
股関節痛と酷暑のため、この夏は里山歩きができずにうずうずしていましたが、リハビリを兼ね、久々に町田市小野路の谷戸巡りをしてみました。里山歩きは3ヶ月ぶり、ここの谷戸巡りはなんと3年ぶりのことでした。
4回に分けてご紹介します。初回は3つの大きな谷戸のうちの2つをご紹介します。(★これより下の画像をクリックすると、大きい画像や別の画像が見られます。※印がついた画像には裏に別画像が入っていません。★撮影日は2010年9月19日です。)
なお、3年前の様子はこちらでご覧になれます。
~秋の里山 小野路の谷戸巡り(1)~
町田市小野路は「図師小野路歴史環境保全地域」の一部として保全されており、また、朝日新聞社主催で2009年1月に発表された「にほんの里100選」の1つ(東京都で唯一)に選ばれた、美しい里山です。
この日は夫の運転で町田市陸上競技場まで行き(自宅から15分ほど)、駐車場に車を置きました。

駐車場脇にある「小野路一里塚」
小野路町を縦断する鎌倉道(現「鎌倉街道」)は、鎌倉幕府のある鎌倉から上州高崎まで続いていました。1617年、駿河の久能山に埋葬した徳川家康の遺骨を日光東照宮に移すとき、街道の整備とともにこの「小野路の一里塚」が作られたそうです。
また、小野路の宿場は幕末まで栄え、「小野路宿通り」にある小島家には、後に新撰組を結成する近藤勇、土方歳三、沖田総司らが稽古のため通っていたそうです。
「野津田高校入口」交差点近くから、里山地区に入って行きます。


民家の脇を歩き、切り通し(左)を抜けると、右側にはこんな景色が広がっています(右)。


(左)「乗越(のりごえ)八幡跡」から南へ、鬱蒼とした雑木林の中に入り、「長尾根」沿いに歩きます。カメラが自動的に明るく写してくれていますが、実際はもっと薄暗いです。
(右)スダジイ(椎の木)の大木と、根元にある「こうせん塚」。この塚は、その昔、麦こがし(こうせん)にむせて死んだ老婆を祀った塚で、「こうせん婆さん」と呼ばれています。

途中でY字路が現われました。左が「長尾根」で「白山谷戸」に通じ、右が「五神尾根」で「五反田谷戸」に通じています。左に進みました。辺り一帯にツクツクボウシの大合唱が響き渡っていました。

尾根道から左側に田んぼが見え隠れするようになり、左へ行く道を降りて行くと、最初の目的地である「白山谷戸」に出ました。広大な田んぼが南北に広がり、稲穂が頭(こうべ)を垂れていました。


(左)上手から下手を見た画像 (右)下手から上手を見た画像
畔の横には、田んぼを潤す渓流がくさむらに隠れるようにして流れているので、足許に気をつけながら歩きます。くさむらには葛や露草が咲いていました。



さらに下手の田んぼではすでに稲が刈られ、稲架(はさ)掛けの作業中(右裏画像)でした。
民家の並ぶ通りに一旦出て、次の谷戸へ向かいます。


木の下にころがっているものの正体は......裏画像でわかります。


「日大三高」前を通るバス通りの脇にも、田んぼが広がっています。

民家の脇から畑の畔沿いに細い道を入ると、「五反田谷戸」が広がっています。この道は3年前通りがかりに偶然知った道で、この奥に田んぼが広がっていることが入口からはわからないので、知らずにいたら通り過ぎてしまいます。あぁ、写真を撮っておけばよかった(^_^;



(左)下手から上手を見た画像 (右)上手から下手を見た画像


ため池
さらに、隣の「神明谷戸」を目指します。3年前は、雑木林の中の薄暗い未知なる道を行くのが怖かったので、一度バス通りに出ましたが、この日はだ~りんがいるので林に入ってみることに...。

ここも実際より明るく写っていますが、鬱蒼とした竹やぶの中の道です。やはり一人では入れませんでしたね。

そうと知っていたらお出迎えしましたのに(笑)
草ぼうぼうでしたが夏の間に草刈りをされていたので歩きにくくはなかったと思います。
takuetsuさんが書くと描写が細やかで勉強になります。
自転車だと雰囲気だけですもんね。
住んでいますね。
・・
そうですか、午後からだったんですね。ほんと、残念でした。
でも、少し暑かったですが、田んぼが美しく、ちょうどはさがけ作業も見られ、ラッキーでした。改めて小野路の里山としての存在感を感じましたよ。
描写? むずかしいですね。3年前の記事を見返して、自分でも笑ってしまいました。描写はほとんどなし、写真は小さい...(^_^;
この地域は自然と人間の営みが調和していて、本当に美しいです。それは関係者の努力の賜物なのでしょうね。その恩恵に預かるばかりで、お恥ずかしいです。