな言葉が耳に入る。
「あの~全国のラーメン集めたラーメンフェスタみたいなやつ?のちっこいやつ?がやってたことがあって。そこで食べたことはるんですけどね」
相方の突っ込みが入った。
「じゃあ、食ったことあるんじゃん」
「ですから、ちゃんとしたお店で食ったことないってことですよ」
「変わるもんか?味?」
「変わるんじゃないすか?やっぱり」
ラーメンといえば、あのハート◯ンい◯なかの1階は、二度、ラーメン屋になったことがあった。
『一度目』のラーメン屋は何回かお世話になったことはあったが、『二度目』のラーメン屋にはついに足を運ぶことがなかった。同じところに長年住んでいると、いろんなことがある。
1999年・春、の「ハート◯ンい◯なか」といえば、夜中の1時の非常ベル。
火災報知器が決まった時間に鳴るビルで、その報知器の音を止める大役を仰せつかっていたのは僕だった。誰に頼まれたわけでもないが。でも、誰も止めないのなら誰かが止めなきゃ鳴らないだろう?その誰かになれることを喜ぶ人種が多くの人の中にいて、そういうことはそういう奴が喜んでやってるわけなんだから、そういう奴に任せておけばいい、むしろそういう奴に「やらせてあげなよ」なんて考える奴が僕は大嫌いで、また、そう思っている以上、気付いてしまったんなら、行動しなきゃ仕方がない。何が厄介かって、実際僕の心の中にも「日常の中の非日常」に、「台風が近づくとワクワクするよね」のような感情に憧れ、かつ、「平穏な日常に突如襲い来るクライシス」に抵抗できないか弱き一般市民の前に、突如颯爽と現れて困難を解決し、風のように去っていく、(←もっと簡単に言えよバカ→)ヒーロー願望みたいなものが少なからずあることを否定できないのが厄介なんだ。だからって、火災報知器の音を止めたことでスパイダーマンとかスーパーマンとかバットマンとかナントカレンジャー一連とか仮面ライダーとかウルトラマンコスモスになれるわけでも、辻ちゃんと結婚できるわけでもないので、自分にとってプラスになることなど何もないのだ(辻ちゃんと結婚できることが果たしてプラスなのかはおいといて)。また、だからといって、自分にプラスになることが何もないからといって、それが火災報知器を止めない理由にはならないと思ってしまうし、ほら、そんな無私の奉公みたいな精神なんて今の個人主義万歳の世の中、無視の方向で進んでいるのですよ、なんて言ってる暇があったら、ガタガタ言わずにとっととベルを止めてこいやって話で。要するにそういうわけで、火災報知器のベルを止めるのは僕の役目だ。ああ、ありがたやありがたや。ナミダが止まらない。
なに、簡単な仕事だ。1階の、エレベーターの隣に、火災報知器のシステム回路があるから、そこに三つ並んだはね上げ式のスイッチの、一番右端をまずは上にはね上げて報知器の音を止める。次に、offになった感知器のレバーをもう一度持ち上げてonにしておく。以上。原理は電気のブレーカーと同じやね。なにしろ操作の仕方が回路の左端にシールで貼ってある。簡単で、誰にでも出来る仕事です。未経験者歓迎。不要普免。ただし昇給なし。
それでもこのイベントに最初に出くわしたときはびっくりした。「おお、とうとう火災を経験するのか!」なんて思ったり。でも、火災報知器の(結果的な)誤作動なんてしょっちゅう出くわしているし、でも本当だったら怖いし、で、鳴った原因を追いかけるのにいくらか骨を折った。その結果解ったのは、1階のテナントに設置してある煙の感知器が、そのテナント内のガスコンロのすぐ上にあるらしく、そこで料理などをするとすぐさま感知してしまう、ということだった。つまり、そのテナントに入っていた(1度目の)ラーメン屋が翌日のスープの仕込みのために寸胴鍋をグツグツやっていると、その「湯気」に反応してしまう、ということだったのだよ、ワトソンくん。この結末を引き出す過程で僕は、お隣の40過ぎの女性と、「1度目のラーメン屋」のご主人と、地下一階のbar「key◯ック」のママとお知り合いになることが出来た。なんだ。プラスがあるじゃないか。
その後僕は、お隣の40過ぎの女性に電話番号を教えてくれ、と頼まれたが「いやもうすぐケータイ替えるんで」と、断った。何で教えなかったかって(イヤホントに替えるつもりだったけど。結局キャリアは替えずに機種だけ替えたけど)、そのお隣さんのウチからは、始終
「何であqwsでfrgtひゅじこlp;@なのよ!」
とか
「だからq2w3え4rt56y7う8い9お0p-@^じゃない!」
とかいった声が響いていたからで、それは確実に独りで発している声とも、だからといって仲むつまじい二人が和やかに会話している様子とも思えず、また、その女性が番号を聞いてくる際、
「女の一人暮らしっていろいろ不安なのよ。今回みたいに力貸してくれると嬉しいンだけど」
なんて台詞がついてきたことも相まって、何だか躊躇してしまったからだった。どんなことに力を貸せっていうんだ?
