本日1月9日、地元の塞の神(さいのかみ)行事(稲城市の坂浜・長峰・若葉台地区合同)に参加し、ミニ門松や輪飾りを焼いてきました。一般的には左義長(さぎちょう)とかどんど焼きとも呼ばれる、市内最大規模の塞の神行事をご紹介します。
塞の神 豆知識 (主催者の話より抜粋)
そもそも左義長とは、平安時代中期より天皇家の行事として始まりました。歳の神が宿った門松やしめ縄、天皇の書初めなどを、歳の神が帰る小正月に燃やしたのが始まりと言われています。「尊い火」から♪とうとやとうと♪と謳われるようになり、とんと焼き→どんど焼きと呼ばれるようになったとも言われています。
遅くとも江戸時代には全国的に行われるようになったようですが、第二次世界大戦の前後、昭和10年代、20年代は一度すたれました。それが30年代に少しずつ復活しました。
ここ坂浜では、昭和56年に3つの祭礼の合体としての塞の神行事が復活しました。
3つの行事とは...
◆左義長:子どもの書初めを燃やす
◆蚕影(さんえい)様(養蚕の神)の祀り:繭が沢山できるようにという願いが込められた
そのため、繭に見立てた餅を篠竹の先に刺して焼き、小金に見立てたみかんを祀る
◆塞の神の祀り:不幸をもたらす悪霊から人々を守る神を尊んで祀る
左義長やどんど焼きとは呼ばずに塞の神行事と呼ぶのは、坂浜の住民が塞の神行事を最も大事にしてきたからです。
そして、本来は子供が行事の担い手でした。♪ぜいの神のおんべらぼう 餅くんねぇ 銭くんねぇ♪と歌いながら子らが家々を回り、もらった餅やみかんを食べながら一晩を過ごしました。現在では、何かと忙しい子どもに代わり、大人が主導する行事になっています。稲城古来の坂浜に、ニュータウンの長峰と若葉台地区が加わり、各地区の青少年育成委員や子ども会が協働して行っています。
364日間秘密の場所に埋められている塞の神をこの日だけ掘り起こし、炉の中に祀って、周りに8本(←末広がり)の孟宗竹が円錐形に組まれています。
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稲城の伝統行事 ~塞の神行事2012~
いかがでしたか? 地元の伝統行事を守っていくのは、特に東京ではなかなか大変だと思います。尽力なさっている方々に心から感謝します。
なお、2008年の様子も記事にしています。よろしければこちらもご覧ください。
年末年始にお風邪とは、大変でしたね。私も29日の咽喉が痛くなり(実は今日も...)、葛根湯で撃退しました。11月に微熱が出たときは、風邪らしい症状は他になく、ただだるくて動けませんでした。
町田のどんど焼きの様子、今拝見しました。一箇所で3つも、時間をずらして焼いていくのですね。すごいですね~。夕方、暗闇の中に浮かび上がる炎は迫力あるでしょうね。
稲城では9箇所で、日を替えて行っているようですが、私の地区のが最も盛大らしいです。
今日は風が冷たい日でしたね。
暮れから風邪を引いてしまいました。
熱はないので体は辛くなかったのですが咳が出るとなかなか止まりませんでした。やっと治まりました。
稲城でどんど焼きが行われたのですね。
町田も私の住む地域で行われます。
今年は14日です。
近所で見つけただけでも三ヶ所でどんど焼きが行われます。一ヶ所は大きな広場で大きいもの一つに普通のもの二つが作られています。
3つの町内会のものだそうです。
私も昨年 記事にしています。
よろしかったら覘いて見てください。
暮れに覗いたときに10日から...と書かれていたので、今日お邪魔しようと思っておりました。のちほど...(#^.^#)
えつこさん♡
今年も~どうぞ~よろしくお願いします。
本日~1月10日
2012年みみかほう始動♪です。
・・はなこころ