『ベル事件』の後、さらに『パンク少年床踏みならし事件』を経て数ヶ月後。
午後に会社に行くことになっていたある日、玄関を出ると隣の部屋の前に、男性が二人、何度も隣家の呼び鈴を鳴らして、ため息をついていた。僕と目が合うと、
「お隣の方、どうされているかご存知ですか?」
と、聞いてきた。
その当時の僕はとても仕事が忙しく、海を越えて!仕事したりもしていて家を空けることが多く、ほとんど毎日を会社で過ごし、家に帰るのはシャワーを浴びて2・3時間寝るためだけ、という生活だったため、ここ最近の様子はさっぱり解らない、と正直に答えたところ、
「突然連絡がつかなくなってもう1ヶ月なんですよ…」
と、また、ため息をつかれた。
地下一階のbar「key◯ック」には、遂に一度も足を運ぶことがなかった。もともと酒を趣味にしていないこともあったけど、店に初めて入る前に店の人と知りあい、というのは何だか気恥ずかしくて勇気が湧かなかった。
どうやら僕は『あなたの街の親愛なる隣人』にはなれないみたいだ。うらやましいよピーター。
2005年に『ベル事件』は再発する。原因は同じ。もう一度起こった理由は1階のテナントが新しく変わったからだ。それが『二度目のラーメン屋』で、そのときも「key◯ック」のママと解決にあたったのだが、この店の主人は、人付き合いが苦手のお方のようで…。あまり多くを話すことは自粛するよ、ワトソン君。僕だって暇じゃあないんだ。
それにしたってこんなに思い出すほど時間があったっていうのに、ざるそばがまだこないよ。そこんとこ、どうなんだワトソン君?
後ろの二人組の会話はテンポよく、次々と話題を変えながら進んでいく。内容よりノリを重視。リズムが心地よい。
「スガキヤ食ったことないんですよね~」
そんな言葉が耳に入る。
「あの~全国のラーメン集めたラーメンフェスタみたいなやつ?のちっこいやつ?がやってたことがあって。そこで食べたことはるんですけどね」
相方の突っ込みが入った。
「じゃあ、食ったことあるんじゃん」
「ですから、ちゃんとしたお店で食ったことないってことですよ」
「変わるもんか?味?」
「変わるんじゃないすか?やっぱり」
ラーメンといえば、あのハート◯ンい◯なかの1階は、二度、ラーメン屋になったことがあった。
『一度目』のラーメン屋は何回かお世話になったことはあったが、『二度目』のラーメン屋にはついに足を運ぶことがなかった。同じところに長年住んでいると、いろんなことがある。
1999年・春、の「ハート◯ンい◯なか」といえば、夜中の1時の非常ベル。
火災報知器が決まった時間に鳴るビルで、その報知器の音を止める大役を仰せつかっていたのは僕だった。誰に頼まれたわけでもないが。でも、誰も止めないのなら誰かが止めなきゃ鳴らないだろう?その誰かになれることを喜ぶ人種が多くの人の中にいて、そういうことはそういう奴が喜んでやってるわけなんだから、そういう奴に任せておけばいい、むしろそういう奴に「やらせてあげなよ」なんて考える奴が僕は大嫌いで、また、そう思っている以上、気付いてしまったんなら、行動しなきゃ仕方がない。何が厄介かって、実際僕の心の中にも「日常の中の非日常」に、「台風が近づくとワクワクするよね」のような感情に憧れ、かつ、「平穏な日常に突如襲い来るクライシス」に抵抗できないか弱き一般市民の前に、突如颯爽と現れて困難を解決し、風のように去っていく、(←もっと簡単に言えよバカ→)ヒーロー願望みたいなものが少なからずあることを否定できないのが厄介なんだ。だからって、火災報知器の音を止めたことでスパイダーマンとかスーパーマンとかバットマンとかナントカレンジャー一連とか仮面ライダーとかウルトラマンコスモスになれるわけでも、辻ちゃんと結婚できるわけでもないので、自分にとってプラスになることなど何もないのだ(辻ちゃんと結婚できることが果たしてプラスなのかはおいといて)。また、だからといって、自分にプラスになることが何もないからといって、それが火災報知器を止めない理由にはならないと思ってしまうし、ほら、そんな無私の奉公みたいな精神なんて今の個人主義万歳の世の中、無視の方向で進んでいるのですよ、なんて言ってる暇があったら、ガタガタ言わずにとっととベルを止めてこいやって話で。要するにそういうわけで、火災報知器のベルを止めるのは僕の役目だ。ああ、ありがたやありがたや。ナミダが止まらない。
なに、簡単な仕事だ。1階の、エレベーターの隣に、火災報知器のシステム回路があるから、そこに三つ並んだはね上げ式のスイッチの、一番右端をまずは上にはね上げて報知器の音を止める。次に、offになった感知器のレバーをもう一度持ち上げてonにしておく。以上。原理は電気のブレーカーと同じやね。なにしろ操作の仕方が回路の左端にシールで貼ってある。簡単で、誰にでも出来る仕事です。未経験者歓迎。不要普免。ただし昇給なし。
それでもこのイベントに最初に出くわしたときはびっくりした。「おお、とうとう火災を経験するのか!」なんて思ったり。でも、火災報知器の(結果的な)誤作動なんてしょっちゅう出くわしているし、でも本当だったら怖いし、で、鳴った原因を追いかけるのにいくらか骨を折った。その結果解ったのは、1階のテナントに設置してある煙の感知器が、そのテナント内のガスコンロのすぐ上にあるらしく、そこで料理などをするとすぐさま感知してしまう、ということだった。つまり、そのテナントに入っていた(1度目の)ラーメン屋が翌日のスープの仕込みのために寸胴鍋をグツグツやっていると、その「湯気」に反応してしまう、ということだったのだよ、ワトソンくん。この結末を引き出す過程で僕は、お隣の40過ぎの女性と、「1度目のラーメン屋」のご主人と、地下一階のbar「key◯ック」のママとお知り合いになることが出来た。なんだ。プラスがあるじゃないか。
その後僕は、お隣の40過ぎの女性に電話番号を教えてくれ、と頼まれたが「いやもうすぐケータイ替えるんで」と、断った。何で教えなかったかって(イヤホントに替えるつもりだったけど。結局キャリアは替えずに機種だけ替えたけど)、そのお隣さんのウチからは、始終
「何であqwsでfrgtひゅじこlp;@なのよ!」
とか
「だからq2w3え4rt56y7う8い9お0p-@^じゃない!」
とかいった声が響いていたからで、それは確実に独りで発している声とも、だからといって仲むつまじい二人が和やかに会話している様子とも思えず、また、その女性が番号を聞いてくる際、
「女の一人暮らしっていろいろ不安なのよ。今回みたいに力貸してくれると嬉しいンだけど」
なんて台詞がついてきたことも相まって、何だか躊躇してしまったからだった。どんなことに力を貸せっていうんだ?
『ベル事件』の後、さらに『パンク少年床踏みならし事件』を経て数ヶ月後。
午後に会社に行くことになっていたある日、玄関を出ると隣の部屋の前に、男性が二人、何度も隣家の呼び鈴を鳴らして、ため息をついていた。僕と目が合うと、
「お隣の方、どうされているかご存知ですか?」
と、聞いてきた。
その当時の僕はとても仕事が忙しく、海を越えて!仕事したりもしていて家を空けることが多く、ほとんど毎日を会社で過ごし、家に帰るのはシャワーを浴びて2・3時間寝るためだけ、という生活だったため、ここ最近の様子はさっぱり解らない、と正直に答えたところ、
「突然連絡がつかなくなってもう1ヶ月なんですよ…」
と、また、ため息をつかれた。
地下一階のbar「key◯ック」には、遂に一度も足を運ぶことがなかった。もともと酒を趣味にしていないこともあったけど、店に初めて入る前に店の人と知りあい、というのは何だか気恥ずかしくて勇気が湧かなかった。
どうやら僕は『あなたの街の親愛なる隣人』にはなれないみたいだ。うらやましいよピーター。
2005年に『ベル事件』は再発する。原因は同じ。もう一度起こった理由は1階のテナントが新しく変わったからだ。それが『二度目のラーメン屋』で、そのときも「key◯ック」のママと解決にあたったのだが、この店の主人は、人付き合いが苦手のお方のようで…。あまり多くを話すことは自粛するよ、ワトソン君。僕だって暇じゃあないんだ。
それにしたってこんなに思い出すほど時間があったっていうのに、ざるそばがまだこないよ。そこんとこ、どうなんだワトソン君?